【大内家の野望 新生】 第10話:全中国統一戦 〜吉田郡山城の戦い
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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』。
今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。
▼第10話:全中国統一戦 〜吉田郡山城の戦い
■大内義隆vs毛利元就、直接対決「土師の戦い」
山口・九州・四国・畿内を押さえた大内家が、中国地方を支配する西日本最大のライバル毛利家と停戦期間を終えて戦争開始。東、南、西から各城へ攻め込んで毛利軍を翻弄する大内軍は、当主の大内義隆が毛利家の本城・吉田郡山城を包囲。北へ出撃中だった毛利家当主・毛利元就が慌てて引き返してきて、平原にて直接決戦することに。
「土師(はし)の戦い」の始まりだ。土師ということは現在の土師ダム(安芸高田市)のあるあたりか。こちらは兵力16037の4部隊なのに対して、毛利元就軍は兵力8257で1部隊しかいない。軍監の宇喜多直家は「我が方の優勢は揺るぎなし。しかし、毛利元就は知略で名高き将。かき乱されるとやっかいでござるぞ」とのこと。油断せず気をつけねば。
こちらは大内義隆本隊、宇喜多直家隊、陶隆房隊、堀立里隊の4部隊。正面で激突しても、左右から回り込んで背後の退き口を封鎖できる。これはさすがの謀将・毛利元就でさえも手が出まい。
毛利元就隊は大内義隆隊に直接突っ込んできたが、左右に展開する宇喜多隊、陶隊らも回り込んできて、挟撃成功。前後からボコボコにして、成す術のない毛利元就隊は壊滅状態に陥り、「これは持たん……、致し方なし、撤退じゃ!」と吉田郡山城へと退却。
こうして「土師の戦い」は大内義隆軍の圧勝。毛利元就隊は兵がわずか816ほどしか残っていなかった。吉田郡山城は難攻不落の堅城だが、この勢いで一気に攻めていこう。
備中高松城(岡山県岡山市)を落とした次は、さらに内陸に切り込んでいく。鶴首城(岡山県高梁市)へと進軍だ。淡路や河内など遠い地域からも、兵糧さえ持ちそうなところであればとりあえず進軍。
鍋島直茂と弘中於光が東から攻めていた津山城(岡山県津山市)が陥落した。姫路城や伊予松山城に並んで日本三大平山城に数えられる名城だが、これでさらに内陸の高田城(岡山県真庭市)への道が開けた。
高田城に向けても進軍。高田城は7000も兵が守っているが、各城が交戦中だから他の城からの援軍の余裕もない。山陽だけでなく四国などからも軍勢を差し向けて力技で行く。
かなりの堅城だった鳥取城(鳥取県鳥取市)も、最近元服して新加入したばかりの吉弘鎮理(よしひろ しげまさ)部隊が攻め落としてくれた。ちなみにこの吉弘鎮理は後の高橋紹運(たかはし じょううん)で、「歴史発想源」の「西国無双篇」の主人公として描いた初代柳河藩藩主・立花宗茂の実父である。武勇93、統率88、知略83と九州勢でもトップクラスの名将で、今後の大内軍でも中核の一人として活躍していくだろう。
参謀の宇喜多直家が「要害たる吉田郡山城を攻め落とすには、土竜攻めを用いるのがよろしいかと」と言い出した。土竜攻め(モグラ攻め)とはトンネルを掘って城の中に侵入するという、「策謀」の特性のある武将だけができる作戦らしい。成功すれば吉田郡山城の高い耐久力が6600から1419まで大幅に下がるという。怖ぇー。相手は毛利元就だからうまくいくか分からないが、直家、任せたぞ。
山陽の3城である鶴首城、神辺城(広島県福山市)、安芸高山城(広島県三島市)を同時に攻城。神辺城が落ちれば、山陽道は完全に開通して東西の所領を結ぶことができるぞ。安芸高山城は毛利元就の三男の智将・小早川隆景が頑張っていてなかなか落ちない。しかしその他の城は次第に我が手に。
鶴首城を島津貴久隊が、神辺城を堀立直正隊と鶴姫隊が攻め落とした。あとは安芸高田城を落とせば山陽地域はほぼ手中に入る。しかし、ここは安芸高田城はそのまま攻めておいて、山陽や山口で募った新兵を、その奥地の比叡尾山城(広島県三次市)に投入する。
毛利元就が守る吉田郡山城、小早川隆景が守る安芸高田城は頑強でなかなか攻め落とせないが、鏡山城(広島県東広島市)でこっそり待機して兵を温存していた弘中方明がその間をすり抜けて手薄な比叡尾山城を狙う。そしてそんな中で……
東の高田城が長宗我部国親隊によって陥落。さらには小早川隆景が頑張っていた安芸高山城も大内義隆の娘・大内都の軍勢によって落ちた。「安芸高山城攻め落としたり!」って三田井親武といういつの間に味方になったのかよく知らない武将が声を上げてる。
今作では各地に独立勢力の国衆が散財していて、それをいかに懐柔するかも戦略のポイントになってくるが、瀬戸内海の女神こと鶴姫が、瀬戸内の能島水軍を仲間につけてきて、村上家も大内家の仲間入りをした。これで瀬戸内の制海権も大内家のものだぞ。
鳥取城に続いて、羽衣石城(うえし城/鳥取県湯梨浜町)も、戸次鑑連隊、鶴姫隊、弘中隆包の子の弘中隆助隊が攻略。ここを足がかりに、さらに西の島根県へと攻め込んでいくぞ。
弘中方明隊が鏡山城から比叡尾山城を狙ったことで、安芸高田城を落とされた小早川隆景らは兵をまとめて比叡尾山城へ入城。しかしその弘中方明隊がいきなり進路を変えて、毛利元就の守る吉田郡山城の攻城戦に苦戦していた大内義隆の本軍に合流。吉田郡山城の毛利元就は挟撃されてどんどん兵を失う。
そしてさすがの毛利元就もモグラ攻めや挟撃などには耐えられず、本城・吉田郡山城は大内軍の手で攻め落とすことができた。毛利家を攻め始めてから1年近くかかってようやくである。さすが毛利家の結束力は強い。だが本番はここからだ。
山陰戦線は次に月山富田城(島根県安来市)だ。この月山富田城は山陰随一の鉄壁さを誇り、史実でも大内義隆軍は尼子家の守るこの城で大敗して滅亡の要因となり、毛利元就はその後に尼子家から奪取した因縁ある城。今回は岡山県や島根県などの兵を結集して全力で攻め上がる。
比叡尾山城から小早川隆景の軍勢が東の月山富田城に救援に向かったので、元就の次男である猛将・吉川元春がひたすら守る西の山吹城(島根県大田市)は孤立無援状態となり、大内義隆の娘・大内珠光の部隊らがついに山吹城も占拠。山吹城も開戦の当初から攻めていたので、吉川元春がいかに強いかを思い知らされた。
月山富田城に、東の羽衣石城や鳥取城などからも続々と大内軍の部隊が集まってくる。細い街道に大軍が集まると渋滞が起こってしまい十分に機能しなくなるが、お構いなし。毛利領全体の注意がこちらに向かざるを得ないように、東から攻め続けるのである。
吉田郡山城を落とされた毛利元就、山吹城を落とされた吉川元春は比叡尾山城に入っていたが、両城を落とした弘中方明隊、陶隆房隊らがそのまま猛攻を続けたので、比叡尾山城も程なくして陥落。もはや毛利元就の知略も吉川元春の猛勇も生かしようがないほどに、毛利軍の兵力は衰退しているのだ。
毛利元就や吉川元春は北の三刀屋城(島根県雲南市)へと逃れた。これが最後の決戦となるだろう。山口・広島・岡山の全軍を集めて三刀屋城へと進ませる。もはや毛利には抵抗にできる兵も少ない。一気に勝負を決めよう。
ついに月山富田城も、次々に繰り寄せてくる大内軍の手によって陥落。守っていた智将・小早川隆景もこれほどの兵力差を覆すことはできなかった。小早川隆景は残る三刀屋城へと逃げていった。
全国で11家となった戦国大名の中で、三刀屋城のみ1城だけとなった毛利家はもはや最弱勢力である。1年前は全国3位だった毛利家がここまで衰退するというのは、世は無情である。まあ大内家がその主犯なんだけども。最大兵力差で70倍、現兵力差で100倍となった大内家が、今こそ毛利家を喰らうぞ。
毛利元就、吉川元春、小早川隆景ら名将揃いの毛利家は、小勢であっても城に篭ればとにかく強い。大内軍の各方面からの総攻撃に3ヶ月も耐えたが衆寡敵せず、ついに三刀屋城は大内家の手によって陥落したのであった。
開始当初から隣接勢力であり、西日本の1位と2位の勢力にまでのしあがった大内家と毛利家だが、交戦から1年半で毛利家が滅亡して大内家が吸収。毛利元就をはじめ、毛利家の名将たちもことごとく大内家の傘下に加わることになるのである。
毛利元就、吉川元春、小早川隆景ら毛利家一族もみな、大内家の一将になってくれた。これからは彼らも大内家の中核で天下統一事業を手掛けることになる。みんなで大きくなろう。
こうして、西日本はすべて大内家の支配下となったのである。
九州、四国、近畿とかなり遠回りをしたが、当初の目標であった「中国地方統一」を、毛利家を滅ぼしたことでようやく成し遂げた。中国地方全てを統一したというのは、未曾有の快挙である。そして今作では、最初の地方を統一できれば「地方統一エンディング」を迎えることになる。
「地方統一エンディングを迎えました。天下統一を目指してゲームを続けますか?」と表示され、続けるかやめるかを選ぶ。ここまで来たら、天下取りに動くしかない。東日本にはまだまだ織田信長、今川義元、武田信玄、長尾景虎(後の上杉謙信)、北条氏康など天下の強豪がひしめいている。気を引き締めて、天下統一を成し遂げるぞ!
大友家の戦いは、まだまだこれからだ!
【武将名鑑】(10)毛利元就(もうり もとなり)
中国地方の戦国大名。毛利家は大内家と尼子家の二大勢力に挟まれる弱小勢力だったが、「厳島の戦い」で大内家重臣・陶晴賢を破ったことで大内家を滅ぼし、尼子家をも滅ぼして中国の覇者となる。子の小早川隆景は豊臣家の臣としても活躍。孫の毛利輝元は初代長州藩藩主となった。
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