不条理な差別をする人間は視野が狭い。そして経験不足。そして浅はか。自分と似たような人としか付き合わない人。結局、人間を知らない人である。
多様性、とは生きる上で理不尽な差別を受けてきた人々が基本的人権つまり心地よく生きる権利を当たり前に得るためにあるものだ。ありのままの私(努力したくな〜い)を受け入れてね♡なんて自分に甘い人には通用しない。多様性の背後には重い意味がある。冤罪・迫害。理不尽な虐め。真剣に扱う概念。
「穀潰し」や「働かざる者食うべからず」などの喩え通り、現代は「役に立つ」か否かで測られる。 経済的合理性は人間から主体性を奪ってモノ扱いする。そんな世界に自由も公正も安心もない。 "有用性"は精神病の入り口ではないか|小野ほりでい https://note.com/onoholiday/n/ne570dafce6d8
【客観的】に【史料】を【複数の史観】から【考察・分析】しても【虐殺】という用語を【断定】するという要素は、【主観的な人道】という【不安定な感情論的尺度】ぐらいしかない。 つまり、この人物は、一つの【感情的史観】という【尺度】で見ているに過ぎない。【客観的】と言える訳ではない。