ジョン・フォード監督 『怒りの葡萄』 : アメリカが人道主義を掲げていた時代
映画評:ジョン・フォード監督『怒りの葡萄』(1940年・アメリカ映画)
本作は、ノーベル文学賞受賞作家であるジョン・スタインベックの代表作である『怒りの葡萄』を、原作小説刊行の翌年に映画化した作品である。監督は、名匠ジョン・フォード。
原作小説の方は、刊行翌年に「ピューリツァー賞」を受賞しているが、同賞は、
という性格の賞であり、21部門にもわたって授与されるのだが、最も有名なのは「ジャーナリズムの公益部門」であろう。
もちろん、『怒りの葡萄』は、「文学作品」としてこの賞を受けたのであろうが、しかし、スタインベックという人は、もともとジャーナリスティックな人であり、この原作小説も、そうした性格の強い作品であった。すなわち、
ということで、本作『怒りの葡萄』は、当時の「生な社会問題」を扱った作品であり、小説としての形式も、次のように「特異なもの」であった。
つまり、作者のスタインベックは、虐げられた貧困農民層の側に立って、本作を書いたのであり、それは単なる「小説」に止まるものではなく、そこに「この物語は単なるフィクションではなく、現実にいくらでも存在している悲劇を、象徴的に描いたものである」というのを、その特異な形式によってハッキリと示した、「ノンフィクションの批評部分」を含む作品だった、ということだ。
こんにちの小説では、ここまで露骨に「この現実を見よ!」と訴えるような告発形式は、著者の主張やイデオロギーを読者に押しつけるものとして忌避されがちだが、この時のスタインベックにとっては、「小説は、現実を変えるための道具であってもかまわない。現実の方が大事なのだ」という確たる信念があったということなのであろう。
言い換えれば、「この作品をどう理解するかは、読者の皆さん次第です」といった、いま風に「腑抜けた」考えや態度など微塵もなく、目の前で死にかけている人を見て「この人を助けるか助けないかは、あなた次第です」などといった、うす気味悪い偽善としての「物分かりの良さ」を演じてみせる気など、スタインベックにはカケラも無かった、ということだ。
「これを見て、黙っていられる者は、人の心を持っていない」と明言して憚らないほどの「熱い思い」を持って、本作は書かれたのであり、それが当時においても評価され、のちにノーベル文学賞の受賞事由ともなったのである。
ちなみに、私が子供の頃には、スタインベックというと「世界文学の巨匠」という印象が強かったし、『怒りの葡萄』をはじめとした彼の小説が新潮文庫などにも入っていた。また、ジェームス・ディーンの主演映画『エデンの東』(1055年・エリア・カザン監督)の原作者としても知られていた。
『怒りの葡萄』と『エデンの東』は、原作小説を読んではいなくても、映画によって、そのタイトルだけは、日本人であっても「誰でも知っている」くらい、きわめて有名な作品だったのである。
だが、今になって気づかされるのは、映画の世界ではもとより、文学の世界ですら、スタインベックが語られなくなったという事実である。
私の子供の頃の印象では、それこそドストエフスキーにも比肩しうるほどの「世界文学の巨匠」(文豪)だったはずなのに、いつの間にか、内外の文学作品や文芸評論を読んでいて、スタインベックの名前を見かけることなど、とんと無くなっているのである。
それで、これはどういうことなのかと思い調べてみると、少なくとも日本で、スタインベックが「巨匠」と目されるようになったのは、映画『怒りの葡萄』と『エデンの東』の原作者としてであり、1962年にノーベル文学賞を受賞したからなのではないかと、そう推察された。ちなみに、1962年(昭和37年)は、私の生まれた年だ。
つまり、ノーベル文学書受賞の年に、スタインベックの文名は世界的に高まったのであり、だから、私が子供の頃には「世界文学の巨匠」ということで日本でももてはやされ、その印象が、私の世代の者には焼き付いている、ということなのではないだろうか。
しかし、先に引用した部分に、『後のノーベル文学賞受賞(1962年)も、主に本作を受賞理由としている。』と注記されているとおり、スタインベックがノーベル文学賞を受賞した理由は、『怒りの葡萄』が象徴するような「人道主義的な作品を書いて、社会に大きな影響を与えた」ということであり、その上で「その後も旺盛に作品を書いた」というその功績に与えられたもののようである。だからこそ、ノーベル文学賞受賞の「主たる理由」は、『怒りの葡萄』だということになるし、スタインベックの死後には、次のようにも評されもしたのだ。
つまり、アメリカ国内でさえ、『怒りの葡萄』や『エデンの東』といった、ごく限られた初期作品のいくつかしか、高くは評価されておらず、ノーベル文学賞を受賞した頃には、小説家としての総合的な評価は、必ずしも高くはなかった、ということだったのであろう。
だが、日本での「村上春樹現象」でもわかるとおり、今も昔も、文学オンチというのは「ノーベル賞(受賞者・候補者・候補作品)」ということだけでやみくもに有り難がり、それらの作品を「傑作だ」と意味もわからず大騒ぎしては「大ベストセラー」にしてしまうものなのである。
無論これは「小説」の世界だけではなく、「映画」の世界でも「マンガ」の世界でも、まったく同じことだ。
その作品が、大きな「賞」を受賞したとか、その年の「ベストワン」に選ばれたとか「芥川賞」を受賞したとかいうだけで、まるで「天才」が現れたとか、「歴史に残る傑作」が現れたかのような「から騒ぎ」をするものなのだ。
要は、「ブーム」を作る「大衆」とは、ジャンルを問わず、いつの時代にも「開きメクラの権威主義者」たちなのである。
だから、スタインベックがノーベル賞を受賞した1962年は無論、それからしばらくの間は、日本でもスタインベックが「世界文学の巨匠」扱いにされていたのだろうし、だからこそ、私の世代は、そのような印象を植えつけられていたのだろう。
だが、そうした「宣伝的洗脳」の効力も、すでに切れてひさしくなったから、スタインベックの名を耳にする機会も、めっきりと減ってしまったということなのではないだろうか。
私の子供時分の印象では、スタインベックは、すでに亡くなっていた多くの「世界文学の巨匠」たちと同列に並ぶ作家だという印象で、そもそもスタインベックその人が、存命中のなのかどうかも知らなかったわけだが、結局、ノーベル文学賞受賞の1962年当時からしばらくの間は、彼は一種の「流行作家」だった、ということなのであろう。
以上ここまでは、このレビューの対象である映画『怒りの葡萄』そのものではなく、その原作小説について書いてきた。
これは、この映画が作られ、そしてアカデミー賞(監督賞と助演女優賞)を受賞するなど、アメリカでも高く評価されたその背景を、映画版を理解するための予備知識として、多少なりとも知っておいて欲しかったからである。
と言うのも、この映画が作られた1940年当時、つまり、その前年の原作刊行の当時だって、貧困農民層の側に立ったこの原作小説は、資本家やそちら側につく勢力から、激しい批判や否定的な評価にさらされたのだが、しかし、少なくともその当時のハリウッド(アメリカ映画界)は、「弱者の側に立つ」ということに臆したりはしなかった。
そしてその事実は、のちの「赤狩り」の歴史との関係で、「ハリウッドのアイデンティティ」に関わる歴史として、どうしても押さえておいてほしかったのである。
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しかし、私が今回、ジョン・フォード監督によって映画化された本作『怒りの葡萄』を見た主たる理由は、「赤狩り」との関係ではなく、主演がヘンリー・フォンダだったからである。本作は、彼の代表作のひとつだったのだ。
私は以前に、ヘンリー・フォンダ主演の映画『十二人の怒れる男』(1957年・シドニー・ルメット監督)のレビューを書いており、そこでフォンダを、次のように評した。
つまり、私にとって、「アメリカの良心」を体現する俳優であるヘンリー・フォンダの、別の代表作を見ようと思い、本作『怒りの葡萄』を見たのである。
そして、こうした個人的な見方が、必ずしもその実像と大きく外れていないだろうことは、映画『十二人の怒れる男』が、次のような事情で制作されたことからも裏づけられる。
つまり、『十二人の怒れる男』の原作テレビドラマは、それ自体、「最後まで理性的に話し合うという民主主義の理想」を語った傑作だったのだが、当時のテレビドラマは生放送であり、基本「一度きりの放映」で終わってしまうものだったのだ。
だが、それではあまりにも惜しいと考えたヘンリー・フォンダが、原作者であり脚本家のレジナルド・ローズに協力して、映画版のプロデューサーとして名を連ね、自身が主演することで映画化した、ということなのである。
つまり、平たく言うと「原作ドラマの理想主義精神に惚れ込んで」、フォンダはこの作品の映画化に尽力したのだ。
そして、こうしたヘンリー・フォンダのスタンスは、何もこの時ばかりではなかった。
他でもない、『十二人の怒れる男』より17年も前に作られた本作『怒りの葡萄』においても、若きヘンリー・フォンダは、同じ態度を示していたのである。
さて、そんな私の敬愛してやまないヘンリー・フォンダの、主演作にして代表作のひとつでもある『怒りの葡萄』とは、どんな映画だったのだろうか。
やっとここで、その内容に踏み込んでいこう。
つまり、原作小説では「搾取される労働者は連帯し、断固として資本家と闘うべきである」ということまでハッキリと語られていたのに対し、この映画版では、主人公のトム・ジョードが、こうした「社会主義思想に目覚めるところまで」を描くに止まっていたのだ。つまり、社会主義者となったトムの活躍は、まったく描かれていない。
これは、大筋で似てはいても、大きな違いだと言えよう。
映画の方では、主人公のトム・ジョードの一家が、さんざ悪どい資本家たちに騙されて搾取され虐められた結果、トムが「弱者の側に立って闘う人間になろう」と決意するところで物語は終わる。
その後に、トムの母親(名前が与えられていないため「ママ・ジョード」と呼ばれる)が、どんなに虐められても「民衆は強いんだ」という、いささか「お為ごかしの綺麗事」的なセリフを、取ってつけたように語るシーンがあるだけ。
これは、「Wikipedia」の説明にもあるとおり、監督の意に反してまで、「20世紀フォックス社の社長」命でつけ加えられたものなのだ。要は、「資本家」の一人である社長が、本作の「危険な政治性」を、無難に薄めようとしたのである。
だから、実際に映画を見てみるとわかるが、トムの別れた後の、最後のママ・ジョードのセリフは、いかにも「不自然に饒舌」である。
というのも、ママ・ジョードは、基本的には「学のない農民の主婦」であり、そうでありながら「家族への愛に満ち」かつ「いざとなれば、危険な運動に赴く息子の決意を支持する」ような「賢明な母」として描かれているのだ。
だから、最後の最後になって、彼女が「男はいざとなったダメだが、女は強いのよ。私たち女は、絶対にへこたれたりはしないんだ」みたいなことを能弁に語るというのは、まるで人が変わったような、不自然な印象を見る者に与えるのである。
そしてさらに言えば、そこまではたしかに良い演技をしていたとは言え、(主演のヘンリー・フォンダにではなく)ママ・ジョードを演じたジェーン・ダーウェルにアカデミー賞が与えられたというのも、政治的な配慮が窺われないでもない事実なのだ。
ともあれ、このような「改変」のあることを知っていただいた上で、まずは原作小説『怒りの葡萄』の「あらすじ」を紹介し、そのどこがカットされ、どう改変されたのかを見てみよう。
映画で描かれていない(カットされた)のは、最後の主人公のトムが『家族と別れて地下に潜る。家族を次々と失ってゆくジョード一家のキャンプ地に、豪雨と洪水がやってくる。』の部分だ。
つまり、映画の方では、『トムは、ケイシーを殺した警備員を殺害し、(※ そのため)家族と別れ』、ケイシーが示してくれた「弱き者」「苦しむ者」の側に立って生きるという決意を胸に旅立っていく、というところで終わる。
したがって、この時のトムの「旅立ち」の主たる理由は、「自分が殺人を犯してしまったため、家族のもとに止まると、一家がやっと見つけた安住の地を失うことになると危惧したため」ということなのだ。決して『(社会主義活動家として)地下に潜る』ためではなかった。
一一と言うか、映画の場合この段階では、無学なトムは、ケイシーが示してくれたものが「社会主義運動」と呼ばれるものだとは、まだ理解していなかった。ただ、ケイシーが示してくれた「弱き者」「苦しむ者」の側に立って生きるための「生き方を見つける」ために旅立っていく、というものなのだ。
たしかに、暗示的には「トムはこの後、社会主義運動家になるんだろうな」と思わせる描写にはなっているが、ハッキリとそう表明されているわけではないし、そもそもこの段階では、トムはまだ「社会主義運動家ではない」のだから、そのために「地下にもぐる」というのではあり得ない。
旅立ちの理由は、あくまでも「殺人犯のお尋ね者」として、家族に迷惑をかけないため、なのである。それがなければ、彼は、家族との生活を続けていく中で、社会主義運動家として成長していったはずなのだ。
そんなわけで、本作を最後まで見ると、いささか期待はずれの感がないでもない。なぜなら、私たちはそこまでの流れからして、最後はトムが、虐げられた労働者のために立ち上がる、というシーンを期待するからだ。
だが、物語はそこまでは進まず、「トムはこのようにして、社会主義との出会いを果たした。彼はきっとこの先、運動の伝説的な人物になるだろう」と「におわせる」だけで終わっているのである(しかも、前述のとおり、ズレた蛇足まで付け加えられてしまった)。
そんなわけで私は、本作の出来に必ずしも満足しているわけではない。
けれども、映画会社によって「薄められてしまったラストを持つ作品」だとは言え、一般には「社会主義映画」と言われるような作品に、それでもハリウッドがアカデミー賞を与えたという点では、一定の評価を与えてもよい「記念すべき作品」だとは考えるのである。
もちろん、こうしたことが可能だったのは、この映画が制作された時代の問題が大きい。その「1940年」という制作年は、前年の1939年に開戦する「第二次世界大戦」の初期であり、まだアメリカが参戦していなかった時代だから、当然のことながら、当時のアメリカには、まだ「共産主義(社会主義)フォビア(恐怖症)」というものが無かった、ということを意味しているのだ。
つまり、「社会主義」は、単純に「弱者のための社会思想」だと考えられていただけで、「共産主義」という「政治経済体制の抜本的な変革」までは、良くも悪くも考えられてはいなかった。
だから、アメリカにおいて「共産主義フォビア」が現れたのは、戦争の決着がついてからなのである。参戦して、すでに「戦勝国」となっていたアメリカにとって、「戦後世界」をリードするのは、「アメリカを中心とした自由主義(経済)陣営」なのか、それとも「ソ連を中心とした社会主義陣営」なのかと考えられ始めていた。
そして、戦後、間をおかずに「社会主義」国家が次々と生まれていったことを受けて、「アメリカ」発のものとして、日本を含む「自由主義経済陣営」の中で、急速に「共産主義(社会主義)フォビア」に広まっていったのだ。
つまり、終戦の翌年である「1946年」から、次々と「社会主義国」が増えていく中で『Red Scare(共産主義の恐怖)』が、まずアメリカで広がり、その主導で、自由主義陣営の他の国の中にも広まっていった。
そして、それが、最初にハッキリとしたかたちで現れたのが、有名な「マッカーシズム」による「マッカーシー旋風(赤狩り)」だったのである。
映画『怒りの葡萄』が作られた、1940年当時のハリウッドには、まだ人道主義的な理想主義が生きていた。
だからこそ、このような映画が作られ、アカデミー賞が与えられもしたのだが、その8年後には、国を挙げての「赤(共産党員およびそのシンパ)狩り」旋風が吹き荒れ、それはハリウッドでも同様だったということである。
ちなみに、ハリウッドがらみの「赤狩り」関係者として、次のような人物がいることを、映画ファンは、是非とも知っておくべきだろう。
下で言う「告発・密告者」とは、言うまでもなく、反共主義者の政治家や、「マッカーシズム」の流れに乗って「仲間を官憲に売った」ハリウッド関係者のことであり、「容疑者」とは「共産党員またはそのシンパ」と目され、あるいは「売られ」て、当局の取調べを受けたり、処分を受けたりした人たちである。
なお、「告発・密告者」の中に、のちのアメリカ大統領が2人含まれることと同時に、映画監督であるエリア・カザンの名があることにも、注意を促しておきたい。
なぜならカザンは、『怒りの葡萄』と同じスタインベックの小説、かの『エデンの東』(1955年)を撮った映画監督だからである。
見てのとおり、『エデンの東』は1955年の作品であり、「赤狩り」旋風終焉直後あたりの作品だが、その頃のカザンは、ハリウッドの中で、映画作家としての地位は、その実績において保証されていた人だったので、何事もなく映画を撮っていた。
また、『エデンの東』は、「社会主義思想」を描いた作品ではなかったことも、スタインベックの「Wikipedia」で、
と語られていたとおりで、この時期にこの小説が映画化されたことには、何の不思議もないと言えるのだ。
つまり、スタインベックというと、『怒りの葡萄』のイメージが強く、その点で「社会主義的な作品を書く作家」という印象が強いかも知れないが、必ずしもそう単純な話ではなかった。
そしてその事実は、『怒りの葡萄』においてさえそうで、『怒りの葡萄』には次のような見方もあって、同作を単純に「社会主義的な作品」と見るのは、浅薄な見方だとも言えるのである。
つまり、『怒りの葡萄』は、表面的には「社会主義映画」だと言っても差し支えのない作品ではあったが、しかしよく見れば、やはり「キリスト教映画」という側面も否定し難い性格を持っていたのである。
そうした点について、上の「Wikipedia」では、主に「聖書からの引用」「聖書の記述を踏まえた描写」といった、部分的なところが指摘されているが、私が見たところでは、そもそも主人公のトムは、イエス・キリストに準えられているのではないか、とさえ考えられるのである。
トムは、もともとは「無学」で「やや短気なところがある」ものの、しかし「母親思いの良い息子」である。本作では、そんな彼が「貧困農民」として資本家たちから虐げられる経験を経、さらに、元説教師であるケーシーの感化で「弱者のための闘いに目覚める(そして、そのリーダーになっていく)」という成長と変貌が描かれるわけだが、それは「大工の倅イエスが、洗礼者ヨハネによる洗礼を経(て聖霊が下っ)た後、キリスト(救世主)としての自覚に目覚める」という流れと重ねて見ることが可能なのだ。
そして、「母と息子の強い結びつき」という点では、「ジョード母息子」は「マリアとイエス」の関係に準えられていると見ることも可能で、だからこそ「母は目立つが、父は影が薄い」という点でも、両母子は「似ている」と言えるのである。
また、映画の最後で、トムが母に別れを告げる際、彼が「僕は、ケーシーに教えられたんだ。だからこれからは、苦しむ人たちのそばにいて、その苦楽を共にする生き方をしたい。それが具体的にどういうことなのか、今の僕にはまだよくわからないけれど、そんな生き方を見つけたいんだ」というような「無学な農民」には不似合いに立派なセリフを吐くと、ママ・ジョードが「お前の言うことが、私にはよくわからないよ。でも、私がいつでもお前の無事を祈っていることを忘れないでおくれ」というような言葉を返すシーンは、イエスがキリストとしての使命を悟り、それを母にも語った際に、マリアが息子に示した「戸惑い」と、とてもよく似ているように思える。
そこでのマリアは、後付けの理屈で、神秘的な「聖母」に祀り上げられた後のマリアではなく、貧しいユダヤ教徒の女性としてのマリアであり、そんな彼女の「当然の戸惑い」だったのである。
さらに言うと、映画の中でケーシーが殺されるのは、浅い小川の中でのことであったという事実も、きわめて興味深い。
河原でテントを張っていたケーシーたちのところへ、旧知の彼がいるとも知らずに、「労働者キャンプで起こっていたトラブル」の事情を調べるべく、トムは夜陰に紛れて忍び込んでくる。
そこでトムは、キャンプでの不穏な動きが、ケーシーらが労働者のために仕組んだ「ストライキ」であったことを知らされる。トムは「ストライキ」というものを、このとき初めて知ったのだ。そしてトムは、ケーシーから、黙って現状を受け入れているだけではダメだということをそこで教えられるのだが、その時、テントに忍び寄る多数の足音に気付き、それが襲撃者のものだと察知したトムたちは、小川の方へとおりて、そちらから逃れようとする。
だが、彼らは襲撃者たちに見つけられ、ケーシーはトムの目の前で撲殺され、それでトムは、思わずその相手を殺してしまい、お尋ね者になってしまうのである。
つまり、トムが生まれ変わるのは、ケーシーもその場にいた「川の中」であり、これは「洗礼」とそれによる「トムの生まれ変わり」を暗示したシーンなのではないかと、私は見るわけだ。
そして、スタインベックが、聖書を意識した描写を作品に込めるような「キリスト教作家」なのであれば、このような暗示的な描写があっても、むしろその方が自然なのではないだろうか。
このシーンで、ケーシーたちが、河原でテントを張っている必然性など、どこにもないのである。
そんなわけで、ましてや、エリア・カザンが映画化した『エデンの東』は、そのタイトルからして「キリスト教的な作品」であり、その意味ではほとんど「社会主義的な要素は無かった」からこそ、カザンが映画化することもできたのではないかと、そう考えられるのである。
ちなみにカザンは、その後もハリウッドで映画を撮り続けた。政治思想と映画作家としての仕事は別だろうし、法律に違反したわけでもない。
だが、だととしても、やはり、彼のかつての所業を許せないと思う人たちも決して少なくはなかったという事実を、示しておこう。
私としても、このくらいの反応は当然だと思う。
今年(2024年)には日本でも、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』(2023年の作品)が公開されたが、この作品で描かれる物理科学者ロバート・オッペンハイマーもまた、「赤狩り」の標的になった人であることは、前記のとおりだし、そのことについては、私も映画『オッペンハイマー』のレビューで触れてもおいた。
このように、ハリウッドには、「左翼思想」の関わる生々しい「葛藤の歴史」があり、その傷は今も癒えていないし、また決して癒えることもないだろう。
まただからこそ、ハリウッドがまだ、その「傷の疼き」を知る以前の(ステグマを負う以前の)作品である、本作『怒りの葡萄』は、その映画の中身以上の意味を持っている作品、言うなれば「エデンの園」を追われる前の、「楽園」時代の作品、とも言えるのである。
私たちは、この映画に描かれた「人道主義的理想主義」の輝きと同時に、それを捻じ曲げた「映画会社の社長」という「資本家側の人間」の(まるで「楽園の蛇」のように)いたことも、決して忘れてはならない。
なぜなら、こうしたことは、いま現在だって、本質的には、何も変わってはいないからである。
(2024年8月1日)
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