リフアト・アライールさんの詩🌿“ If I must die ”
“ If I must die ” ( Refaat Alareer )
If I must die
もし 私が死ななければならないのなら
you must live
あなたは生きなければならない
to tell my story
私の物語を伝えるために
to sell my things
私の遺品を売り
to buy a piece of cloth
布切れと
and some strings,
少しの糸を買うために
( make it white with a long tail )
長い尻尾のついた白いものにしておくれ
so that a child,somewhere in Gaza
ガザのどこかにいる子どもが
while looking heaven in the eye
天を仰ぎ見て
awaiting his dad who left in a blaze-
炎に包まれ旅立った父を待つとき ─
and bid no one farewell
その父は誰にも別れを告げられなかった
not even to his flesh
自らの肉体にすら
not even to himself-
自分自身にすら ─
sees the kite,my kite you made,
あなたが作る 私の凧が
flying up above
舞い上がるのを子どもが見て
and thinks for a moment an angel is there
ほんのひととき 天使がそこにいて
bringing back love
愛をまた届けに来てくれたと思えるように
If I must die
もし 私が死ななければならないのなら
let it bring hope
それが希望をもたらしますように
let it be tale
それが物語となりますように
🕊️
※日本語訳:2024年10月13日(日)21時
NHKスペシャル「If I must die ガザ 絶望から生まれた詩」より
🌿この詩の存在は知っていました。
2023年11月1日(水)22:01にSNSへ投稿されています。その後12月に彼はイスラエル軍の空爆により死亡しています。
私は自分のアカウントでリフアトさんのポストをそのままリポストしたりもしていました。でもそれ以上のことができずにいました。詩を読めば読むほど胸が張り裂けそうでした。
─ “ tale ” ─「物語となりますように」─
物語……その“意味”を想うとき、涙が込み上げてしまい、どうにもならない気持ちになります。
彼は詩人・文学者です。平和を手渡す実践者としての教育者であり、夫であり、父親でした。
生前、彼の語ってきた通り、何千・何万発もの爆弾よりも、この詩は今もまっすぐに多くの人々の心へ届いています。
ことばは物語として残り、死ぬことはありません。
「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」
※アドルノ『文化批判と社会』(『プリズメン』ちくま学芸文庫 )
ドイツの思想家、テオドール・アドルノ(Theodor Ludwig Adorno-Wiesengrund、1903 - 1969)の有名な言葉です。
私はパレスチナ人であるリフアトさんの詩が、時を超え、ユダヤ系のアドルノのこの言葉へ救いの手を差し伸べているように感じます。とても悲しい呼応ですが……。
「ジェノサイド」という言葉の意味が、物理的な大量殺戮だけを指すのではないことを最近知りました。心身を育む生活空間である「土地」、つまりは「文化」を徹底的に無きものにしてやろうとする虐殺こそがラファエル・レムキンの創出した新語「ジェノサイド=Genos(種族)+Cide(殺し)」なのだそうです。ターゲットは市井の人々だけではありません。知識層やジャーナリスト、医療の現場、歴史、芸術 etc…つまり「その後の復興を許さない」ということ。「精神的支柱」をピンポイントで狙い、徹底的に破壊することを核心としているのです。
リアフト・アライールさんの詩は、そんな絶望的な状況をかいくぐり、今や世界中の言語に翻訳され、こうして私たちの所へもやってきました。この言葉には間違いなく人間として心に訴えかける魂が宿っています。
同じ人間としてこの詩を手にとるのか。
それとも素通りするのか ──
私は最近つくづく思います。歴史上どんなに立派とされてきたものでも、「戦争やむなし、それが人間」としてしまう哲学は「真の哲学」ではない、と。それはもちろん科学にも当てはまりますし、文学や他の芸術、国家理念にも言えると思います。
我々はそういう時代に生きている人間なのだと痛切に自覚する必要があります。
矛盾しているようですが、私たちは「この先」何十年、何百年かかろうとも「今」止めなければならない理不尽に向き合う「責任」があります。少なくともそれらに対し麻痺してしまわぬよう自分へ問い続け、行動しなければなりません。
どんなに無視され馬鹿にされ妨害されようと、暴力の連鎖を断ち切らなければならないのです。身を守るためのサバイブと両輪で、です。
平和を享受する中でほんの少し、身近なところから取り組むだけでいい…その営みと連なりが戦争を抑止するのだと思います。
《追記》
それらを実際に長年こつこつと草の根的に体現してきた証が今年のノーベル「平和賞」(日本原水爆被害者団体協議会=被団協)や「文学賞」(ハン・ガンさん)の受賞なのでしょう。
2024年は袴田さんの無罪も確定しました。また、ドラマ『虎に翼』に代表される「社会問題へのアプローチ」を強く意識した日本のエンターテイメントが広く共有されるなど、ここ何十年か本邦で停滞していた“主体としての”民主的な動きが、再び息を吹き返してきた感があります。
この流れが途切れぬよう、これからも自分にできることを続けていこうと決意を新たにしました。私にできることは微々たるものです。それでも、です。
ことばの力、詩の力を信じてゆきます。
「微力だけど 無力ではない」
─ Weak, but not powerless ─
🌿imo
※この文章は10/13(日)の夜、NHKスペシャルを視聴した後すぐ書き始めました(私にとって大切な存在である人の誕生日でもありました)
最初は自分のためにリフアトさんの詩をいつでも読めるよう記録しておくだけの目的でした。でも書き写しているうちに、今私が思うことを添える意味があるような気がしてきて…その日のうちに終わるはずが、こんなに時間がかかってしまいました。正直まだ考えが未熟で戸惑いを隠せません。それでもこうして日々の想いを刻むことは大切だと信じたいです。