金持ちという長生きする種族
In Timeという映画がある。俺が資本主義を嫌いになったきっかけの映画だ。
ジャンルはSF。未来の人類は遺伝子操作で25歳から年を取らなくなることが可能になった。人口過剰を防ぐため、貨幣ではなく時間で取引をするようになった社会でのアクションとロマンスが描かれる。
その社会では大金持ちは"大時間持ち"であり、庶民からたくさんの時間を集めることで長生きしている。一方で貧民は時間に飢え、主人公の母親は主人公に自らの時間を与えたことで時間切れ=死んでしまう。
俺はこの映画を高1とかで見たとき、現実の話だと思った。それを実質寿命という概念で説明したい。
それは肉体寿命と違う。金持ちは長生きすると聞いてそれを医療や健康な生活習慣への物理的・時間的・人脈的・金銭的アクセスの容易さだと思っただろうが、そうではない。
人間は幸せになるために生きている。仕事は金銭を得るためのもので、金銭は美味しいものを食べたい好きな服を着たりするためのものである。
つまり、人間らしい時間は幸せな時間であり、幸せな時間は趣味の時間である。趣味のための仕事の時間は幸せな時間ではないので、人間らしい時間ではない。幸せになることは人間特有の能力だが、労働はロボットでもできることだ。
この、人間らしくない時間は歯車の時間であり、人生のうちに入らない。忌々しい時間として忘却・排除される。なら、人生の1/3が歯車の時間だとしたら、労働者の人生は実質的に2/3である。一方、働かないお金持ちの人生は実質的に3/3である。労働者が60歳までしか生きられないのに対し、お金持ちは90歳まで生きられる、と言っていい。この話を聞いて実質寿命がどういうものか分かっただろう。
生命はもっとも尊いものであり、それをできる限り持続させることは善とされ、寿命を伸ばすように医療技術や遺伝子科学が努力している。であれば、この非物理的で不可視の、しかし生命に関係する格差はひどくおぞましいものではなかろうか。幼い俺でさえ、哲学を学んでいなかった俺でさえ直感的に危機を感じた。
俺は歯車の時間を出来る限り減らして人間らしい時間を増やすことが大切だと思う。そのためには資本主義は終わるか修正されるべきだ。
だが、歯車の時間はますます増えている。労働時間自体は産業革命より減ったが(元々それが多すぎたということも言えるが)、労働時間外まで労働は滲み這い寄るのだ。
たとえば、パソコンができる前は電車の窓から景色を眺めることができた。今では移動時間中も仕事をさせられる。あるいは経済のニュースをチェックさせられたり、会社の上司と飲みに行ったりさせられる。
また、学業についても、それが働くためなのであれば、労働の準備時間という準労働時間と言うべきものである。仕事と趣味のために免許を取りに行くというのも半分は労働である。
俺は誰もが平等に働くというよりも誰もが平等に働かないことを薦める。たしかに、望んで仕事をしている者たちもいるだろうが、べつに彼ら彼女らは仕事ではなくても勝手にやっているだろう。そしてそれを損とは思わない。格ゲーのコンボ研究が仕事になってる世界線があるよ、と言われてもこの世界の格ゲーマーは「はあ」って感じだろう。結局、たまたまその趣味が仕事になる世界線だったというだけの話だ。
また、こんな世の中でも幸せな時間は人間らしい時間だと言えるが、その人間性も疑わしい。現代にはさまざまな娯楽・趣味があるが、貧民とお金持ちではそれらに対する体力的・時間的・金銭的・人脈的・機会的アクセスの容易さが違う。貧民には質の低い幸せしか用意されていなかったとしたら(それが本人の自覚の有無に関わらず)、その人間らしさも低いものになるだろう。つまり、お金持ちからしたら、人間が猫にマタタビをあげて「マタタビごときでこの喜びようか」とおかしむような。
幸福へのアクセスの容易さは平等でなくてはならない。総じて、格差は是正されるべきである。少なくとも人道主義からして。