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認知症で要介護5の父、要介護3の母が暮らす郷里の老人ホームがほぼ実家になりました。 父母のやりとりは昔同様で夫婦漫才みたいでしたが、一方でヒヤヒヤすることの頻度が増えていったんです。

チョコ(高齢犬トイプードル)は、たくさん眠るようになりました。オムツをして、ぼんやりして、甘えて、食べたくなければ食べない 。赤ちゃんだ! そしてますますカワイさ爆発でした〜。

タブレットの操作になれない母の話1

実家を片付けながら朝、母の病院に行き昼、父のホームに行き、夕方、また母の病院にいく。 息子は仕事、娘は学校があって今回は独りで行ったけれど広い実家が怖かったです。

春の朝のお散歩で見た柴犬ちゃんが 神々しかった件

さて毎週水曜日療育に通うことになりました。まずは朝8時台に、こだわりの強い4歳児をぎゅーぎゅーの満員電車に乗せての通所です。

倒れた母は生死を彷徨い、主治医は「会わせたい人がいたら今のうちに連れてきて!」と言いました。 迷わず父を母が入院している大病院に連れていきました…が、良かったのかどうか。

「きれいに ちゃんと じっくり ゆっくり」 vs「 早く! ざっくり!! だいたいでいいからー!!」は、どっちが親の言葉わかりませんね。そして今日も母は雑念だらけで失敗しちゃうのでした。

いよいよ母が倒れました。それはいつか来るXデー…と思って焦っていたのは私だけでした。義母の時も同様で、心配して嫌われて、結果も心配した通りに…というやるせなさでした。

穏やかで幸せな帰省、親との親密な関わり。それは面倒くさいけど魅力的でした。いずれ長く続くものではないと思っていたからかも。そんな日々をホルモン的に表現してみました〜!!

愛犬が老犬になっちゃって、なんだかいろいろ考えちゃうと落ち着かないですー。おじいちゃんなので 頼りなくなっていくんですが、それが赤ちゃんみたいで可愛くってて、も〜!!

楽しめると思い込んでいた"夢見る遊園地"でお兄ちゃんは残念にも固まってしまいました。でも強い感情は意外なものを生み出したんですよねー。遊園地は何を生み出したかな?

スズメバチ怖〜い、でも… 家に入ってちょっと考えると 「そーでもないかも」と思う。綿毛のように思考があちこちに取り止めなく飛ぶのは暑さのせいかな。

庭の木を剪定していたら、すごいものが出てきました。 なんだこれ? 見慣れないここにあるはずのない何か。

人はいろいろな側面から数値化されます。当時お兄ちゃんは「S-M社会生活能力検査」というもので数値化されました。私も数値化されたらどうなるかおっかない。公開しちゃいますけど。

「できない」ことと「できる」ことを親がちゃんとわかる、そんで「できるのにやらない」ことに着眼する。案外それを知っているのは保育士さんだったのよね、保育園入っててよかった〜。

お兄ちゃんを数値化しそれをもとにいろんな専門家が判定したり方向付けたりしました。そして私たち親子は地図を手に入れて行ったわけです。果てしない地平線のどちらに進むべきか。

発達障害のあるお兄ちゃんに「やって〜」と頼んだが「やって」がわからないみたい。だったら「やって」と思ってもらおう、同じ気持ちにならないと相手の要求がわからないだろうから。

発達障害の子の言葉を引き出すにはどうしたらいいのか?を日常で模索していました。遊びで出す、思わず出す、うっかり出すのを結構楽しんで探る日々でした。

言葉の遅い子が「言葉の芽が出る時、発信しているもの」をキャッチする。 それを親は見逃さないようにして応えていく。難しいけど楽しいですよ!

散歩のオマケのオンシーズン到来!春と秋はもふもふ系には面倒なオマケが多いんです。お散歩から帰ってからがめんどくさい。

臨床心理士さんの話まとめ。 というか、課題! 要するに、何もせずに「改善」はない!と言うか、「ゆっくり見守りましょう」ではないような感じになってきました。

脳梗塞で緊急入院となった義理の父は,入院先でもっと重症なことがあるのを告げられる。それは予兆があったのにかかりつけ医では診断されなかったこと。

認知症の義父の入院中の問題は何だったか?だんだん人間扱いできなくなっていく現実。 どうしようもできない家族。 だれも悪くない、仕方がない、でも自分だったらやっぱりいやだな。

理学療法士さんには見えて、4年も一緒にいながら母には見えなかった息子の側面。人の意見は聞き入れにくい、でも専門家の正しい意見は素直に頭にいれないとね。

臨床心理士さんの話3。 お兄ちゃんは始めに原始反応を診られて、その後公園で一緒に運動。 そして最後に屋内に戻り発達テストをしました。これがまた…

臨床心理士さんの話2 運動が苦手だと自我が? 今回も予想外の話と、今後の要請。 瞬時に言い訳を考えまくった私、しかし…

父のがんの手術→麻酔から覚めず→食欲なし→せん妄三途の川発言連発→生きる気力なしからなんとか生還。やっと漕ぎ着けた退院の門!! と思いきや人生いろいろ入院いろいろ。 どこに行き着くのか我が家!?このまま退院できれば少しづつ元の生活に戻れる…と思ったんだけど。

前回理学療法士さんで、 今回は臨床心理士さんの個別指導をしてもらう機会をいただきました。 前回も予想外でしたが、今回も意外!でした

リハビリをして歩く練習しようよ!と説得したものの 伝わらないこと岩の如し。 でもね、 お父さん!私たちは岐路に立っているみたい。 今考えると重要なところだったのです、私たち。

退院当日に足指の骨折→退院どころか転院に!→転院先が決まらない。 予定はどんどん違う方向に、人生は曲がり角の先に何があるのかわからない!!

舞い込んだ応援。それはきっと父の亡き親族からの発信だったと思いました。お父さん諦めたり腐ったりしないでもう先に進もうよ!

父も、いよいよ転院しなければいけない期限がきました。 選択は時に人生を大きく変えてしまいます。 私たちはこういう時に何を選択していけばいいのか?私の体験から何かヒントを得てくれる人がいたらいいなと思っています。

青菜が敵になる理由がなんとなくわかった。 それは「親の会」 で理学療法士さんの個別指導での話からだった。 人は受け入れられないことに小さい子でも理由があるのだ。

お兄ちゃんが2歳ちょっとの頃、いつも通る道に「障害児の親の会」の小さな看板に気づきました。思い切って門を叩くと新しい世界が広がっていきました。新しい扉は案外近いところに。

脳梗塞で大きい病院に救急搬送された義父は容体が落ち着いて中くらいの病院に転院。そりゃ変化に頭がついていけないでしょうけど、やっぱり大きく出てきたのは認知症の方でした。

不機嫌病練、そう呼んでいました。父の入院から半月経ちました。思い出してみるとその頃から無くなった大切なものがありました。

お兄ちゃんの「石舐めは何だった?!」 今なら聞ける!そう思い20代後半のお兄ちゃんに聞いた当時の好き嫌いのこと

偏感覚なのか偏食なのか? 発達障害のお兄ちゃんの味覚、嗅覚、舌の触覚。他の子でも目撃したけどやっぱり何か違うんだろうね。

これは食べるもの、それは口に入れないでー!!! 偏食と変食の話、こういう子たちって食が難しいのよね。

まずは最近のウチのお兄ちゃん。 彼は自閉症スペクトラム。 これから会社に出勤です。これが毎朝の風景。これから描いていくお話は自分と家族が歩んできた30年くらいの足跡です。

少しずつ予想外の展開になる父の入院生活。いつの間にこんなコースに入っちゃったのか?力強かった父の衰えていく姿をカーテンの隙間から見てしまった。

青菜が君に何をした? 好き嫌いを超えた拒否はなぜなのか? ここを何とか乗り越えたい。

義父はその後血栓を取り除く手術をすることになりました。めまぐるしく展開する入院生活。毎日説明を受け、決断しサインをしていく。知恵と経験がないので進められるまま即決でした。

父の入院も思いのほか長引いて、ヘンテコ発言にいちいち動揺して負ける母。そんなに正面対決してたらダメじゃん!と思いつつ、無駄なケンカを避けるためこっそり思うだけの私だった。

王様と奴隷②

4年前