私の過去と鬱病体験記 Part4
前回の続きになります。
第12章 友達の性格
少し私の友達について詳しく話そうと思う。彼女はかなりの変わり者だ。家庭環境が複雑だからか、はたまたそういう性格なのかは分からないが、嘘つきである。そして先ほど話した通り、遅刻魔でドタキャンする人間である。言い方は悪いが、最低な人間だと思う。そして本当のことである。
遅刻するのはさておき、ドタキャンと噓つきが問題である。中学校卒業後に連絡を取り合い「お互いの文化祭を回ろう」と約束をしていた。だが、彼女は私と会うことをドタキャンし、約束を破った前科者である。あの日は忘れられないし、口では「いいよ。いいよ。」と許したが、根に持っている。もう一度言うが、今でもかなり根に持っている。
先に私たちとの約束があったにもかかわらず、他の人の約束を優先したのだ。ありえないことである。もし、約束が重なってしまっていたら、すぐに言ってほしかったが1カ月前くらいに私たちは先に約束していたのだ。その日の予定を知っていてもなお、他人の約束を優先したのだ。
この時点で友達をやめるべきだったと今は思うが、当時の私は「高校生にもなって友達が1人もいない方が恥ずかしい思いをする」など、そんな誰も気にしないようなことを気にしていた時期であった。
ドタキャンの連絡があった日は本当に膝から崩れる勢いで失望した。物凄く楽しみにしていた。あまりの出来事に私は初めて友達にキレた。顔も見たくないほど腹を立てた。1年以上口を利かなかった。遅刻よりもドタキャンの方が許せなかった。
第13章 嘘つき
もう1つ、彼女の悪い癖がある。嘘つきである。言うことが毎回違うのだ。ある時には、「〇〇になろうかな」や「何か資格取ろうかな」など、大層なことは言うが、それに見合った努力は全くやらないのである。
今回もそうだ。話の流れで大学の話になったが、彼女は大学に行きたかったのは知っていたし、行くことが決まっていた。だが、状況が変わり、進学できるだけの財力がないことが分かった。私は親身になって、就職活動をするなら気を付けた方がいい点や、高校の就職の流れ(高校就職は、大学生のような一般の就職活動とは大きく異なる)など分かりやすく説明した。友達が大切だったから。私みたいに失敗して欲しくないと思っていたから。
「大学に行けなくなるかもしれないから、就職活動しなきゃいけないかも」と泣き言をほざいていたが、のちに彼女は大学へ進学した。嘘つきである。友達のことが更に嫌いになった。小さな出来事の積み重ねで嫌いになった。
言っていることと、やっていることがコロコロ変わる。気分の浮き沈みが激しいので「鬱病ではなくて躁鬱なのでは?」と思うときもあった。
1度だけ「就職したい?」と聞いたことがある。彼女は「働きたくない」と笑いながら言っていたが、これは本心だなとすぐ分かった。話していて分かる。おそらくは彼女は本当に働きたくないのだろう。大学に進学すれば働かなくて済む。4年間、働くことから逃げられる。そんな考えが滲み出ているのがよく分かる。どうしようもないタイプの人間であることを悟った。
その日は別れた後、私は彼女と連絡を取ることはなくなった。
第14章 後悔
別れた後「会わなければよかった」と思ってしまった。なぜ私が相談役を受けなきゃならないのだろう。私の方が辛いのに。そんなことを思ってしまった。人によってそれぞれ耐えられる辛さのキャパシティーは比較できないけど、相手も辛いことは確かだ。周りの環境であったり、病気の有無だったりと、生まれた瞬間から何もかもが違うから、辛さを比較するなんてできっこないのに。私は友達の辛さと自分の辛さを無意識のうちに比較していた。ましてや自分と友達の辛さを比較することなんて今までなかった。ここまで自分は追い詰められているんだと思い知った。
自分のことで精一杯だった。他人の心配なんてしていられるほどお人よしになれなかった。家に帰ってからいろいろ考えていた。気づいてしまった。嫉妬だ。なんだかんだ言いながら上手くいっている友達が気に食わなかった。
対しての私は踏んだり蹴ったりの人生。良いことがない。私の過去を前にお話ししたが、あれはほんの一部に過ぎない。実際、全部を話すことになると、エピソードが膨大な量になるため、私の人生が大きく変わった分岐点である主要な出来事を簡潔にまとめた。努力は報われない。人にも裏切られ、どんなに努力してもその努力すら裏切られる。どんな逆境でも負けじと頑張ってきたが、一体何のために頑張ってきたのだろうか。輝いている友達と比べて、自分が惨めに思えてきた。私は一体、何をしているのだろうと。
第15章 不平等と不公平
世界は不平等で不公平だ。ニュースで見る犯罪者ですら、必ず健康体を持っている。大体無職だったりするが、仕事なんていくらでもあるし、選べる自由がある。雇用形態さえ妥協すれば、どこだって働けるじゃないか。私の友達だってそうだ。健康体を持っているのに「働きたくない」って冗談だろ。だったらその体を私にくれ。お前には勿体ない。私の難病では、コンビニのバイトすら出来ないんだぞ。茨の道どころじゃない。死んだほうがマシ。ないものねだりだ。なんで真っ当に生きている私はその健康体を与えられなかったの?前世で人でも殺したんですか?
軽度であれば仕事の幅は広がっていた。でもよりによって重度だ。これは、医者が言っていたことだが、
「小学生でここまで酷い人は見たことがない」
「年を取るにつれてその症状は酷くなる」
とも言われた。発狂ものだ。これから先あと何十年もこの難病を、この苦しみを背負って生きていくなんて、気がおかしくなりそうだ。終わりの見えない悪夢である。今まで「よく生きてこれたな」と思う。
よく宗教を信仰している方が言うことだ。難病や障がいは「神から与えた試練」とか、あるいは「障がいは個性だ」などと、クソみたいなことをほざいているが、誰がそんな試練欲しいかよ。こんな個性なんていらないし、こっちから願い下げだ。ふざけんな。実際に同じ難病になってから言えやこのクソ偽善者野郎。その他にも「あなたの苦しみは分かるよ」とか言うが、分かるわけない。実際になったことがないのに何でそんなこと言えるのだろうか。良い人ぶっている偽善者。気色悪い。
そもそも私は神を信じていない。死後の天国や地獄も信じていない。死んだあとは、寝ているときのように真っ暗で死んだことにすら気づいていないと思う。もし地獄や天国が存在するなら、難病を持っている状態で天国や地獄に行くのか?まだ生きなきゃいけないのか?冗談じゃない。永遠に苦しまなきゃいけないのかよ。ただでさえここが地獄だというのに何になるんだよ。
イエスキリストみたいに原因不明の病気が治せるなら神を信じるよ。そんなこと起きないじゃないか。そんなもんだ。神なんていない。人は孤独や死などを怖がるから気をそらすために宗教は作られたのだと思う。現実逃避だ。何かに縋らないと生きていけないんだよ。人間は弱い生き物だから。
それに仮に神がいるなら私はその神の息の根を確実に止めに行く。地獄だろうか這いつくばってでも終わらせてやる。地獄はここだ。来世というものが存在するなら、来世は絶対に生まれたくない。人生ターンエンドだ。
勘違いして欲しくないのは、何を信仰しても私は尊重する。あくまで私は全く神を信じていないだけだ。私の考えも他人に押し付けない。それだけだ。他人に害を与えなければ、好きに信仰すればいいと思う。
不平不満を漏らしているわけだが、人間も動物も、生まれた時は公平じゃないのに、死は共通して平等なのは皮肉な話だ。平等と公平は一見似ているようで全く違うものだ。
Part4をお読みいただきありがとうございました。
次回はPart5に続きます⛄