#毎日note
【創作大賞2025に向けて】来年私が目指すもの
多くの方が既に投稿されている企画「創作大賞2025に向けて」に遅ればせながら参加します。まず、今年のベストレビュアー賞受賞について触れ、その後に来年への決意表明をするので、創作大賞2025対策の参考になれば幸いです。
【感想】連続受賞のプレッシャーと喜び
なぜか連続でベストレビュアー賞をいただきました。とてもうれしいです。それと同時にプレッシャーも感じました。なぜなら「ベストレビュアー賞が欲しい
大事なものを踏みつけられると、人はブチ切れる
地雷ってやつです。たとえば私が「記事を毎日更新するのなんて意味がないよね」って書く。これは自虐です。でもそれを真に受けて「そうそう。毎日更新なんて時間のムダだよね」ってコメントをされる。
「……はぁ?てめぇ、ブチ※すぞ」
リアルコミュニケーションでもよくある現象です。仲のいいグループで1人イジられるやつがいる。そこにあまり仲のよくない人が混じってきて同じように1人をイジる。ほぼ10
黄色い線を譲ってください
最寄駅の東口ができて1年になる。
東西自由通路ができたので、踏切を渡らなくても駅に行ける。
これまでの3分の2で駅に行けるのはありがたい。
駅舎はできたけれど、駅前広場の整備は遅々どして進まない。
建設業界は人手不足なのか?
どこかでは工事を進めてはいるのだが、目に見えて進むというほどではなかったりする.
8月末、点字ブロックが整備されて屋根の下にも照明がついた。
「やっと安心して歩ける」と白
わたしがnoteで書かないと決めていること。
【439日目】
後すこしで700フォロワーさまとつながれます✨
わたしは400日以上noteを更新してきて
決めていることがあります。
悩んでいる日。もどかしくてわめきたい日。
何をしてても悲しくて、正直noteアプリを
ひらいている場合じゃない日もあった。
でも、ひとつだけ決めている。
それは、「最後には暗くならないこと」
noteで書くにあたって
大切にしたいのが「共感」。
気楽にす
ネガティブに引っ張られないように、負けじと書くのだ。
毎日必死に生きて
こころの声を言葉にする
このフレーズは、ちょっと前まで、
プロフィールに書いていたものです。
少し前に、プロフィールを
プチリニューアルしたんですよ。
その時に、消したのが
『毎日必死に生きて』の部分。
今でも、毎日必死であることに
変わりはないのですが、
なぜ消したかと言うと
なんだか暑苦しく感じるようになったから。
サラッとして、
流れるような文章を書きたくて。
「そのままでいいよ」って、どこのこと?
生きづらい人に対して、このような声かけがあります。
それはnoteの記事にも。
自分自身の声かけ体験をそのまま記事にしたりもだし、また、その方へのコメントにも出てくる「そのままでいいよ」
わたしは以前からこの一言に違和感がありました。
どこをどう見てそう言えるのか?
そのままを続けられるとどうなるかを想像した上で言っているのか?
見方によっては、「苦しいままでいいよ」ということになります。
やってみて、わかること
「上手いことできないから不安なんです」
「何もいいものが思い浮かばないからできません」
「どういう結果になるか未知数で」
何かをやる/やらないにおいて、そういった選択基準で「やらない」を選ぶことって多いと思う。
言わんとしていることはわかる。
実際自分もそういう選択基準で物事を選んだことはある。
でも、それだと「そこまで」なんだよなとも思ってきたのは大人になったからだろうか。
大人になって
今日車の窓を勝手に開けた次男を危ないからと叱った。すると『ママきらい‼️』と泣かれた。
あん?ママは君の小児科通いでお疲れなんだが?とイライラビリビリサイヤ人モードに入ったが、『まあ地球に生まれてまだ3年だからな!』と思って放電を収める事に成功した。
我ながらナイスな考えであった。