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工藤隆 『女系天皇 天皇系譜の源流』 : 「事実」 を探求する 〈研究者スピリット〉

書評:工藤隆『女系天皇 天皇系譜の源流』 (朝日新書)

まず初めに紹介しておきたいのは、このAmazonのレビューにおいても、自分の気に入らない(「自己愛史観」に合致しない)「説」を唱えている本については、最後まで読むこともしないで(あるいは、内容紹介文だけ見ただけで)悪口を書き連ね、評判を落とすことで、少しでも「一般の目」に触れさせないようにしよう、などという姑息きわまりないことを平気でやっている、倫理観の欠如した「ネトウヨ」レビュアーが、現に存在するという事実である(つまり「愛知トリエンナーレ2019」の『表現の不自由展、その後』について、いやがらせや脅迫の電凸を行なったような人たちだ)。

当然のことながら、そんな彼らのレビューには、批判するにあたっての「具体的な根拠提示」が、まったくない。
日頃から硬い本、例えば学術書など読んだこともなく、情報の入手先がネットオンリーの「ネトウヨ」が、好き勝手なことを書いているだけだから、そもそも「根拠提示の必要性」など、考えたこともないのであろう。
昔の「ネトウヨ」は「ソースを示せ」というのが口癖だったが、今の「ネトウヨ」には、それすらない。論述能力は無論、論理的な思考能力も無いのに承認欲求だけは強い人たちらしい、まことに呆れた行状だ。

一方、著者は生粋の「学者」である。「研究」によって史実を明らかにしたいと願う人だ。だからこそ、自己中心的な願望だけで、歴史ファンタジーを歴史だと思い込みたがるような、馬鹿者に対する嫌悪と怒りは相当のもので、本書には、次のような学者くさくない直裁な言葉も綴られている
(「※」は引用者補足、引用にあたっては、適宜、漢数字をアラビア数字に置き換えた)

『この(※ 天皇家が「二千年以上」続いていると言った、安倍前首相)ような非科学的な皇国史観的天皇観は、安倍晋三政権時代の閣僚のあいだではかなり常識のように共有されていたようである。
 たとえば、平成期の天皇の「退位」問題が、天皇自身の言葉で提起された結果(2016年8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」)、政府主導の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(2016年10月17日に初会合)が発足した。この有識者会議の「最終報告」(2017年4月)は、「おわりに」の中に「皇族数の減少に対する対策について速やかに検討を行うことが必要であり」という一節を入れた。その結果、2017年6月9日、天皇の退位を実現する特例法案が、衆議院に続いて参議院でも可決され、成立した。同時に、「女性宮家の創設等」を明記した安定的な皇位継承をめぐる付帯決議も採択された。しかし、その二日前の参院特別委員会の審議では、菅義偉官房長官(当時)が、「女性天皇」については「男系継承が古来例外なく維持されている重みをしっかり踏まえつつ、引き続き検討していく」と明言していた。やはりこの官房長官も、男系継承は「古来例外なく維持されている」と断言していた。』(P45~46)

『 このように、「二千年以上」という数字や、男系継承が「一つの例外もなく続いてきた」ということが、呪文のように発せられ続けると、いつのまにか、これが真理だと思い込む人々が多数派になってしまうことになりかねない。ましてや、政権を掌握している側が、確かな証拠と他者からの批判に耐えうる論理とで思考する態度を放棄し、日本列島民族(ヤマト少数民族)のマイナス面の文化的伝統である「こうあって欲しい願望」(工藤『深層日本論』)に流され続けていると、その緩んだ思考回路が習い性となり、戦争・原子力発電所事故・大災害・感染症拡大といった肝腎な時に、決定的な判断ミスを犯すことになる。これは、代表的には、1945年の破滅的敗戦と2011年の福島第一原子力発電所の深刻事故で実証済みである。』(P48~49)

「非科学的思考」がまかり通っている日本の現状への、学者としての腹立ちは、しごくもっともなことである。

ちなみに、『「二千年以上」という数字や、男系継承が「一つの例外もなく続いてきた」』といった、安倍晋三菅義偉のような政治家の歴史認識が「非科学的」だと断ずるのは、日本の古代史研究者の、次のような「常識(通説)」を根拠としている。

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『 この安倍の論理でまず違和感を与えるのは、「二千年以上にわたって連綿と続いてきた皇室の歴史」という部分である。というのは、今から「二千年」前というのは、考古学が明らかにしてきたことからいえば弥生時代の中期であり、この時代にすでに「皇室」が存在していたというのは、ありえないことだからである。『魏志』倭人伝が伝える邪馬台国(クニ段階)の女王卑弥呼の登場でさえも、紀元後180年位であるから、それより180年以上前にすでに「皇室」が存在していたなどとは、少なくとも(※ 敗戦によって「現人神たる天皇を担ぐ、皇国史観」が否定された)1945年以後の、科学的客観性が重視されるようになった日本の学問水準からすれば、ありえないことである。』(P41~42)

また、「女性天皇」については、現在の「皇室典範」の規定とは違い、『日本書紀』や『古事記』などにも、推古天皇(33代)、皇極天皇(35代)、斉明天皇(37代)、持統天皇(41代)、元明天皇(43代)、元正天皇(44代)、孝謙天皇(46代)、称徳天皇(48代)、明正天皇(109代)、後桜町天皇(117代)と、おおぜいの存在が記されているのだし、7世紀に成立したこの「紀記」二書において、「ヤマト朝廷」が朝見した先進強国「唐」の「男系男子継承」に似せようとして、「女系」隠滅の「歴史的事実の改ざん」を行なっているにも関わらず、古代史学者らの綿密な研究から、それが十二分にあり得たことも判明しているのである。

だから、本書著者が研究している「日本古代史」について、基礎資料たる『日本書紀』や『古事記』すら読まずに、ネット検索による偏頗な知識だけで「こっちに賛成、あっちに反対」などと言っていれば、自分がいっぱしの「歴史通」だなどと勘違いしてしまうような、脳内お花畑的「日本ファンタジー」に浸っているだけの「ネトウヨ」(安倍晋三周辺や「日本会議」「神社本庁」なども含む)が、身の程も弁えずに、あれこれ利いたふうな口をきくのを目にすれば、研究者である著者が、うんざりさせられるは、当然ことなのだ。

だがまた、本書著者と「ネトウヨ」とでは、そもそも「次元」が違いすぎるのであるから、「話にならない」というのも、致し方のないことなのではあろう。
『日本書紀』や『古事記』も読まないで、古代史を語るような人とは、わかりやすく言い換えれば、デュパンもホームズも読んだことのないど素人が、知ったかぶって「名探偵とは」などと、ミステリ(推理小説)を語るようなもの。クラークやディックを読まずに、SFを語るようなものなのだ。
私なら「おまえら(ネトウヨ)は『転生したら古代日本の天皇だった件』でも読んでろ」とでも言いたくなるところなのである。

ともあれ、日本最古の「歴史に関する文字資料」である『日本書紀』や『古事記』とは、地方豪族を平らげて、「クニ」を形成した「ヤマト族」が、自らの権威を確立すべく、7世紀になってから「後付け」ででっち上げた「血統と歴史の書」であり、「伝承の神と自分たちの血筋を結びつけた、壮大なフィクション」でしかない。

さらに、「邪馬台国の卑弥呼」の存在からもわかるように、もともとは「女王」や「女系王」が存在したにもかかわらず、先進強国の「唐」から、地方(辺境離島の)蛮族だと見下され(武力制圧され)ないように、漢民族の伝統たる「男系男子継承」が「ヤマト国」の伝統ででもあるかのように歴史を改ざんして、体裁を整えてみたのだが、それが今ではあだとなり、天皇制存続の危機を招来しているのである。

したがって、著者としては、「文字資料が無いから、それ以前については、なんとも言えない」といった「文字資料」至上主義(完結主義)では、現今のような「証拠がないのなら、何でもあり」みたいな事態を許すことになってしまうので、「文字資料」以前の「日本の現実」を解明するために、広く東アジアにおいて同型の文化を有する民族についての「文化人類学」の知見を縦横に駆使して、学問的に説得力のある「仮説」を立てて見せたのである。

つまり、過去の「ヤマト朝廷の歴史捏造」に対して、現在の「人類学的な仮説」を対峙させることによって、未来に「文化財としての天皇制」の存続可能性を開こうとしたのだ。

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著者の「仮説」の詳細については、是非とも本書にあたって確かめてほしい。読めば、その説得力が、『日本書紀』や『古事記』といった「あからさまな政治文書」などの比ではないことが(ネトウヨ以外には)明らかとなろう。

ちなみに私個人は、「天皇制」など無くせば良いという立場であり、「文化財として遺したい」という本書著者の立場よりも、ずっと強硬な、反「天皇制」論者である。

しかしながら、本書著者を「天皇制」支持者だなどと誤解してはならない。
本書著者は、あくまでも「無形文化財としての天皇祭祀」を遺したいのであって、「神権政治制度としての天皇制」を残したいわけではない。それには、真っ向から反対しており、現憲法の「象徴」という表現すら、天皇の神秘性を延命させるための(敗戦時の)レトリックだったと鋭く批判しているほどなのだ。

本書著者の言う「文化財」とは、例えば「法隆寺」や「出雲大社」の建物について、その宗教性とは別に「文化財としての価値」を認める、といったことだ。日本の津々浦々に今も残される「盆踊り」が、「宗教儀礼」としてではなく「文化財」として残れば良いように、「天皇祭祀」も「無形文化財」として残ってほしい、ということなのである(そうなると、天皇家は、茶道や華道の「家元」みたいな位置づけになる)。

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(旧皇族・竹田家出身で家柄が売りの、右派政治評論家 竹田恒泰の著書)

ともあれ、女性天皇の歴史的な実在とその実績を認めず、所詮は「明治維新後」のものでしかない「男系男子天皇」に固執する「ネトウヨ(系の、自称「保守」)」というのは、先進制度として日本に輸入された「唐の皇帝制度」(に内在する、中国漢民族の伝統である、王権の男系継承観念)を、その無知ゆえに後生大事にありがたがる、自覚なき「中華思想」の持ち主(無自覚な、中国の猿まね愛好者)だと言っても、決して過言ではないのである。

本書における著者のメッセージとは、「現実を見よう。そして現実の日本を愛そうではないか」ということだ。
「学問」とは、そのためにこそあるのである。

初出:2021年2月16日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年2月25日「アレクセイの花園」
  (2022年8月1日、閉鎖により閲覧不能)

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