『加藤周一対話集1 〈日本的〉ということ』 : 背教者としての 「隠れキリシタン」
書評:『加藤周一対話集1 〈日本的〉ということ』(かもがわ出版)
加藤周一を読むのは、これが初めてである。
今回は古本で何冊か購入したのだが、なんとなく堅苦しそうな印象があったので、手始めに、対談集である本書を読んでみたという次第だ。
もちろん「加藤周一」の名前は知っていた。何度かその著書を手に取ったこともあるが、これまでの数十年、実際に読むには至らなかった。
なぜかというと、加藤周一という名前には、「典型的な進歩的文化人」「市民運動をリードする知識人」という印象があって、私はそういうものが、あまり好きではなかったからだ。
こう書くと、長年「ネット右翼」と喧嘩ばかりしてきて、ネトウヨからは「パヨク(左翼の蔑称)」呼ばわりされ、自分でも「どちらかといえば、私は左翼だし、そう呼ばれても別に困りはしない」と、そう応えてきたのだが、実際のところ、私は自身を、思想的には「左寄り」ではあるものの、典型的な「左翼」だとは思っていない。どう思っているのかと言えば、それは「反体制の一匹狼」である。
したがって、左翼市民運動団体、例えば加藤周一が呼びかけ人の一人である「九条の会」などについても、その主張については、基本的に支持しているものの、積極的に関わる気などはさらさらないといった感じである。
私の場合、要は、「群れる」のが嫌いなのだ。だから、どんな組織に入ろうと、私がまずやることと言えば、「現状批判」「現体制批判」、つまり内部批判である。
したがって、私は過去に、いくつかのサークルだの組織だのから追い出されてきた。ネット上でやるだけではなく、ネット以前は、会誌上で批判したり、直接口頭で意見したりしたからである。
もちろん、そうした集団すべてから追い出されたわけではない。
比較的寛容な人がリーダーであったり、逆に完全無視を決め込むようなサークルもあったりしたからだが、私が、反体制的でなかった組織やサークルというのは、ひとつもなかった。
給料をもらっていた大阪府警については、さすがに「左翼」認定されてクビになるのは困るので、公然とは批判しなかったものの、禁じられていたSNSにおいて、好きなようの「反体制的な政治的発言」もしていた。
例えば「安倍晋三批判」なんてこともしたし、大阪府警南警察署が「れいわ新選組の山本太郎」の街頭演説を妨害した際は「国会で取り上げられるべき大問題である」などと煽ったりもした。無論、これは私が現役の警察官であるということを隠した上での、レジスタンス活動である。
こういうやり方を「アンフェア」だと感じる方も少なくないだろう。私自身、ジレンマを感じなかったわけではないのだけれども、警察組織は「内部批判」を絶対に許さないのだから、こうした自己防衛は許される範囲内だと思うし、私のような根っからの反体制派が、体勢内に入って、その現実を身をもって知るというのは、意味のないことではないとも考えていた。国家権力を外部からだけ見て、敵視するだけでは、その本質的な問題は理解できないと考えたからだ。
そして実際、私は「創価学会員」として、創価学会を内部から見た経験があるからこそ、創価学会を批判し、学会員の「現実を直視できない」人間的な弱さを批判しはしても、彼らを感情的に憎んで敵視するということはなかった。
そしてこれは、警察に対しても同じである。警察官個々は「ただの人」なのである。「偏った情報しか与えられていない」ため、その「狭い視野」の中でしか物事を見ることのできない、普通の人たちであって、その意味で本質的には「創価学会員」とも、大きく変わらない「組織信仰者」なのだ。
そんなわけで、私が警察官としての現役時代に、表立って正面から組織批判をしなかったことについては、忸怩たる思いは残るにせよ、間違っていたとは思えない。
全国30万人の警察組織に、名もなき下っぱ一人が正面から挑んだところで、あっさり撃沈され、なんの効果もあげられなかったろうことは明らかだし、なにより、自分と母が食わないわけにはいかないと、そちらを優先したのである。
まただからこそ、私は「悪しき国家権力の手先」としての仕事をしないで済むように、「生涯いち巡査=生涯交番のお巡りさん」であることを、自身に自覚的に課したのである。
まあ、言い訳はこれくらいにして、こういう性格の私なので、正直なところ「市民運動」のたぐいは、あまり好きではない。私の基本的な性格は「個人主義の趣味人」なのだから、「群れて(その全能感から)社会正義を叫ぶ」たぐいの集団は、左であれ右であれ、好きではなかった。
また、そうした集団や組織で、指導者ヅラしている奴も、当然のこと、好きではない。
今でこそ「左翼市民運動」は、逆風による下火状態だが、かつては動員力もあって、まさに「民主的正義」を誇って疑わない、「意識高い系」の鼻持ちならなささえ感じられたのである。
だから、加藤周一についても、著書を読んだことはなかったから評価を下すことはしなかったが、印象としては「好きではない」部類の人物だったというわけなのだ。
そして、こういう心性においては、じつのところ私は、同世代の「ネトウヨ」に近い感覚を持っていた。とにかく「数に頼んで、仲間内で自分たちの正義を確認しあい、その正義を振りかざして、その気になっているようなバカが嫌い」だったから、私は、「市民運動」的なものが好きではなかったし、それは、ある意味では「創価学会員」と同様、私の批判の対象たる、「盲信者」のたぐいだと感じられていたのだ。
また、だからこそ、そうした「盲信者」たちを、まともに啓蒙することもなく、ただ「動員」的に利用しているにも等しい「市民運動リーダーとしての知識人」も好きではなかった。
「一般運動家」として参加するのなら認めよう。また、内部に入って「是々非々を主張する」のならば認めよう。だが、彼らの多くは、最初から「著名人」としての特権において、神輿に担ぎ上げられた存在でしかないから、私はそういう「運動エリート」が、好きにはなれなかったのである。
そんなわけで、加藤周一についても、あまり良い印象は持っていなかったのだが、しかし、言論・出版界における、一般的な評判から推せば、加藤が「ひとかどの人物」であるというのは認めざるを得ないところだから、評価するのならば、いやでもその著書を読まないでは済まされないと考えた。
だが、他に読みたい本が山ほどあるのに、そんな消極的な理由では、なかなか読むことができなかった、というわけである。
そして、そんな私が今回なぜ、加藤周一を読むことにしたのかというと、それは、以前にはなかった要素が、動機として加わったからだ。
それは何かというと、私が敬愛するアニメ監督の高畑勲が、加藤周一を高く評価し、その影響を語っていたからである。つまり、私は、高畑勲を、より深く理解するために、加藤周一についても「ひととおりは知っておきたい」と考えるようになったのだ。
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本書に収録されている、対談および鼎談は、次のとおりである。
加藤周一は、1919年(大正8年)生まれで、私からすると、祖父母と両親の間の世代であるから、ここに登場するのは、私がこれまで読んできた作家たちよりも、少し上の世代だと言えるだろう。ジャンルとしては、哲学、フランス文学、小説家、文芸評論家、心理学者、宗教学者、国学者といったことになるのだろうか。
この中で、著書を読んだことがあるのは、大江健三郎、鶴見俊輔、河合隼雄、山伏哲雄であるが、いずれにしろ、さほど多くは読んでいない。
さて、そんなわけで、本書を一読した印象だが、加藤は、たいへん博識かつ明晰な人で、その意味では「さすがだな」とは思うものの、書き手として「面白い」かと言えば、さほどではない。
あくまでも「博識と明晰とレトリック」で、人を圧倒し、説得してしまうタイプの人という印象であり、私の趣味からすれば「物足りない」。力はあっても、「個人としての魅力(個性)」という点で、いささか物足りないのだ。
たしかに、勉強にはなるのだが、勉強をするのなら、この「何でも屋先生」ではなく、その道の専門家の著書を読んだ方が確実だ、という印象が強い。
言い換えれば、この人の本を読むのは、読者の方に、反体制的な「政治意識」が先にあり、そうした観点から、同じような立場に立つ「知識人」の中で「政治だけではなく、文化的な面においても、鋭い知見を具備している人」と言えば「まず加藤周一ということになる」といったようなことだったんじゃないか、という感じなのだ。
たしかに、博識だし明晰なのだが、この人の明晰には、どこか「ためにする鋭さ」があって、たとえば、鶴見俊輔に感じられるような「遊び=余裕」が感じられない。どこか「どうだ!」と言わんばかりの、殊更な「威圧」を感じ、また、そこに私は、反発しないではいられないのだ。
加藤周一の特徴は、大雑把に言えば、前記のとおり「博識と明晰とレトリック」ということになるだろう。
例えば、ちくま学芸文庫の『歴史・科学・現代 加藤周一対談集』のAmazonカスタマーレビューには、2つの「星5つ」レビューが寄せられていて、レビュアー「RYSK」氏は『科学哲学者としての加藤周一』と題して、次のように書いている。
もう一人のレビュアー「大寺萌音」氏は、『 “根”がしっかりした対談集です』と題して、次のように書いている。
『文化や政治を語るイメージがある』『元医者』『科学的』『明確なロジックと鮮やかなレトリック』、『論理的で明晰』『科学や宗教、文学や歴史など、様々な分野』といった具合で、まとめれば「博識と明晰とレトリック」ということになるわけだ。
しかしながら、本書1冊を読み、「Wikipedia」を参照した程度の私でさえ、上の両氏の「加藤周一」評は、いささか「紋切り型の好意評」の域を出ないものに感じられる。
というのも、加藤周一は、2008年に亡くなるその半年ほど前に、カトリックの洗礼を受けている人で、それは何も、亡くなる前になって急に、とか、晩年になってから、といったことでないのは、本書に収録された対談の端々に、カトリックに対する言及(例えば、岩下壮一や吉満義彦などの、保守派カトリック神学者への言及)があり、さらに「内村鑑三」や「カール・バルト」などの一部例外を除く「プロテスタント」一般に対しては、明らかに「冷めた」言及が見られるからだ。
つまり、加藤周一は、言論人として活躍する当初から「カトリック信仰」に惹かれていた人であり、ただ、「左派知識人」として、それを前面に出して主張することはなかった、というだけのことなのである(だから、浅田彰の上の評価には「故人に対する配慮(リップサービス)」があったと見るべきであろう)。
そんなわけで、加藤周一を信奉していた「左派の市民運動家」や、運動はしないまでも、加藤にシンパシーを感じていた「左派の読書家」たちの多くは、加藤の「信仰心」を深く追求することはせず、あくまでも「科学的」であり「明晰」であるという、「科学的社会主義」といった表現に近い、いささか手前味噌な「形容」を好んだのであろう。そして、隠しようもない加藤の「宗教」への傾きを、「国際派の博識」の内に含めて理解しようとしていたのではないか。
だからこそ、加藤が「最後に洗礼を受けた」という事実に、ある種の衝撃を受けるとともに、じつは内心で「そういうところはあったな」と思ったのではないだろうか。
加藤の「Wikipedia」では、「カトリックの洗礼」の項目に、次のようにある。
ここで、重要なのは、古くから親交のあった鷲巣力による「加藤の受洗は意外ではない」という言葉である。
どういうことかというと、これは加藤ファンの多くが、加藤の受洗を「意外だ」と、強く反応したことの裏返しなのだ。これは、一種の「フォロー」の言葉なのである。
そんなわけで、加藤周一を、単純に「明晰」と評するのは、間違っている。
たしかに加藤は「明晰たらんとした」というのは間違いないが、それを「額面どおり」に真に受け、そのまま「オウム返し」にして、「加藤周一」評だとするのは、あまりに「安直」であり、「読みが浅い」と評さざるを得ないだろう。
どうして、そうした「加藤周一ファン」が多かったのかと言えば、それは加藤に「明晰な唯物論者」であり「現実主義者」であることを、期待したからであろう。
加藤周一のファンは、左派市民運動の知識人リーダーである加藤は、当然「宗教・迷信」の類いに踏み迷うような人物であってもらっては困るという意識を持っていただろうし、だからこそ、加藤の「宗教論」は、あくまでも「国際派知識人の教養」の範疇のものだと理解したがったのであろう。
また、加藤自身も、そうした「人々の期待」に気づかないほど馬鹿ではなかったから、「宗教」を語る際には、「批評」の範囲内で論じはしたものの、「我が(非理性的な)信仰」として、露骨に語るようなことはしなかった。「唯物論信者」たちの期待に、応えてきたのである。
そして、加藤周一のそうした「隠されていた」側面のよく現れているのが、宗教思想史家である笠原芳光との対談、(6)の「絶対主義と相対主義」である。
この対談は、『月刊キリスト』という(たぶん、プロテスタント系の)雑誌に掲載されたものだが、ここでの加藤は、終始「受太刀」であり、口ごもり気味で、まったく精彩に欠けている。
シモーヌ・ヴェイユは、フランスの哲学者で、カトリックにシンパシーを感じていたものの、「地上」的なものへの愛から、洗礼を受けなかった人である。
カール・バルトは、プロテスタント神学者で、初期には近代主義的な立場だったが、第一次世界大戦時、尊敬するリベラル神学者たちが、あっさりと国家に追従していくのを見て失望し、プロテスタントの中では、いささか保守的な「神中心主義」の神学的立場に立つようになった人である。
第二次大戦時においては、それまで長年暮らしてきたドイツへの戦争協力を拒否し続け、最後はやむなく祖国スイスに戻り、そこで自ら志願して祖国防衛のために銃を取った。
つまり、加藤周一はもともと、キリスト教信仰一般に興味を持っており、優れた人であれば、カトリックかプロテスタントかは問わない、という立場だったのが窺える。言い換えれば、キリスト教信仰から「一定の距離」をおいていたのだ。
また、文中に出てくる、加藤の「余は如何にして基督信徒とならざりしか」というタイトルの文章は、プロテスタント「無教会派」の内村鑑三の著書『余は如何にして基督信徒となりし乎』のタイトルをもじったもので、原文は未確認なるも、要は、この文章の執筆時には、加藤は、自覚的に「キリスト教信仰から距離をおいていた」ということである。
そこで、この対談で、笠原芳光が加藤にまず求めたのは、「非キリスト教徒・加藤周一」のキリスト教観であり、キリスト教の総括であったと言えるだろう。
このやり取りの前半のポイントは、加藤の『宗教的世界観の放棄』である。
つまり、ここで加藤は、結局のところ『不合理なるゆえに我信ず。』でしかあり得ない「信仰」というものは、「個人の内面の問題」にしかなりえず、公共的な「正義」として、人に勧めるようなものにはなり得ない、と言っているのであり、これは端的に言えば「カトリック信仰の否定」で、せいぜいプロテスタント的な信仰観だと言えるだろう。
加藤はここで、あくまでも自身を「非クリスチャン」とし、キリスト教を客観的に評価できる位置に立つ者として、そのキリスト教評価を語っているのである。
しかし、後半の「宗教擁護」が、いかにもいただけない。
ここで加藤が語っているのは、
「人間社会には、どうしても道徳が必要であり、その基底にあるのは宗教的な戒律である。だから、宗教的なものを完全に否定してしまうと、道徳が根拠を失って、何でもありということ(相対主義)になってしまい。社会は、正義の観念を失って、バラバラになってしまう。」
ということである。
つまり「宗教」を否定するのなら、それに代わるものが必要なのだから、ここで終わって「宗教に代わるほどのものなどない」とは言えない。それだと「宗教擁護」丸出しだから、それに代わるものを提案しないわけにはいかないのだ。
だが、それは、同じ「(神という絶対的根拠絵を持たない)相対主義」に立つ森鷗外のような『現行の規則でよろしい』という「現状維持」、つまり「保守主義」では困る。なぜなら、加藤の立場は「革新」だからだ。
では、加藤の『現状破壊』的な立場が、「相対主義」的な現実における「独善」とならないためには、どんな根拠があるだろうか。
ここで加藤が持ち出してくるのは『自身の根源的経験』である。
しかし、これもまた「人それぞれ」でしかなく、決して「他者」を説得するに十分な根拠でないことは明白だろう。だから加藤はここで、
という、いかにも手前味噌な「希望的観測」を語るしかない。
加藤が『自身の根源的経験』だと思っているものが、本当に「根源的」であるという保証などどこにもなく、当然のことながら現実的には、いろんな人がいろんな立場で「私の立場の方が、より根源的な認識に立ったものである」と主張するのは、見え透いた話なのだ。
つまり、意見が『まったく隔絶していてね、コミニュケーションもなりたたない。そういうことは、理論上』あり得るだけではなく、実際にも十二分に「ある」ことなのだ。
加藤はここで、自分が「信仰者」ではなく「科学的な人間」であると主張したい反面、しかし、それが森鷗外的な相対主義からの「現状追認主義=保守主義」に回収されても困るから、無理にでも「非現実的な希望的観測の綺麗事」を「強弁」しないではいられなかったのである。
こうした、加藤の「煮え切らない、ごまかしめいた議論」に、笠原は、次に引用する対談の結末部分で、加藤に引導を渡すようにして、明確な「宗教否定」を語る。
つまり、人間から「宗教心・信仰心」的なものを完全に消し去ることは「原理的に不可能」、つまり『決してなくならないだろう』けれども、しかし、その「幻想=逃避的観念」の上にあぐらをかいて、人々を「理性の眠り」につかせるだけの『制度宗教』は『全部なくさなきゃならない』ということである。
そして、笠原としては、人間に抜き難くある「宗教性」は、「芸術的なもの=美的なものへの志向」に、是が非でも変換しなければならない、と考えるのである。
加藤がここで主張する、「暴力装置の警察を擁する、国家権力のみ」ではなく、「宗教との分業」によって、「国家」はずいぶんマシなものになるのではないか、などという議論は、所詮「宗教擁護・延命」のための、あまりにも「希望的観測」に満ちた「与太話」でしかないというのは、もはや明白だろう。
加藤自身『もちろん暴力をコントロールするにはある種の暴力が必要でしょう。』と認めざるを得ないとおりで、仮に「国家と宗教による分業体制」になったところで、「暴力装置」が無くなるわけではない。
いくら「説得」しても、聞き入れてくれない犯罪者というのは、100パーセント必ず出てくるし、統治者はそれを放置するわけにはいかないから、おのずと「暴力装置」を持たざるを得ないのだ。
例えば、バチカンのローマ教皇庁にだって「衛兵」がいるように、「警察」という名称は使わなくても、「警察」的な「暴力装置」は、必ず持たざるを得ないだろう。
その時に、「国家」と分業体制に入った、つまりは『癒着』した「宗教」は、どのような態度を採るだろうか?
それは、かつて「教会(今のカトリック教会)」がやったように、汚れ仕事は「政治権力者」に任せて、自分は無関係を装う、という欺瞞的態度であろう。
かって、世俗権力者と結んだキリスト教会は、内部の「異分子」を「異端者」と呼んで排除し(破門し)、これを「世俗権力者の手」に引き渡して「焚刑に処させた」。
「教会はただ、正統信仰の純潔を守るために、悪魔に魅入られた異端者を破門しただけである」と言い、異端認定され破門された、かつての同信者が「死刑」になるのを知っていながら、いや、そうなるように制度的に仕向けておきながら、自分の手は汚さないから、『汝、殺すなかれ』の戒律には背いていないと、そう臆面もなく強弁したのである。
そして、この程度の歴史的事実は、加藤周一なら、当然知っていたはずだ。
知っていたにもかかわらず、知らないふりをして「国家と宗教の分業」などという「宗教の延命策」を提案したのは、この段階で、加藤はすでに「セルフ・隠れキリシタン」だったからである。
いまの時代、自身の信仰を正直に語ったところで、殺されるわけでもないのに、なぜ加藤が自らの信仰心を隠し続けたのかと言えば、それは「近代主義の左派知識人」という、自らの「ステータス」にしがみついたからに他なるまい。加藤が、本当に正直であったなら、もっともっと早くに洗礼を受けていたはずなのだ。
それなのに、死の床にあって初めて(天国へ逃げ込むようにして)洗礼を受けたというその行為は、彼の「建て前」を真に受け、信じた人たちへの、「背信」以外の何ものでもなかったのである。
だからこそ、多くの「加藤周一信者」は、加藤の洗礼に衝撃を受けたし、加藤に近い者は「いや、それは前からだよ。知らなかったの?」などと、加藤が「唯物論的現実主義者」だと信じた人たちの方が悪かったかのように言ったのである。
「騙した方よりも、騙された方が愚かなのだ」と、そう暗に語って、「背信者」であり、かつ「唯物論的現実主義の背教者」になり下がった加藤を、精一杯フォローしたのだ。
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さて、加藤を読むきっかけとなった、高畑勲と加藤周一の関係問題について。
これは私の希望的観測かもしれないが、たぶん高畑勲は、加藤周一の見識に敬意を払いながらも、しかしその「理想の非現実性」には勘づいていたように思う。
と言うのも、高畑勲の遺作になった『かぐや姫の物語』が、結局は「地上への絶望=月への帰還」で終わらざるを得なかったことからもわかるように、高畑は、リベラルな理想を語りながらも、それが実現できるものとまでは信じていなかっただろう、というのが窺えるからで、さらに言えば、高畑は、その半世紀以上前の、初の監督映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』で、じつは、ある種の「救われることのない絶望」を、ヒルダというキャラクターに託して語っていたからだ。
言い換えれば、ヒルダとして絶望を抱える高畑勲にとって、加藤周一というのは、高畑を救い出す「太陽の王子」たるホルスを期待された存在だった。
だが、その加藤周一もまた、最後は「悪魔グルンワルド」の軍門に降ってしまった、ということになるのである。
(2023年7月6日)
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