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本能寺の変1582 第199話 16光秀の雌伏時代 4服部七兵衛 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第199話 16光秀の雌伏時代 4服部七兵衛 

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信長は、北ノ庄にいた。

勅使が帰った。

 同日(九月十八日)。
 勅使一行は、帰途についた。
 武井夕庵の配慮により、この日は今庄に宿す(福井県南条郡南越前町
 今庄)。
 北ノ庄から凡そ十里40km。
 
  十八日、上洛のため越州を発足、今町(今庄)に至り一宿、
  此の町に、番手馬廻り三河(福田)守在り、
  此の人へ夕庵を以って折帋、
  一宿の事、馳走すべきの旨、申しおわんぬ、
                          (「兼見卿記」)

秀吉は、府中にいた。

 同二十日。
 信長は、秀吉に黒印状を送った。
 秀吉は、蜂屋頼隆らとともに府中にいた。
 築城工事を命じられていた様子である。
 新任の前田利家ら三人に助力していたのだろう。
 信長は、早く完成させるよう、秀吉を督促した。
 そして、二十三日に府中へ向かうことを告げた。
 
  書状幷(ならび)に普請の注文、委細披見候、
  細々申し越し、祝着に候、
  猶以って、せいを入れ、早々出来候様、馳走専一に候、

  此方、普請も出来候間、
  廿三日には、必々、其(そこ)元(もと)へ相越すべく候、
  蜂屋にも此の旨申さるべく候、
  各(おのおの)、長々の事、察せしめ候、
  見参の時、喜悦の通り申すべく候、
  謹言、

    九月廿日         信長(黒印)
     羽柴筑前守殿
          (「布田正之氏所蔵文書」「織田信長文書の研究」)

光秀は、丹後へ向け出陣した。

 同二十一日。
 予定通りである。
 光秀は、愛宕山威徳院に使者を派し必勝を祈願した。
 
  今日廿一、丹後国に至り出陣仕り候、
  彼の表、心懸け候地、所々存分に任せ申し付け候様に、
  別して、御祈念、仰ぐ所に候、
  存知寄る儀ども、相叶ふに於いては、一所寄進仕るべく候、
  仍って銀子五枚奉納せしめ候、
  後藤四郎兵衛慰刻判させ候、
  目出度く、毎々慶事申し述ぶべく候、
  恐々謹言、
    (天正三年)
     九月廿一日          光秀(花押)
   愛宕山
    威徳院
       御同宿中
       (「思文閣墨蹟資料目録」「明智光秀史料で読む戦国史」)

信長は、府中に移った。

 同二十三日。
 信長は、北ノ庄を出て府中に入った。
 行程、凡そ五里20km。 

  九月廿三日、北庄より府中まで御出で。
                          (『信長公記』)

信長は、寺社領を没収した。

 同日。
 信長は、前田利家ら三人に寺社領についての印判状を与えた①~②。
 
 ①寺社領は、すべて没収すること。
 
   一、宛行う二郡の中、
     寺庵領・社領、悉(ことごと)く、これを相落とすべし、
     給人衆これ有る領内の寺社領も、同前たるべし、
     但し、事に仍って、給人にこれを遣わすべきも有るべきの事、

 
 ②織田神社は、織田氏の氏神である。
  これについては、その限りにあらず。
  特別扱いであった。
 
   一、織田大明神領の義に付き、
     先祖、別して、子細これ有る儀に候間、
     一切、これを落とすべからずの事、
        以上、

     天正参
       九月廿三日          在印(信長)
        不破河内守(光治)殿
        佐々内蔵助(成政)殿
        前田又左衛門慰(利家)殿
          (「松雲公採集遺編類纂」「織田信長文書の研究」)

信長は、帰路についた。 

 同二十四日。
 信長は、府中を出発。
 栃ノ木峠を越えて椿坂に着いた。
 府中から凡そ十一里44km。
 
  廿四日、つば井坂、御泊。
 
 同二十五日。
 信長、垂井着。
 椿坂から凡そ十五(60km)里。
 
  廿五日、捶井に御陣宿。

 同二十六日
 無事、帰陣。
 
  九月廿六日、岐阜に御帰城。
                          (『信長公記』)

3 信長は、越前一向一揆を殲滅した。

 永禄十三年1570、敦賀に侵攻。
 天正元年1573、朝倉氏、滅亡。
 天正三年1575、一向一揆、殲滅。

 斯くして、越前は、ようやく安定した時代を迎える。
 数多の人々が犠牲となった。

  【参照】16光秀の雌伏時代 3信長と越前  小   159
    信長は、越前を三度攻めた。
    光秀は、その全てに、参陣した。
    光秀は、その全てで、中心的な役割を担った。
    1 信長は、越前敦賀に侵攻した。

  【参照】16光秀の雌伏時代 3信長と越前  小   177
    朝倉義景の最期。
    2 信長は、越前の朝倉氏を滅ぼした。



 ⇒ 次へつづく 第200話 16光秀の雌伏時代 5遊行上人 
 

 
 
 



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