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信じられるものが曖昧な時代に、たしかに”信じるべきもの”を。 - 人生をかけた自由研究
「べき」という言葉は、基本的には使わない。
でも敢えて、
この記事のタイトルに「べき」を使っている背景には、
強い意志と想いがある。
今の時代は
目に見えない、
触れることができない、
その一方で猛烈な力をもって、
私たちを取り囲む
“信じざるをえないもの“ に
溢れているような気がする。
たとえば、
正体不明の他者の目や世間体、
数値化された「いいね」、
大きな影響力を持ち合わせて
本当にいいものをつくりたい。
心を動かすものを。
熱狂するものを。
対話をもたらすものを。
言葉より先に涙が溢れてしまうものを。
自然と笑顔になれるものを。
本物を。
私が手掛けたい「手紙」の世界は、
人間関係やお仕事を円滑にする目的で
“うまくやる”ための how to でもなく、
あっという間に”消費されてしまう”ような
流行り物でもなく、
気づいたら
その澄みきった世界観に没入し、
自分との対話が自然と生まれ、
原点|私は手紙で人を笑顔にしたい
「ごめんね・・・。」
祖母が目に涙を浮かべながら言いました。
でも、私は何も答えることができなかった。
この言葉の背景にある様々な事情が私には重すぎたから。
なにか口に出したら、涙がこぼれそうだったから。
そして、
これが最後の会話になると思っていなかったから。
----数年後
私の二十歳の誕生日に、祖母は突然帰らぬ人となりました。
「ありがとう」「ごめんね」「あの料理の作り方は
「手紙でなにがしたいの?」「なんで上京したの?」幾度と聞かれた質問への正直な答え
手紙でちょっと世界を変える。
それが私の目標です。
手紙って形に残るし、わざわざ手間と時間をかけてまで悪口を書く人はほとんどいません。
環境や時と場合によって "どれだけ素直になれるか" は変わりますが、それらの条件がバチンと揃って心から素直な言葉を紡ぐことができた時、
『ただの一枚の紙』だったはずなのに、『誰かにとってのたからもの』に変わることがあります。
手紙を誰かのもとに届けた時、
なんでこんなに悩んでしまうのか。自信が持てないのか。でも、それって…
まもなく上京して1か月が経とうとしている。
これまでを振り返ってみると、
手書きの手紙を広める人になると決意した2019年9月から始まり、
何をどうしていいか分からずもがき続け人に会い続けた約二年間。
その後、2021年7月、初めて人に“手紙書道” の作品 を贈った。
自分の得意なこと
伝えたいこと
やりたいこと
が詰まったものにやっと出逢えたと思い、友達を中心に沢山の人に作品を送るよ