人が静寂に還るとき、何も飾らない素の自分になれる。自我という鎧を脱いで素の自分に還れば、生命の本質と繋がって気づきという新たな視点を獲得できる。静寂は寂しくない。静寂の中には、沸々と湧き上がる生命としての喜びがあり賑やかだ。静寂の声なき声に触れること、それが目覚めの一助となる。
自我か叶えたい願いの奥の奥に本音が潜んでいる。幸せになったらどんな風に生きていきたいか、幸せになったら何をしていきたいか、そういったことを突き詰めていくと、生命としての本質の願いが姿を現す。本当の音を奏でながら生きて行く。これが我々の望む生き方だ。だからそれを実行していけばいい。
自分の思いに素直になって歩んでいけば、道を誤ることはない。自分で決めたことは、たとえ上手くいかなかったとしても後悔を感じることはない。すべての経験が生きるための糧となり、その経験から自分の素材を知ることができる。今ある素材を真っ直ぐに使って生きる、それが素直に生きるということだ。
幸せの根拠は、一人ひとり異なってもいい。人は一人ひとりが創造者であり、自らの意識で幸せを創り出せる。幸せの根拠は、心から納得したことを日々実感して生きていくことで生み出すことができる。自分が確信できることを核心に置き、それを実感していけば幸せは実現される。信じるのは常に自分自身。
穏やかな心で今この瞬間に向かい合えば、それが愛のある行為となる。愛という文字の真ん中に心という文字がある。心を中心に定め今この瞬間を丁寧に心地よく過ごしていると、気持ちが穏やかになっていく。こうした愛の意識をもとに自然体となり、一つひとつの行為に心を込めれば人は必ず幸せになれる。
自分に対して穏和になる。自分と仲良くなって、日々を心地よく過ごしていく。そうすれば、穏やかで和んだエネルギーを広げていけるようになるだろう。すべての現象は私から始まっていく。この私が世界の中心であり主人公である。私が穏和になれば、私の中の愛や喜びや平和を広げていけるようになる。
相対する二つのものには必ず共通する物事があり、その共通する物事の中にある真理を見つけることができれば、一元的な考えを持って生きていけるようになる。物事は表裏一体。裏を知ることで表を認識できるようになり、表を知って、それを体得すれば、表を主として迷うことなく生きていけるようになる。
実感は気づきとなり、実感で得た気づきを理解に変えれば、実りのある経験となる。また、実感で得た気づきを知恵として取り入れれば、実利的な考えを持つことができ人生の質を上げられる。我々は実感を重ねながら真理に近づいていくという経験をするために、この星に生まれ、日々、進化し歩んでいる。
この世界は、私の思いが映し出される場所である。もし、この今に苦しさを感じているなら、その苦しみを反転させて喜びに変えて映し出せばいい。そうすれば、その思いを今に映すことができ、未来を変えられるようになる。私の思いを快く美しく磨き出し、それを映し出しだせば世界がクリアになっていく。
この世界の真理を理解して、喜びを味わいながら自由を感じて生きるようになると、生まれる前に設定してきた役目を果たすようになる。なぜなら、役目を果たすということは、魂と一致して生きることであり喜びであるからだ。役目とは、互いに足りない部分を補い合うことで、喜びを分かち合うことである。
幸運は、今という瞬間を全肯定することで得られるものであり、楽な気を出していると運気が上がっていく。心身ともにリラックスし、楽な気分で今この瞬間に寛げば、本質としての自分と繋がることができるようになり、ひらめきという形で最適な情報を得ることができる。気楽が幸運を生み出す源泉となる。