#札幌
パルコに行けない田舎者。
パルコ。ファッションビル。
全国に17ヶ所あるらしい。17パルコだ。
パルコは全都道府県にあるわけではないようだが、我が街札幌には1パルコがある。
札幌パルコは札幌市内の大通地区、通称4番街にドドンとそびえている。なぜ4番街と呼ぶのかは一切気にしなくてもいい。なぜなら私も分からないから。
この記事をご覧になっている方々の中に、思い思いのパルコがあるはずだ。みなさんにとってのパルコはどんなパル
黄色いワンピースの女性。
大学を除籍になりハローワークに行った。
よく分からないまま仕事を探しにハローワークに行った。たしか24歳のときだったと思う。
ハローワークに行くと、高齢者が多い。
おじいさん、おばあさんの中に20代の私が混ざり、パソコンをカチカチやって仕事を探す。
とは思わなかった。
むしろ、ここからだ、と思った。
…
なんやかんや、広告代理店から内定が出た。小規模の昔ながらの広告代理店。新聞広告の営業の
【自己紹介】札幌に暮らす私のことを、改めて書くから読んで【ポロリあり】
新春対談です。この記事は。
新聞とかであるよね。
どこかで見たことがある気がするフォーマット。
はて。
どうか誰にも怒られませんように。
神様どうかお願いします。
怒られませんように。
いやぁ、お正月だにょーーーん。
(主催 : itdk)
今回参加したのは イトーダーキ です現在 : 生命保険外交員のくせに、ひたすらnoteでエッセイを書いてる人。
itdk : あなたは誰ですか?
私の大学生活と除籍と居候。
私は大学を除籍になっている。
除籍とは「あなたはこの大学に、そもそもいませんでしたよ」という意味合いのものらしく「中退」よりも重い。私は履歴書上は高卒である。
大学を除籍になる方法は主に2つ。
私は、[2]学費未納である。
どこにある、どんな大学を除籍になったか。
北海道の小樽市にある、1910年創立の小樽商科大学。北海道では、北海道大学に次ぐ、自称北の名門で、国内唯一の単科大学であり商
地下鉄で見かけた変なおじさんと金髪美女の摩訶不思議な光景。
私は生まれてこの方ずっと札幌在住だ。
2013年の3月、大学生だった私は1人で地下鉄に乗っていた。どうして1人で地下鉄に乗ってたのか、どこに向かってたのか、そういう細かいことはすっかり忘れちゃった。10年近く前のことだから。
時間帯も忘れてしまったけど、早朝じゃないのはたしかだ。昼間だったはず。
とにかく私は、大学生の頃1人で地下鉄に乗っていた。で、その車内で摩訶不思議な光景を目撃した。
夜の神社のカマドウマ。
私の仕事は生命保険外交員であるから、仕事を始めた頃はつらかった。何がつらかったかと言うと「知り合い」に営業をしなければならないこと。
「あ、ひさしぶり、
今度俺の話聞いてくれない?」
うーん、嫌だ。当時の私は知り合いに嫌われることが嫌で、積極的に知り合いに連絡をすることはしなかった。
……
今から2年前の10月、妻との新婚旅行も兼ねて島根県出雲市に行った。妻が「いつか出雲大社に行きたい」
26歳の時、2週間の横浜出張で感じた東京・横浜と札幌のギャップ。
「ねぇ、2週間くらいなんだけど、本社がある横浜で生活してもらえる?」
前職時代、女性上司からこう言われた私は、少し迷って「はい」と答えた。少し迷ったのは、私が札幌を離れたくなかったから。私は生まれてこの方、今日に至るまで札幌で暮らしている。
「2週間かぁ」
2週間と言えども、なんやかんや数ヶ月に延長されて、それでなし崩し的に札幌を離れさせられるんじゃないかと疑った。「クリスマスまでには帰るか
最初の一歩を踏み出すために必要な考え方を早大生から教わった。
今から数えること6年前(たぶん)。私は、とある若手経営者と、夜の札幌はススキノでご飯を食べた。初対面で。
彼は私と同い年で当時26歳。東京の出身で大学は早稲田大だった。大学卒業と同時に起業したらしい。
私はといえば、東京の1/10の規模の札幌出身で、大学は小樽商科大学なんていう地方”国立”大学ってことだけを鼻にかけていて、1回目の転職をして人材系ベンチャーにいた。サラリーマンだ。
同い年だけ
夏らしいことを始めた瞬間、人生が変わり出した【Ep.4/全4回】
全4回にわたってお送りする
私が体験したある夏の1日のエピソード。
本日が最終日。Ep.4を書こうと思う。
▶︎Ep.3がまだの方はこちら
2013年の夏、私たち男女4人のグループは青い池を目指し、すっかり暗くなった美瑛の山の中をタクシーで移動していた。
「何でこんな時間、夜に青い池まで?」
タクシードライバーの女性からそう質問された。助手席には友だちのユウヘイが座り、私とタマちんとコウス