ずっとずっと思い描いていたものに “自分自身がなってしまう”という現象 (松村潔流の)占星術でいえば 魚座30度『巨大な石の顔』が 牡羊座1度『池から女があがり、アザラシもあがり彼女を抱く』になった ということ 両者の境界線である春分点には かならず“記憶の断絶”があるとされる
自分の人格を形成するのは多くは他者 親が勝手に名指した男の子のわたしは 彼らの邪念にまみれていて わたしの生き筋は親と縁を切ることにしか無かった はたしてネットで出逢ったあの子は あたしを理想の女性として思い描き 彼女が想像=創造してくれた人格の鋳型 こうしてあたしは女になった
同じ50代女性でも、ソフィー・マルソーはセクシーさとカッコ良さを今なお失わぬ美の体現者だ。 世界の女性たちが彼女に向けるべきは憧憬であって嫉妬ではない。姿態に難癖つける一部の方々、息してますか? https://note.com/pastis51/n/ne99b2a8c65a0