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誕生日に贈った花束

「世界を変える戦い」から2年以上が経過し、舞台「苦悩教室」の上演が終わってから数ヶ月が経ったある日。

青年は、新宿のソフマップでいいモノを発見しました(ソフマップってのはパソコンショップです。プレイステーションなどのゲームも売ってます)

それは1枚のCD-ROMでした。パソコン用のソフトで「種から花を育てる」というシンプルなゲームみたいなものです。「ちゃんと世話をしてあげて、最後まで花を咲かせることができれば、花束を作ることができます」と説明書に書いてあります。

「あ!これだ!」と思った青年は、さっそくソフマップの店員さんにお金を払い、家に帰ってからパソコンの画面に種をまきました。

数日間一生懸命丁寧に世話したおかげで、見事に花が咲き、美しい花束が完成しました(…といってもイラスト画像ですけどね)

イラストとはいえ、結婚式のブーケみたいなとてもきれいな花束でした。


この頃になると、「あの人」との縁も復活し、なんとなく以前のように気軽につき合えるようになっていて、一緒にボランティアに行ったり、アドレスを交換してメールのやり取りをするようになっていました。

あの人もフリースクールの先生になってから1年以上が経過し、最初は忙しかった仕事にもだいぶ慣れて、ゆとりの時間が持てるようになっていたみたいです。

おそらく、浜田君とは別れていて、連絡を取ることはなくなっていたのでしょう。なんとなく恥ずかしくて、詳しくは聞きませんでしたけどね。


そういえば、何かの機会にこんなコトを言っていました。

「フリースクールの遠足でディズニーランドに行ったんですよ」

それを聞いて青年は、こう尋ねます。

「へ~、それはよかったね。ディズニーランド、楽しかった?」

「引率で行ったんですよ!プライベートで行くのとは全然違います!遊んでる暇なんてありませんよと、彼女。

もしかしたら、あの人は一緒にディズニーランドに行きたかったのかもしれません。チケットを2枚買って、誘ってあげればよかったのかも。でも、そういうとこ、青年は気が利きませんでした。

…というか、望んでいるものが違っていたのです。青年の望みは「世界最高の作家になること」そのためには、人並みの経験をしていてはいけないのです。何かもっと突拍子もないような出来事が必要で、恋をするにしたって、人と同じでは意味がありません。

何をするにもそんな風でした。人生にも表現方法にも「オリジナリティ」を求めてしまうのです。それゆえに、想いが伝わらなかったり、勘違いされてしまうというコトがよくありました。生き方が独自過ぎるのです。

あるいは、もっとあの人に合わせてあげればよかったのかも。「世界最高の作家になる」なんて夢は放り投げて、何もかも全てをあの人の望むままにしてあげればよかったのかも。

そうすれば、きっと「人としては」幸せになれていたでしょう。代わりに別の大切なモノを失うことになったでしょうが…

根本的な部分で似た者同士なのに、なんとなく歯車がかみ合わなかったんです。好きな映画とか、デートに行きたい場所とか。だから、関係を良好に維持するには、どちらかが我慢するしかなかったんです。あるいは、両方が半歩ずつ歩み寄るとか…

「なぜ、その半歩が譲り合えなかったのだろうか?」と、今になって思います。そんなに難しいコトでもなかったはずなのに。ほんのちょっと自分の時間を削り、相手に合わせてあげることさえできれば、最高の関係にもなれたかもしれないのに。

そうできていた瞬間もあったんですけどね。けど、長続きしませんでした。


ただ、この時は喜んでくれました。

パソコンの画面の中で種から育て結婚式のブーケみたいに美しい花束となったイラストは、フルネームで名前を添えて、あの人の誕生日にメールで送りました。

「Happy Birthday !」と。

直後に電話がかかってきて、凄く喜んでくれてたのを覚えています。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。