信用できないという前提で、それを割引きながら、Wikipedia分析に価値を見出す人はいないのですかね?研究者が細部の学説に拘り、他がソース源に拘るせいで、ある目標にそって、複数の分野を横断的にWikipedia分析する人が居なくなっているような気がします。問題ないのでしょうか?
来年から、映画鑑賞を趣味にする!と決め、フライングで3本ほど観た。今まで、あらすじを見て映画を選ぼうとすると「やっぱりいいや」ってなっていたので、ある映画紹介本を参考に、タイトルのみでチョイスしている。肝心の中身より、鑑賞後にWikipediaで得る情報を貪るように読んでいる私。
Wikipediaさんから支援の記録がメールに届いて驚きました。 お礼とかないと思ってたから。文章は同じものを他の方にも送っているのでしょうが。USAさんはそういう所が凄いですね。
ギフテッドのWikipedia、以前よりぐっと実態に近いものになっていると感じました。「積極的分離」や「精神性」という言葉が入っていたのが嬉しい。書いてくださった方々、ありがとうございます。 IQや能力にこだわる風潮が減っていくといいなと思います。
飛岡利明さんは、原子力安全委員会委員に任命されたにもかかわらず、wikipediaには掲載されておらず、原因は、電力業界との癒着とアル中の悪癖のためであり、周囲には、脅迫口調で、圧力をかけ、私は、直接、大きな被害を受けましたから、それ相応な対応をしますが、最悪最低の性癖の持ち主。