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20091109 ウィキペディア(6)
雑記草のように様々な雑学を採り上げているサイトで、時々「Wikipedia(ウィキペディア)によると」と書いて、その雑学の根拠としている場合がある。さも引用元には確かな情報が書かれていると言わんばかりにだ。「Wikipediaによると$${^{*1}}$$」を検索語句として検索すると沢山抽出できる。
誰でも編集できる文献でしかも執筆した人の素性が全く判らない文書を基にして一般常識や雑学関連の記事を作成しようとする人の考え方が理解できない$${^{*2}}$$。「駅の便所にある落書きによると」と「Wikipediaによると」とにはどれほどの違いがあるというのか。執筆者が特定できないと言う時点で、両者の内容の確度は全く同等である。
先日記事にした小津安次郎の映画$${^{*3}}$$に関するWikipediaの記事を読んだ。「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」という映画に関する記事である。記事にはこの映画のあらすじが記されていた。しかしこのあらすじは間違っているのである。この映画はサラリーマンの父親を持つ兄弟二人の話だ。日頃、子どもたちに「偉くなれ」と言っている父親が会社の重役にゴマをすっているのを兄弟は目の当たりにする。兄弟は父親に対して幻滅し、抗議のつもりで明日からは飯を食べないと二人で誓い合う。次の朝、兄弟は飯を食べないつもりであったが、父親の指示で母親が作った握り飯を差し出されると我慢し切れず口に運んでしまう。
ところが現時点のこの映画に関するWikipediaの記事$${^{*4}}$$では、抗議して学校をサボったり、母親のとりなしで夕食を食べたりすることになっている。映画にはそんな場面は一切ない。記事の内容が全くの創作になっている。映画を見ているのであればこんなあらすじは絶対書けない。おそらくこの記事の執筆者はうろ覚えになっており、書くに当たって再度映画を観ることなく自分の創作を交えてしまったのだろう。無茶苦茶である。
大抵のWikipediaの記事の下方に記されている「Wikipedia以外へのリンク(外部リンク$${^{*5}}$$)」は参考になる場合が多い。検索サイトではその検索語句を含む雑多なサイトに紛れてなかなか的確なサイト行き着くことが難しいが、Wikipediaでは厳選されたサイトにリンクしてある場合が良くある。しかし記事自体は雑記草を書く上で参考になる場合もあるが、前述の様なことがあるので鵜呑みにはできない。
*1 "Wikipediaによると" - Google 検索
*2 20090907 ウィキペディア(5)
*3 20091104 山々(2)
*4 大人の見る繪本 生れてはみたけれど - Wikipedia
*5 Wikipedia:外部リンクの選び方 - Wikipedia