不安と喜び。 生きることが少し楽しくなった。 それとともに、今まで感じていた居なくなりたい気持ちが、急に怖くなった。 今日眠ったら、もう自分は目を覚まさないんじゃないか。 そんな事を思うと、途端に不安になる。 もう少しこの世界で生きていたい。 色んなことを経験したい。
左胸がキリリッと痛む時とか背中に薄ら鈍痛があると、発作が起きるのかと不安になるな… がむしゃらに生きた反動って、やっぱり身体に負担かけてきたんだなって思うと、生きるの下手くそです私!って世間にアピールしてるような痛い年増女に見えちゃうな… そんな自分も許して癒すのが大事ね…
自分と合う答えは正解で 合わないものは不正解 まあ。 それが一番で当たり前か。 色々な解釈や多角的な意見 も確かに参考にはなるが やっぱり そうしてしまう。 自分の中の当たり前同士は ぶつかる。 良くも悪くも 大事だが 結果は必ずしもいいとは 限らないのが 人間ってね
頭回らない。 夜勤明けだから! と 言いたいところではあるが そんなに肩肘張って書いてる わけでもないし 大したアレではない やりたいようにやってるだけ なので こんな日ばかりでもいい 格好悪い事だらけでいい 現実味があって 聖人君子なんて夢幻の如く 求めすぎずほどほどに
刺激を受けるって事は なかなか減ってくるわけで 知ってる事が多くなる 無知は罪と言われるが ありすぎてもつまんない 知る必要もないこともある 全ては知らずとも 得たいものはある 都合の良い考えだから 容赦なく 突きつけてくる 感受性次第だろ? あっ。ハイ。えっと終わり
人の一生はどこまでいっても一筆書き、自分の意思で筆を進めることでしか自分の人生を描けない。 やり直しはできるが、それは遡ることじゃない。 だから一瞬一瞬を懸命に生きられる。
明るい兄貴キャラってすきぃ……けど大体不遇だったりするのでなんとかしてください。 具体例言うと某運命/待夜の槍兵だったり。
我ながらぶっちゃけいいアイデアと思うな。創作家の隠れ家は。 私が寂しがりなだけ?執筆して、同じような作家の方と繋がって、喋ったり、価値観、お互いの世界観や、日常について語り合ったり、”気まぐれに”互いの作品を見合ったりするの。面倒な知識議論は抜きで(こういう説もあるらしい)はOK