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【当事者不在の議論~原爆ドームと甲子園球児について~】

先日SNSであるやり取りを拝見した。
某知事選挙で話題に上がっているある広報会社代表の過去の写真が掘り起こされ、またプチ炎上(延焼?)している件についてだ。

内容は広島の原爆ドームを背に如何にもインスタ映えという写真をSNS上で公開していたことについての非難で、
「やはり昔から承認欲求の強さが垣間見えている」
「たくさんの人が非業の死を遂げた場所で
こんな写真を撮る神経が分からない」
といった内容であった。
要は不謹慎だろうという非難だ。

個人的には「引くっちゃ引くけどそこまで
非難されることなのか、、、」
といった程度の感想だ。

そしてこの非難に対して、実際に広島に
住まわれている方が反発の声を上げている。

「全く気にしない」
「わざわざ過去の写真を掘り返したうえで、
原爆ドームを他人を叩く道具にしないでほしい」
「そんなこと言いだしたら市内は
どこも写真が撮れない」
といった意見だ。

このやり取りを観て僕は友人と今年の夏に甲子園について話していたことを思い出していた。

それは僕が昨今の殺人的な炎天下にも関わらず、
夏の甲子園が余りスタイルを変えずに行われていることについて、球児の安全について考慮されていないのでは?場所や季節を変えるべきでは?
と世間話の流れで非難していた時だ。

その友人は僕の意見を肯定しつつ
「でも俺が選手やったら
夏の甲子園で試合したいけどな」
「やっぱり自分やったらどんだけきつくても
聖地というか憧れの場所で試合したいと思う」
「この甲子園の件もそうやけど、こういう非難って当事者の意見が全然出てこなくて、関係ない奴らが勝手に話してる感じがして嫌やわ」

僕ははっとさせられた。その通りだと思ったからだ。僕たちはついついニュースや噂を聴いて、自分が思ったことを勝手に「自分が不快に思ったんだから他人もそうに違いない」と決めつけて話を進めてしまっていることがある。

今回の原爆ドームの件もそうだ。
実際にあの写真を不快に感じる広島の方も存在するとは思うが、少なくとも僕のタイムラインではいなかった。(こればっかりはSNSのアルゴリズム次第なところはあるけど)

善意のつもりでやっていることが本当は自分の不快感を解消するための言い訳になっていて、むしろそれが当事者たちに迷惑になることもある。
気をつけて行きたいと思った。







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