抽象的なことを具体的に考える
最近、私生活の変化と、仕事量が多くなるタイミングが重なり疲れているので、駄文を書いてストレス発散します。お付き合いください
人は何をどうやって考えているのか
仕事柄色々な人の思考の整理の支援をさせて頂く事が多いので、人がどうやって考えているのか?というのに常々興味がある
特に思考の抽象度というのは、ものごとを認識して、処理し、出力する時に重要になる
一人で考える時はもちろんだけど、他者と一緒に考えるような場面では、論点の抽象度が違う事でそもそも話が噛み合わないという事が頻発する
今夜どこのラーメン屋に行くかの話をしている時に、ラーメンという食べ物の良さについて話し始める人がいると、少なくとも晩御飯の行き先は決まらないだろう
逆に、ラーメンという食べ物の良さについて話しているのに、自分が嫌いなラーメン屋のテーブルのベタつきの話をしていたら、無意味とは言わないが時間を浪費する可能性が高い
個人的にそういう話の脱線はものすごく好きだし、文脈を共有する人同士なら創造的な対話につながることもあるが、多くの場合はすれ違っているうちに時間がすぎていく
抽象的・具体的の対象
常々、抽象的とか具体的とか言う時に、2つの観点が混ざっているように感じていた
思うに、「対象の抽象度」と「考え方の抽象度」というものがある
「抽象的な話」と言う時にどういうものを思い浮かべるか
「世界平和」とか「幸せとは何か?」とか「遠い未来の話」とかそいうものを頭に浮かべるのではないだろうか
これは「対象」の抽象度の話で「抽象的なものについての話」という意味での抽象的な話ということだ
「抽象的な話」と言う時に対象の抽象度とは別に、「抽象的な考え方」というものあると思う
これは単純に言えば「抽象化」ということになるから、「〇〇と共通点がある」とか「〇〇って感じだ」とかそういう考え方のことだ
簡単な思考と難しい思考
それで、ここからが本題
いきなりなんだという感じだけど、人は意識しないと楽な方法を選びがちな怠惰な生き物だと思っている
前に書いたような、対象の抽象度と考え方の抽象度を表にするとこんな感じになる
抽象的なことを抽象的に考える、ということと、具体的なことを具体的に考えるというのは割とやりやすい
自分もそうだし、割とこの領域の思考だけで物事を考えがちな人は多いんじゃないかなと感じている
世界平和とは巨大な木のようなものだ、とか、世界平和を目指すにはみんなの協力が必要だ、とか、主語の大きなものをざっくり語ることは容易い
何故かこういう語りの方が聞いている人にスッと入ってくる事もある。悪い考え方という事でもない気もする
つぎに、具体的なことを具体的に考えるというのはどういうことだろうか
自分の眼前の状況について自分の思った事をそのまま言うというような事がそれに当たる気がする。「率直感想」みたいな感じだろか。いい例えが思いつかなくすみません。読んだ人考えてみてください
逆に抽象的なことを具体的に考えるというのは難しいことのように思う
社会平和について、それはどういうものであり、そのために具体的に何が必要なのかを考え切るということは時間もかかるし、経験も知見も必要になる
具体的なことを抽象的に考えるというのも同様に難しく、目の前の事象についてその内実にとらわれずに、構造を掴み特徴として認識するのは相応の観察力と構造化の能力が必要になる。また、普段世の中のパターンについて意識していないと、共通項を見つける材料がなく類推する事ができない
長々と書いていて、なんだかわからなくなってきてしまった
何を言いたいかというと、抽象的な対象を具体的に考える事、具体的なものを抽象的に考える事は難しいけど、それだけに重要な事が多い
難しいからこそ自然に避ける事になってしまうので、意識していきたい