天正10年(1582)6月13日は羽柴秀吉が山崎の戦いで明智光秀を破った日。光秀が信長を討った本能寺の変からわずか11日後のこと。短い間権力を握ったり地位を得ることを「三日天下」といい。勝敗を決める正念場や分かれ目を「天王山」と表現することがある。どちらもこの戦いにまつわる言葉。
天正10年(1582)の今日6月13日は羽柴秀吉が明智光秀を山崎の戦いで破った日。三日天下と言いますが6月2日の本能寺の変から11日。光秀は謀反人と言われるけど、秀吉もこのあと織田家乗っ取りを進める。結果と見せ方なんですよね。
天正10年(1582)6月16日は秀吉に敗れ落ち延びる途中で亡くなった明智光秀の首が晒された日。本能寺そして粟田口に晒されたという。最期は諸説あり小栗栖で落武者狩りに討たれたとも百姓の竹槍に刺されたのち自害したとも。一度埋められたものが見つけられて織田信孝の元に届けられたという。