Eさん

高度成長期の静岡に生まれ、現在は大阪に在住しています。 小学生の時から自然が好きで植物図鑑が愛読書でした。 中学生の時に鉄道趣味に目覚め、学生時代は鉄道研究会で活動しました。 鉄道の撮影旅行や登山をしたり、その時に出会った花の撮影を楽しみに暮らしています。

Eさん

高度成長期の静岡に生まれ、現在は大阪に在住しています。 小学生の時から自然が好きで植物図鑑が愛読書でした。 中学生の時に鉄道趣味に目覚め、学生時代は鉄道研究会で活動しました。 鉄道の撮影旅行や登山をしたり、その時に出会った花の撮影を楽しみに暮らしています。

最近の記事

前鬼 小仲坊(おなかぼう) 鬼が営む鬼の里の宿坊

 静岡生まれの私が、関西で生活をして感じた事の一つは修験道が身近な事です。子供のころに、昔ばなしや教科書などで開祖の役行者に親しみ、小角さんと親しみを込めて呼んでいます。役行者は奈良時代の人物ですが、従者の前鬼・後鬼夫婦の61代目という方が、今でも鬼を称して従者の仕事を  守っておられます。役行者が拓いた大峯奥駈道を修行する修験者のための  鬼が営む不思議な宿坊が、前鬼(地名にもなっています)の小仲坊です。  私は、大峯奥駈道の縦走ため2回訪れていますが、1回目の2019年 

    • 明延鉱山鉄道 その2   明神電車①設備と列車

       明延鉱山鉄道の明神(みょうじん)**電車は、一円電車の名前で動態保存されていて一般の方にも知られています。私の学生時代にも、NHKの      ニュース(NC9)や旅行雑誌で取り上げられるたりしていました。***     ところが、立ち入り禁止***になったとの口コミ****が伝わって来ていま     した。事実の様でしたが、鉄道研究会の先輩たちが、この有名な列車を     見ずしてナローファンを語る事は出来ないだろうとの決意で、追い返されて元々という事で出かけたのでした。

      • 秋梅雨(あきついり)の西大台                     

         大台ケ原から大杉谷を10月21日から三日間かけてゆっくりと歩いてきましたので、初日に歩いた西大台**について紹介したいと思います。  大台ケ原行きのバスに乗るまでは気持ちのいい晴天だったのですが、バスが山に入ると、あたりは霧に覆われはじめ、山頂では時雨になってしまいました。何も見えません。それでも、西大台は森と渓流が魅力ですので、霧に煙る風景も他に代えがたいものがあると思います。  西大台の中央には、東ノ川***が東から西に向かって流れています。その東ノ川に、東側からナゴヤ

        • 明延鉱山鉄道 その1 ズリ捨て線軌道*             

           明延鉱山鉄道は、1円電車あるいは明神(みょうじん)電車と言う名前で 知られています。廃坑から37年たった現在でも遺構が残され、昭和の産業遺産である坑道の見学や動態保存された1円電車の体験乗車などで地域振興に役立っています。  1円電車が走っていたのは、鉱山のあった明延から選鉱・製錬場である 神子畑をつなぐ762mmゲージの路線です。坑道内も軌道で運搬が行われており、こちらは500mmゲージでした。その関係で、明延鉱山には500mmの軌道が縦横無尽に走っていました。見所一杯の

        • 前鬼 小仲坊(おなかぼう) 鬼が営む鬼の里の宿坊

        • 明延鉱山鉄道 その2   明神電車①設備と列車

        • 秋梅雨(あきついり)の西大台                     

        • 明延鉱山鉄道 その1 ズリ捨て線軌道*             

          リンドウ (秋の峠道が思い浮かぶ)

             秋の花で何か無いものかと、リンドウの花やその時に撮影した写真を見ているうちに「りんどう峠」という文句が浮かんできました。「りんどう峠」は、島倉千代子と言う昭和の歌手の曲です。戦後の大スター 美空ひばり と同時期の歌手で、スターらしい派手な美空ひばりと比べて、つつましやかな和服姿が売りであった事を覚えています。なにしろ、生まれる前の曲なので、リンドウをリンリンともじった、ダジャレの様な歌だった印象しか残っていません。     写真の中のリンドウは、いつも、秋深いカヤの原や

          リンドウ (秋の峠道が思い浮かぶ)

          牟岐線 阿波赤石  (青い空と白い雲が似合う)

           撮影に行こうと思うと、無意識に国鉄時代の車輛の走っている所を選んでしまう、年寄りであります。JR四国の車輛は、シンボルカラーのライトブルーとアイボリー系の白い色で塗分けされています。国鉄色で無いのが残念ですが、青と白のキハ40とキハ47を徳島に撮りに行きましょう。   キハ40とキハ47が、徳島の南側の牟岐線を走るのは、朝の7時から9時頃と限られているので、今回は、阿波中島駅の近くに絞ってかんばります。二つの川に挟まれた駅ですので、きれいな水面が撮影できるか楽しみです。

          牟岐線 阿波赤石  (青い空と白い雲が似合う)

          黒部源流              (8月に美しい!小川と花の庭園)

           高山植物の美しさは他に比べようがありません。何日も前から構想を練り、荷物を準備し、重い荷物を担いで急登をあえぎ、核心部をクリアして、雲の上まで登った時に目の前に広がるお花畑を見ると、まるで天国に着いたようです。  高山植物を見ることが出来るような山に登るためには、まとまった休みが必要で、「8月のお盆休みしか行けません」 と言う人が少なからずいると思います。しかし、8月も中盤になると有名処のお花畑は盛りを過ぎてしまうので、私自身も残念な思いを何度もしたものでした。  しかし、

          黒部源流              (8月に美しい!小川と花の庭園)

          クモニ83 100番台が走っていた頃

           クモニ83 100番台(以降 クモニ83だけにします)は、20mの大型車ながら、湘南顔の両運転台は非常に目を引くスタイルで、私のお気に入りです。似た車輛といえば、軽便鉄道の 井笠鉄道 ホジ1(101)、静岡鉄道駿遠線 キハD20(19)、小私鉄の紀州鉄道 キハ603 (604)、国鉄のキハ02・・・・とちっこい(大好きな)ものばかり  思い浮かびます。  この時に、豊橋駅の下り側も、陸橋から撮影しています。  しょう―もない写真ですが、実に懐かしい組み合わせです。クモニ

          クモニ83 100番台が走っていた頃

          スミレ (ブルーな恋人たちの花)

           スミレと言うと、昭和のアイドル歌手 岩崎宏美の「すみれ色の涙」を思い出します すみれって  ブルーな恋人たちが キスして 生まれた花だと思うの ・・・・・・ 恋愛音痴の私には良く分りませんでしたが、いかにも儚げな印象の歌だったと覚えています。  園芸を始めた頃、道端のスミレを掘り出して、自宅の庭の隅に植えて育てた事があります。大事に育てたのでつぼみが出来て、花が咲くのを楽しみにしていましたが、花を咲かせる事なく、結実して種が出来てしまいました。不思議に思って調べると、生

          スミレ (ブルーな恋人たちの花)

          富士山(どこから見ても美しい山)

           鉄道をC62から始めたので、山も横綱から始めなければなりません。 横綱と言うと富士山しかありません。槍だろうと穂高だろうと劔だろうと 役不足です。と力んでも、腕が腕なので大した写真が出てくるわけでは ありません。恥ずかしながら始めさせて頂きます。 1 日本平から(静岡市民が押す) 日本平は、静岡市民なら誰もが認める富士山見物の名所です。   静岡市生まれの私にとって、富士山は日常の山でした。小学生頃まで、 玄関を出ると真正面に富士山が見えていました。きれいに見えていれば今

          富士山(どこから見ても美しい山)

          C62 1号機 45年前の思い出

           自己紹介後の初めての投稿として何をと考えていましたが、日本を代表 する機関車のトップナンバーを選びました。と言ってしまうと、特に知識や資料を持っているわけでは無いので恥ずかしいです。そんな事では無く、 昔のネガをスキャンしていて突然出て来た静態保存のC62 1の写真が、noteを始めようと思うきっかけになったような気がするからです 広島鉄道学園  広島鉄道学園に静態保存されていたC62 1です。撮影は、昭和53年頃と思います。当時、広島鉄道学園に歩いて行ける距離に住んで

          C62 1号機 45年前の思い出

          はじめましてEと申します

          新しくnoteを始めようと思います。  長い間勤めた会社を退職し、気楽な身分になりました。のんびり と暇に任せて、若い時に撮影した鉄道写真のフィルムを電子データにして 整理を始めました。路線名程度しか情報が記録されていなかったので、当時 のガラクタを探しだして来て、撮影した鉄道車両や撮影場所等を調べている と、その時の感動が思い出され、何かの形でまとめてみたくなりました。 最初は、鉄道だけのつもりでしたが、今では、登山をしたりその時に出会っ た花の写真を撮るようになったので

          はじめましてEと申します