田中畔道|歴史ライター

文章浪人。歴史をテーマとする文章を書いています。知識より今に通じる考え方のヒントや視座…

田中畔道|歴史ライター

文章浪人。歴史をテーマとする文章を書いています。知識より今に通じる考え方のヒントや視座の提供を重視。ときどき創作も。執筆依頼はこちら sinmyou91@gmail.com

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スキこそ物の平等なれ

歴史好き同士の会話で決まってやり取りされるのが、「どの時代が一番好きですか」「誰が一番好きですか」という「好き問答」。 これは別に歴史に限った話じゃなく、映画や読書、アニメ、プロ野球とか登山とか何でも、何かを偏愛する者たちが集まったとき、はじまりを「いちばん好きなもの」の紹介で飾るのが慣例ではないだろうか。 それはほとんど名刺交換にも似た儀式といってよく、お互いを知るためのいちばんやさしい方法として定着している。 なぜ私たちは「いちばん好き」を最初に紹介したがるのか。

    • 明治維新を知るための「自由民権運動史」

      明治維新を知るための、あるいは入門としての「自由民権運動史」。 このような切り口で語る「自由民権運動」はどうだろうか。 自由民権運動の流れや、それに身を投じた人々、運動が現実の政治や社会に与えた影響を通してみる「明治維新」「明治日本」。 明治維新といえば封建体制の終焉(具体的には廃藩置県)までを意味する向きもあるけど、近代国家形成までを含む大きな意味での維新という見方も出来ると思う。 明治国家をつくったのは時の政府である。伊藤博文や大久保利通、井上馨、山県有朋、松方正

      • 歴史上の人物の心はわからない。でもわかろうとするのは楽しい

        歴史といえば、過去に何があったかを調べる学問というのが一般的なイメージだけど、それにとどまらず、当時を生きた人たちの思いがどのようなものだったのかを知り、そこに思いを馳せることにも意義があると考える。 歴史上の人物の感情の動きにフォーカスを当てることで、単なる過去の出来事にしか思えなかった事象にも彩が加わり、共感性と普遍性が導き出され、「この人物や出来事についてもっと深く知りたい」といった探求心も湧いてくるのではないだろうか。 今ワケあって明治の自由民権運動についていろい

        • 【明治の歴史物語】大江卓とマリア・ルス号事件

          外交未熟な明治日本を救った行政官鎖国を解いたばかりの明治日本、 それまで海外諸国との交流に乏しかったものですから、 とにかく外交が苦手でした。 とくに欧米列強と呼ばれる 世界でもトップクラスの強国たち相手には、 自由貿易がどうの国際儀礼がどうのと言われても、 何もわからないし、分からなければ、 相手に合わせるしかなく、 よその国と揉めるようなこともなるべく避けるようにして、 「まずは内政優先でいこう」 というのが明治日本の方針でした。 「内を強くして外

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          政治は誰のために?自由民権運動から考える

          政治は一体誰のためにあるのか?  こんな疑問を投げかける人がいる。しかし聞いてるわけじゃなく、「国民のための政治がなされていない」ことを慨嘆し、叫んでいるのだ。 政治は国民のためにある。国民を幸せにするためにある。もちろんその通りなのだが、実際はそうならないのが現実だ。 明治時代、「自由民権運動」というのがあった。歴史の授業で教わった人は多いだろう。 政府に対し、政治に参加する権利の拡大を要求する運動だ。政治に参加する条件をもっと自由に、もっと平等に、と主張する人たち

          政治は誰のために?自由民権運動から考える

          薩摩型リーダー(西郷従道、大山巌)から理想のリーダーを考える

          異なるタイプの二人のリーダーがいたとします。 一人は、「A.部下任せにせず、何事も自ら率先して働く人」 もう一人は、「B.部下に大まかな指示だけを出して後は任せっきりの人」 リーダーの条件としてはどちらがふさわしいでしょう? 実はBの「部下に指示だけ出して後は任せる人」のほうがリーダータイプといえます。 Aのほうが人受けは良さそうですけど、部下任せにしないで自分で何でもやりたがる人はリーダーに向いていません。 リーダーに求められるのは、高度な実務スキルでもなければ、

          薩摩型リーダー(西郷従道、大山巌)から理想のリーダーを考える

          歴史のifはあっていい

          大隈重信は自伝の中で自分のことを「進歩主義者」だと言っている。 明治新政府の中枢にいた大隈は、古い封建的な体制を打破しなければならないと考えた。 そして中央集権のための変革をどんどん推し進めた。 この動きには抵抗勢力がいた。大隈たち進歩主義者が批判した「保守主義者」と呼ばれる人たちだ。 大隈からいわせれば彼らは、日本国全体のことなんてぜんぜん考えてやしない、藩の利益にしがみつく頑迷固陋で厄介な人たちだった。 大隈は特に薩摩藩を批判した。そして彼らに祭り上げられている

          歴史のifはあっていい

          西郷隆盛「がんばったら誉めるよ、でも地位は与えないよ」

          西郷隆盛の生前の言葉をまとめた『南洲翁遺訓』。冒頭を飾る最初の遺訓は「廟堂に立ちて大政をなすはー」ではじまる。天皇の政府の代表として政治を行う者の心構えと、官職を与えるにふさわしい者の条件について、一本太い筋の通った西郷の思想が述べられている。 西郷が考えるところのまっとうな政治と官職の条件とは次のようなものだ。 ・私益を目的に政治を行ってはならない ・政府の職には賢人を選ぶべし ・官職はその任にふさわしい人を選ぶべし ・いくら功績があっても任せられぬ人に官職を与えてはな

          西郷隆盛「がんばったら誉めるよ、でも地位は与えないよ」

          文明的な西郷隆盛の文明観

          西郷隆盛が語ったことのある「文明観」は、全人類に知ってもらいたい。 西郷隆盛はある人と文明とは何かについて議論した際、「西洋は野蛮だ」と主張した。「何を言うか、西洋は文明そのものだ」と反論されると、「西洋が文明というなら、未開の国に対して慈愛と道理をもって接するはずだ。しかし事実はまるで正反対で、未開な国ほど残忍で過酷な政治を行う。これを野蛮といわずして何と言うのか」とやり返した。これに対して相手は返す言葉もなく黙ったという。 敬天愛人を主眼として生きた西郷隆盛ならではの

          文明的な西郷隆盛の文明観

          政治を語ると命を失う時代、友達をなくす時代

          吉田松陰は反幕行為の嫌疑をかけられ、評定所で訊問を受けた際、役人に己が正しいと信じる国家として歩むべき政道を説いた。それを聞いた役人は怒り、「卑賤の身にして国家の大事を議すること不届きなり」と問責した。武士でもない卑しい身分の者が幕政に口を差しはさむとは何事だ、と松陰の言動をとがめたのだ。 松陰と幕吏のやり取りからわかるのは、江戸時代では庶民が国を憂えて政治を語ることはご法度だった、ということだ。 武士階級でもない百姓や町人、商人が御上の政治に口を出すなどもってのほかで、

          政治を語ると命を失う時代、友達をなくす時代

          その時代を生きた人だから出てくる言葉と感情を抱きしめる【歴史雑感】

          昭和24年初版の『太平洋海戦史』(高木惣吉著)の「まえがき」に、すごい文章がある。 「思い浮かべるだけで苦痛を催す」という箇所を読んで、ガツンときた。ああ、とため息がもれた。あの戦争を直接見て、体験した人でないと出てこない言葉、わからない感情。だだもれて仕方ないといった直情的な表現。 すごいと感じる。とてつもないと感じる。 「未曾有の大事件」とは言うまでもなく大東亜戦争(太平洋戦争)のことである。「まえがき」を書いたのはこの本の編集者で、事実に基づく客観的な戦争批判の本

          その時代を生きた人だから出てくる言葉と感情を抱きしめる【歴史雑感】

          続・歴史を動かすものの正体をシンプルに考察

          「歴史は人が動かす。人は利害で動く。ゆえに歴史は人の利害で動いた結果である」といった内容の記事を前回書いた。 人を動かす大きな力として、利害のほかにも「感情」というものがある。 もしかすると、人類の歴史は、利害より感情で動いてきたことのほうが多かったかもしれない。 第一次世界大戦に関する本などを読むと、当時のヨーロッパの指導者たちの判断や思考を左右したのは理知ではなく感情だったと感じることがある。当たり前の想像力すら失わせる憎悪や恐怖、猜疑心が軽率な意思決定と招き、国家

          続・歴史を動かすものの正体をシンプルに考察

          歴史を動かすものの正体をシンプルに考察

          島崎藤村の歴史小説『夜明け前』に、こんな一節がある。勤皇家同士の会話で、直近の尊王攘夷運動についての印象を語っている。 要するに「みんな攘夷攘夷を言うけれど、実際は利害で動いていない?」と疑問を呈しているわけだ。 この人たちは木曽の山奥から遠目で京都や江戸の動きをみていたから、尊王攘夷運動にも冷めた見方ができたのだと思う。けだし本質を突く鋭い指摘である。 あれだけ攘夷攘夷と言いながら、最終的にはその旗印を引っ込めて開国した。それは攘夷に利益はなく開国に利益があったからだ

          歴史を動かすものの正体をシンプルに考察

          歴史で評価するように政治家を選べたら|「伊藤博文44歳で首相になる」からの連想

          初代内閣総理大臣は伊藤博文だ。彼の当時の年齢は44歳だった。 現代の感覚で言えば率直に「若い」である。令和にそんな若い総理大臣が誕生したら、「日本が若返った」と期待値が上がる。その一方で「そんな若造に国の舵取りを任せてよいのか」と漠たる不安も、混じる。44歳という年齢だけにフォーカスすると、そんな期待と不安が真っ二つにわかれる反応が容易に想像できる。 だが、当然のこととして、伊藤を内閣総理大臣の地位に押し上げた理由は年齢じゃない。その若さながらトップの重責を任せられるに足

          歴史で評価するように政治家を選べたら|「伊藤博文44歳で首相になる」からの連想

          日本人はなぜすぐ謝るのか|『アーロン収容所』を読んで感じたこと

          日本人はなぜすぐ謝るのか。それは、「間違いは悪」とする考えが根強いせいではないのか。 以前からぼんやりとそんなふうに思っていた。そこへ、『アーロン収容所』という日本兵捕虜の体験記の中のある一節にぶつかり、改めてその考えを強くした。 日本側の将校と英軍中尉が会話するくだり。日本の将校は「日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことだった。これからは仲良くしたい」と謝った。それを受けた英軍中尉は厳しい口調で「君たちはスレイブ(奴隷)か」と返した。その言葉の意味を次のように説明した。

          日本人はなぜすぐ謝るのか|『アーロン収容所』を読んで感じたこと

          歴史研究において貴重な「敗者の伝」

          私は歴史が好きなのでは歴史上の人物の自伝や回顧録、手記といったものを読むのが好きだ。これまで多くの人物たちの足跡を描いた書物を読み漁り(といっても百冊とかそんなレベルにあらず)、さまざまな時代の事件や出来事、歴史的瞬間、エポックメイキングを活字の上で追体験してきた。 時代の貴重な証言である自伝にも、厄介なところがある。おおよそが書いた人の「手柄話」や「自慢話」「言い訳」「自己弁護」になりがちなところだ。自分の活躍は徹頭徹尾かっこよく大きく見せて、都合の悪いところは巧妙に省く

          歴史研究において貴重な「敗者の伝」