シャンカラ『ブラフマ・スートラの釈論』で「されど有〔すなわち梵(私注:ブラフマン)〕に〔他の物よりの〕生なし。不合理のゆえに」⇩ これはブラフマンは他の物から発生するものではないというのを説いている。ブラフマンは有を本性とするから ⇩ https://amzn.to/3CxDQRW
シャンカラ『ブラフマ・スートラの釈論』で「されど有〔すなわち梵(私注:ブラフマン)〕に〔他の物よりの〕生なし。不合理のゆえに」 ⇩ 前に20頁以上も議論しておいて、みたいな投稿したけれども、もっと短い議論で結論を出してる所もあった ⇩ https://amzn.to/3CxDQRW
寂静から、存在(サット)意識(チット)至福(アーナンダ)=サッチダーナンダがうまれることが、よーくわかった!今はとても気持ちがいい。 あまりに面白いから買ってしまったオススメ本⇩ https://amzn.to/3WkuPT4
読む時間ができたので『ラマナ・マハルシとの対話第2巻』を読むことができる。アナタには感謝してます。 https://amzn.to/4gT9cSg キンドルアンリミテッドなので、無料体験をオススメします。500万冊以上がアナタを待つ! https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/hz/signup?tag=polydolphin-22
自我は真我から現れるのだから、その源は、ハートセンター、ラマナ・マハルシによれば、右側の心臓にあるはず。右側の心臓を探せ! ラマナ・マハルシ関連の書籍は、キンドルアンリミテッドが多い。 キンドルアンリミテッドの無料体験がオススメ!⇩ https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/hz/signup?tag=polydolphin-22
モクシャ(悟り)によって個々の魂は完全な自由と至福を得る。モクシャはブラフマン(宇宙的真理)との一体感を意味する。つまり個々の存在が宇宙的真理と完全に一体化する☺️ ⇩参考文献。モクシャ(悟り)についての説明。参考文献をヒントに書いた✨️ https://amzn.to/3EgnyNZ
不二一元論は不二だから、真我・ブラフマンの性質が、存在・意識・至福=サッチダーナンダであるともないとも言えないはず。思うに、多分、あるというのは二元の世界における便法的表現で、実際には、直接知覚するしかない。 この問題を取り扱った本⇩ https://amzn.to/3WkuPT4
昨日の晩まどろみの中で世界もなく心・自我もなかった。 起きたときにアレが真我かと思った。 けれども、当たり前にその真我はありつづけている。 まだ想念は浮かぶんだけど真我はありつづけている。 あのユングが序を書いた本❗️ 買っちゃった☺️ https://amzn.to/4jlUYuu
ジーヴァ〔命我(注:=個人)〕は世界や肉体に執着するために、〔個人=真我の〕同一性が明らかではなくなっている。しかし、モクシャ(悟り)を得ることで、〔個人=真我の〕同一性を認識する😛 ⇩ジーヴァは普通個人と訳される。参考文献では命我。 https://amzn.to/3EgnyNZ