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ウパデーシャ・サーハスリー第13章6節の解説。アートマンと意識の変容とは?
ウパデーシャ・サーハスリー第13章6節の解説。アートマンと意識の変容とは?
アディ・シャンカラーチャーリャの著作、『ウパデーシャ・サーハスリー』の第13章6節には、以下の記述がある。
目に基づき、〔その対象の〕色・形をとる意(=統覚機能)の変容は、じつに、つねにアートマンの恒常な見によって見られる
第13章1節の「目がないから、私は見ない。(中略)」と読み合わせると、わけがわからなくなるね。
よく意味がわかりにくいので、ChatGPTに聞いてみた。
ChatGPTに聞いてみた!
プロンプト:「目に基づき、〔その対象の〕色・形をとる意(=統覚機能)の変容は、じつに、つねにアートマンの恒常な見によって見られる」ウパデーシャ・サーハスリー第13章6節についての解説をして
ChatGPTの回答:
ウパデーシャ・サーハスリー(Upadeśa Sāhasrī)はアディ・シャンカラ(Adi Śaṅkara)が著した重要なヴェーダーンタ文献で、特にアドヴァイタ哲学(非二元論)の核心を説いたものです。ご質問の第13章6節について、その内容と背景を踏まえた解説を以下に述べます。
背景
この節は、アドヴァイタ・ヴェーダーンタにおける「アートマン」(真我)とその恒常性、ならびに現象界における知覚や経験との関係性を解き明かしています。アドヴァイタ哲学では、アートマン(自己)は究極的にブラフマン(宇宙的絶対者)と同一であり、変化や限定を持たない純粋意識そのものとされます。一方、私たちが日々経験する「色・形」などの現象はマーヤー(幻影、無明)によるものであり、相対的で一時的なものです。
節の解説
原文に基づく概念
「目に基づき、〔その対象の〕色・形をとる意(=統覚機能)の変容」
この部分は、視覚を通じて対象を認識するプロセスを説明しています。目を使うことで外界の色や形を知覚しますが、これは心(マナス、統覚機能)がその役割を果たしているためです。心は外界の対象に「色・形」という具体的な性質を付与し、認識します。しかし、この認識そのものは変化するものであり、固定的な実在ではありません。
「つねにアートマンの恒常な見によって見られる」
ここで述べられている「アートマンの恒常な見」とは、不変の自己意識、純粋意識を指します。この意識そのものは、色や形、あるいは認識の変化に関わらず常に存在し、それ自体は変化しないものです。私たちが日々変化する現象を経験しているように見えるのは、アートマンの光(意識)が心と感覚器官を通じて現象を「映し出している」からです。
哲学的意義
この節は、次のような重要なアドヴァイタ哲学のテーマを指摘しています:
現象の相対性とアートマンの超越性
色や形といった対象の性質は、感覚と心の働きによるものであり、それ自体として恒常的な実在ではありません。これに対して、アートマンはすべての認識を可能にする基盤であり、永遠に変わらないものです。自己認識と誤認識
私たちは普段、心が認識した対象やその性質に執着し、それを実在であると誤認します。しかし、アートマンの観点からすると、それらは単なる一時的な現象に過ぎません。「見られるもの」と「見るもの」の分離
現象(色・形)は「見られるもの」であり、一方でアートマンは「見るもの」(純粋な目撃者)として存在します。「見るもの」は決して見られるものに影響されることなく、そのまま不変です。
日常的な例え
この関係性を理解するために、よく使われる例えがあります:
鏡に映る対象(色・形)は変化しますが、鏡自体は変化しません。同様に、アートマンは認識の基盤であり、現象の変化に影響されません。
実践的な意義
この節が目指すのは、自己の真の本質であるアートマンを認識し、それによって現象界における執着や苦しみから解放されることです。色や形(物質的な世界)に囚われるのではなく、それらを超えた自己の不変性を悟ることで、真の平安を得ることができます。
ご質問に沿った解説をまとめると、この節は視覚を中心とした知覚とアートマンの関係を明確にし、アートマンの不変性と現象界の仮象性を対比することで、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの核心的な教えを示しています。
要するに・・・。
わかりやすい具体例で言えば、「鏡に映る対象(色・形)は変化しますが、鏡自体は変化しません。同様に、アートマンは認識の基盤であり、現象の変化に影響されません。」ということだ。
鏡に映る色・形は、変化する幻影・幻想(マーヤー)だけど、鏡自体=すべてを照らし出す純粋意識のアートマン自体は、変わらないんだね。
で、ここの節でシャンカラさんが言いたいことは、「自己の真の本質であるアートマンを認識し、それによって現象界における執着や苦しみから解放されることです。色や形(物質的な世界)に囚われるのではなく、それらを超えた自己の不変性を悟ることで、真の平安を得ることができます。」ということだ。
変化する物質的な世界は、マーヤー(幻影・幻想)なんだから、それにとらわれることなく、それを越えたアートマン(自己・真我)の不変性を悟ることで、真の心の平安が得られるよね。
本当の自分は、変わらない。周りの物質世界がどんどん変わっていっても。そう考えると、心の平安は確かにくるね。
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