『裸の聖書』41. 星の子どもたち:ホモ・サピエンスの誕生 -2
こんにちは、もんぱちです❣
真実を知る手がかりの一助として、『裸の聖書』を翻訳し拡散しています。
古代のテキストの再解釈は
紀元前5世紀に世界で同時に起こった地球規模の現象
すべての思想潮流が同じ時期に現れている
世界的な情報管理体制の存在?
支配者によるコントロールを神の霊性の中に隠した情報操作?
前回の記事はこちら↓↓↓
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星の子どもたち:ホモ・サピエンスの誕生 -2
「数年前まで、自分が情熱を傾け長年研究し、多くの調査や作業を捧げてきた仮説の揺るぎない証拠を集めるのには、十分な時間がないと諦めていた。しかし今、想像もできないようなことがついにやってくるかもしれないと感じている。わたしたちの歴史は、最初から最後まで完全に書き換えられなければならないという決定的な証拠だ。」とマウロ・ビグリーノは打ち明ける。
実際、近年『非公認』の考古学は多くの根強い信念を否定し、それらを廃墟のままにしている。
突然、少なくとも公式には、わたしたちは至る所でピラミッドを「発見」した。学界はいまだにボスニアのヴィソコにあるピラミッドを受け入れるのに苦労している。それらは巨大で、約3万年前にさかのぼる。
それらは強力な『エネルギー・マシン』でもあるようだ。3万年前に誰が建造できたというのだろうか?
マウロ・ビグリーノは、数ある例の中で、もっと身近な別の例を指摘している:メキシコシティ郊外のテオティワカン遺跡である。
「壮大なピラミッド神殿を擁するテオティワカンは、古代世界最大の都市の1つだった。最盛期には13万人が住んでいたと推定され、多数の家族を収容できる数階建ての建物に住んでいたとされる。」
例のごとく、建物はオリオン座を構成する星々を映し出すかのような、星座を思わせる方位を持っている。
この記念碑的な都市の中心を築いたのは誰なのか?
また、雲母(マイカ)のような鉱物の存在はどのように説明できるのだろうか?
専門家によれば、それは3000マイルも離れたブラジルの鉱山からしか採掘されなかったというが?現代の科学技術にマイカが使用されていることを考えると、マヤの地に古代の『技術的な』宗教の可能性を示す証拠を見ているのではないかと自問するしかない。
再び、フェニキアの司祭サンチュニアトンの警告の声が聞こえてくるようだ:これらの書物が本当に宗教に関するものであると確信できるのか?
あるいはもっとましな言い方をすれば:宗教的な覆いは、本質的に霊的なものではなく、むしろ完全に具体的で実用的で日常的な、まったく異なる現実を覆い隠す役割を果たしているのではないだろうか?
ビグリーノが、カイザリアのエウセビオスがギリシャのフィロンを通して引用したまさにその情報源を引用しているのは偶然ではない。
古代のテキストの霊的な改変は、紀元前500年から400年にまで遡ると、学者は繰り返し述べている。その当時、ユダヤ人の場合、ヤハウェとの関係性が変わった。それ以前は、基本的に指導者の指示に従順であること、つまり目先の共同体の物質的な幸福を向上させるための運用上の前提の問題であった。突然、従順であることの絶対的な価値が変わり、その関係は報酬と罰のバランスをとるシステムによって支配されるようになった。あたかも、もはや単に物理的であるだけでなく、形而上学的でもある原則に忠実であり続けることの問題であるかのように。
「この霊性主義者による再解釈は、紀元前5世紀に世界の他の地域で同時に起こっていたことと類似している」とビグリーノは説明する。
事実上、パレスチナからインドに至るまで、地球規模の現象が同時に顕在化したのだ。
「たとえば、ヒンズー教では、ヴェーダを霊性主義者が再解釈したが、ヴェーダはますます非常に正確な歴史的、科学的知識を含むテキストであるように思われる。」
同じような軌道修正がアジア全域で同時に起こっていた。
「ヒンドゥー教と並行して、仏教とジャイナ教が成立した。他の思想形態もあったが、仏教だけがそれらから分離したようだ。」
実際、仏教の思想は、厳密に言えば宗教としてではなく、むしろ生き方として自らを示している。
「いずれにせよ、仏教でさえ、人々に対してある程度の統制を許容しており、彼らは社会から孤立するか、少なくとも本質的に反抗を軽視するような生き方をしていた。」
それだけではない。
「同時期に、中国では老子と孔子が登場した。」
繰り返すが、これらはある意味、究極的には個人の調和を目指し、社会的に従順にさせ、彼らが生きる実存的条件を受け入れる準備をさせる哲学体系である。
ユダヤ教の新しい一神教、仏教の『再生』、ヒンズー教の輪廻転生、ジャイナ教の霊魂の再生、中国の原始平和主義。これらすべての思想潮流は、実質的に同じ時期に現れている。
「このことから、ある種の世界的な管理体制が存在するという仮説を立てることを可能にする。」
考えられる動機は?
説得という『ソフトパワー』による大衆のコントロールだ。
「この仮説的な単一管理は、大衆に対するこの新しいコントロールシステムを確立し、人々は自分たちの運命が地上の支配者によって左右されないと信じるように仕向けられた 」とビグリーノは推論する。
この『リトマス試験』は、この仮説を裏付けているようだ。
「これらの新しい社会のコントロールの形態は、極めて効果的であることが証明された。それはとりわけ、さまざまな形で、不安の根源に反応したからだ:死の恐怖である。」
確かにそうだ。
「宗教は、しばしば疑いの余地のない真理の担い手として自らを確立したが、しかし、苦しみと死の説明を提供することで人間生活の問題を解決できたのだ。」
言い換えれば、宗教は悪が存在し続けることを説明し、正当化するのに十分な理由を与えたのである。
「わたしたちが受け入れることが難しい人生の否定的な側面、特にそれが不当に思える場合には、それに意味を与えることで、まさにこれらのコントロールシステムが少なくとも 2500 年間わたしたちを効果的に支配することを可能にしてきたのだ。」
これもまた、異論を挟むのが難しい発言である。
「これほど長く続いた独裁体制はない。最も専制的な政治形態の存続期間は、宗教の存続期間と比較すると、実に馬鹿げている。」
フランスの哲学者ミシェル・オンフレによれば、わたしたちの状態を見る最も適切な方法は、一種の家畜の繁殖と飼育の極端な形態と考えることである。
オンフレはそのエッセイ『独裁の理論』の中で、オーウェルの予言的な『動物農場』に敬意を表している。どのような革命も、結局は常に新たな権威主義体制につながるものであり、その新たな支配者は、反乱軍によって打倒された者と同じように、あるいはそれ以上に邪悪であることが判明する。
オンフレに言わせると、わたしたちは再び一種の独裁制の中で生きている。その様相は変わったが、目的は常に同じだ:羊の群れを支配し、自分たちはまだ自由だと思っている羊たちに厳しい規則を課すのだ。
「人間のコントロールに対してより大きな抵抗を示した最も攻撃的な雄羊が最初に屠殺された」とユヴァル・ノア・ハラリはベストセラーの著書『サピエンス全史』で述べ、反逆者を罰し、死刑に処するという冷酷な風潮を非難している。
「同じ運命は、より痩せていて好奇心の強い雌羊にも下された(羊飼いは群れから外れがちな羊を好まない)。」こうして世代を重ねるごとに、「羊は太り、従順になり、進取の氣性は低下した。」
ハラリに言わせれば、これが羊からわたしたち人間に置き変わるのはほんの小さな一歩なのだ。
「神話や物語は、ほとんど生まれながらにして、人々を特定の考え方、一定の範囲内での行動、一定のものへの欲求、一定のルールの遵守に慣れさせた。」
彼の主張は何なのか?
地球生態系へのサピエンスの異常な侵入は、基本的にこの惑星の荒廃を進行させる基礎を築いた。
これは2つの要素によるものだ:わたしたちの並外れた知性の突然の発達と、同じく突然の農業の導入である。
シュメールの言葉で言うなら、『天からやってきた』概念であり、宗教的な物語の神話的投影の背後に真実を隠した特権階級の人々によって、巧みに独占管理された概念ということなのか?
言い換えれば、サンチュニアトンが高度な技術を持った詐欺師として糾弾する登場人物には、天才的な才能があったのだろうか?
「宗教を発明した者は誰であれ、明らかに人間の心をよく理解していた。そして彼、あるいは彼らは、人々をコントロールすることを可能にするメッセージを作り上げることができた」とビグリーノは言う。
どうやって?
「自分たちの力は神々から直接得たものであると主張した(主張している)仲介者たちを通してである。神々は超越的な世界に住んでいる存在であり、したがって仲介者を介さない限り、すべての人類は近付くことができない存在であるというものだ。」
ちなみにそれらの仲介者は、わたしたちの歴史において決定的な役割を果たしてきた。
「もちろんその通りだ。彼らが権力を握っているのは、彼らが知識を保持しているからだ。」
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聖書と呼ぶには早すぎる: 聖書の不確かな歴史-1へ続く**********************************************************
QAJF隊員及び愛国者のnote