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無執着=ヴァイラーギャの境地に達する難しさ?真我実現次なるステップ
無執着=ヴァイラーギャの境地に達する難しさ?真我実現次なるステップ
ムナガーラ・ヴェンカタラーマイア『ラマナ・マハルシとの対話』では、性欲を捨てられないみたいにいう質問者に対して、マハルシさんが真我実現したら性欲は自然になくなるみたいにいうというのがあったんだわ。
なんか引用じゃないけれども、著作権的に大丈夫?
まあ、間接引用ないしは、アイデアの表記として合法と解釈している。
要するに性欲が捨てられない人でも、真我実現したら性欲はなくなるよ、って言う話だよね。
真我実現したはずなのに、性欲などを捨てられていない。
真我実現したはずなのに、性欲などを捨てられていない。
ポリドルフィンさんの真我実現の悟りは本物だったの?
たしかに、不二一元の悟りはしたんだけどなぁ・・・。世俗的な欲望は捨てきれていない。
たとえば?
たとえば、性欲はあるよね。だから、パートナーへの執着も捨てられない。あと、自分の所有物に対する執着も捨てられない。
つまり、ヨガでいう、ヴァイラーギャ(無執着)ができていないんだね。ヨガ思想的にも、NGじゃん・・・。
真我に気づき続けることで、ヨガでいうヴァイラーギャ(無執着)の境地に至るのか?
真我に気づき続けることで、ヨガでいうヴァイラーギャ(無執着)の境地に至るのか?
うーん、最近は、脳の前頭葉を使わないで、右胸のハートの真我に気づき続けることができるようになり、格段にラクになった。
じゃあ、なんでヴァイラーギャ(無執着)の境地に至らないの?
わからない・・・。もっと時間がかかるのかもしれない。
でも、根本的な疑問がオレにはあるんだよね。
でも、根本的な疑問がオレにはあるんだよね。
なに?
結局、ミンナが真我実現して、性欲をなくしたら、人類は滅ぶよね?
そーだね。性欲をミンナなくしたら、子供が産まれないから、人類は滅ぶよね。
究極的真理の次元と日常的経験の次元で説明できないか。
この状態を究極的真理の次元と日常的経験の次元で説明できないかな?
面白い視点だね。まず日常的経験の次元から考えてみると、これは、世俗的な次元だから、悟りを開いても、世俗的な次元では、いままでの習慣や思考パターンがすぐには、なくなることはない。さらなる修行と時間が必要である。
ふむー、さらなる修行と時間が必要であると。
次に究極的真理の次元から考えてみると、これはブラフマン(宇宙の根本原理)=アートマン(真我)しか実在でないという話になる。だから、執着自体がマーヤー(幻影・幻想)で非実在なので、無執着の追求自体出てこないかもしれない。
無執着の追求自体出てこない?!
無執着の追求自体出てこない?!
だってそうじゃない。ブラフマン=アートマンしか実在しなくてほかがマーヤー(幻影・幻想)だとしたら、無執着自体マーヤー(幻影・幻想)だよね。
なんか、ポリドルフィンさんに都合よく考えていない??(笑)
かもしれない(笑)。でも、理屈としては成り立つよね(笑)。
なんか、宗教家・専門家から怒られない??(笑)
怒られるかもしれない?!(笑)
追記:おまけ。『ラマナ・マハルシとの対話第2巻』から関連箇所を引用!
質問者 どうすれば性的衝動は静まるのでしょうか?
マハルシ 区別が消え去ったときです。
質問者 どうすれば区別を消し去ることができるでしょうか?
マハルシ 性別やそれにまつわる事柄は、単なる精神的概念でしかありません。『ウパニシャッド』は「すべてが愛(いと)おしく感じられるのは、すべての生きとし生けるものにとって真我が愛おしいものだからである」と述べています。
人の幸福は内側にあります。愛とはただ真我ゆえの愛なのです。それは内側にあります。愛とはただ真我ゆえの愛なのです。それは内側だけにあります。それが外側にあると考えるのをやめなさい。そうすれば、区別は消え去るでしょう。
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