夢の中では、物が見えたり触れたりしますが、夢である以上、それらに実体はありません。したがって、現実の世界だと思っているこの世界の物も、見えることや触れることが、その実体を保証するものではないのです。
バークリーの哲学から神を取り除けば、ほぼ完全な独我論が完成します。
夢の中の他者は存在していますが、実際には実在していません。実在すると言えるのは、私の意識だけです。他者も世界も存在していますが、それが実在しているとは言えません。仮に他者や世界が幻想だとしても、実在していないだけで、存在はしているのです。
夢の中では、物に触れる感覚を経験します。しかし、その感覚は物理的な現実の証拠にはなりません。触覚があるからといって、それが現実であると断定できないのです。したがって、目の前の世界もまた、実際の物理的現実ではなく、幻想である可能性もあるのです。
夢の中で他者と会話をしている時、その相手のセリフを創り出しているのは、あなた自身の意識です。 つまり、夢の中での会話は他者とのやり取りではなく、自分の意識との会話であり、モノローグとみなすことができます。
夢の中の世界はあなたの意識が作り出した世界ですが、それはまるで映画のようなものです。作家兼監督があなたの意識で、舞台も登場人物もそのセリフもすべてあなたの意識が作り出しているのです。 現実だと思っているこの世界も、あなたの意識が作り出した映画のような世界かもしれません。
独我論的な立場では、意識のみが唯一の実在とされます。一方で、神のみが唯一の実在であるとも言われます。この二つの考え方を単純に結びつけると、意識を神とみなすことができます。もし世界や他者が実在せず、意識だけが実在するのであれば、意識を神と呼ぶことは妥当と言えるでしょう。