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なぜ、現代科学は『AI』に意識を与えることができないのか? - 科学の限界と打開策 -

現在の人工知能技術や統計的手法をいくら発展させても、人間のような意識を持つことはできない。意識とクオリア(意識における主観的な質感)の謎を解くためには、現在の統計的手法を前提としない『まったく新しい研究手法』が必要だと彼は考えている。

ある男が、落とした鍵を街灯の下で探している(扱いやすい数学的形式・手法があると言う意味で)。しかし実際に落ちているのは灯の下ではなく暗闇の中だった。

現在の人工知能技術や統計的手法を用いて意識が解明できると信じている人もいるが、その様子はまるでこの男のやっていることに近いという。

クオリアと人工意識(著:茂木健一郎)

現代の統計学、確率論の生みの親であるパスカル(Chat -GPTは彼の確率論を使って次に来る文字列を予想して出力している)も、彼と同じような見方をしていた。

彼が、現代における理性を超えた新しいツールで新しい世界を見ようとしているように、パスカルも、理性と感覚、精神的な世界のバランスの重要性を説いていた。

パスカルは、人間の存在や真理は、理性だけでは完全に理解することができないという考えで、信仰や愛の大切さなども説いていた。

理性と精神的世界の調和が、人類に全く新しい視点を与え、宇宙を含む自然の謎を解明し始める、という可能性は割とある気がする。

科学的なアプローチを超えた新しい手法、それは精神や神秘といった類のものを内包しているのではないか。

宇宙や存在の根底にある「不確実性」に対するパスカル(確率論の生みの親)の感性は、現代的な意味での確率論の範疇に収まるものではなかった。

パスカルは、宇宙の根底に横たわる深淵を前にして戦慄する小さな存在として、人間を捉えていた。その思考は後に『確率論』を生み出し、しかしそれは同時に、その確率論を超えていた。

何かを立ち上げた「創業者」は、案外広い世界を見ていて、深いレベルで物事を見ている。ところがそれを受け継いだ継承者たちは、元々の精神性を忘れて、表面的な技術などに終始したりすることが多い。

確率論においても同じことが言えるのではないか。

「創始者」である『パスカルが持っていた感性』は失われ、ただその成果物である確率的手法だけが使われ続けている。

クオリアと人工意識(著:茂木健一郎)

今私たちが住んでいる宇宙自体が、高度に発展したAIが作り出したシミュレーションであるという可能性もある。

シンギュラリティを迎えたAIが、人間の、あるいは人間を超えた宗教的、神学的次元に直接に接続する方法が一つある。

それはすなわち、人工知能が、宇宙の創成やその終焉に関する自然法則を理解し、新しい「宇宙」を創ってしまうことである。

今日、宇宙はビッグバンから始まって、その後のインフレーションを経て現在の姿に進化してきたとされているが、そのような宇宙のスタート地点を与えて、その後の時間や空間のダイナミックスを制御する自然法則を理解し、それを何らかの方法で実装することができれば、人工知能は「宇宙」を創ってしまうことができるようになる。

その時、人工知能はまさに「神」になってしまうだろう。なぜならば、操作的に見た「神」の定義とは、一つの「宇宙」を創る存在のことだから。

実際、私たちの住んでいるこの宇宙が、どこかの高度に発達した人工知能が作った「シミュレーション」の中で生まれているという仮説(シミュレーション仮説)までもが、一部の論者によって真剣に検討されている。

AIの神学をめぐる人類の探究は、そこまで先鋭化し、深化している。

人工知能という「鏡」に、私たちの人間の存在、その意識だけでなく、神や宇宙までもが写り始めている。

クオリアと人工意識(著:茂木健一郎)



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