木乃伊馬

私から見える世界を書き留めています。 専門は生物学です。

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最近の記事

NHKが基礎研究に対する誤解を解き、その本質と課題について紹介した素晴らしい動画を出していた https://www.youtube.com/watch?v=5Eoj5zD3aZ0 動画では、「面白ければよい」という基礎研究の本質に根ざした、サントリーによる研究助成金が紹介されている。

    • 村上隆『芸術闘争論』に見る、現代美術と科学の共通点―創造と挑戦の核心

      オートテリック活動の記事で現代美術について偉そうに語ったが、私は現代美術の内容には詳しくない。現代美術という活動のオートテリックな性質を先に知って、その内容に興味を持ち始めたのだ。 現代美術家、村上隆博士の『芸術闘争論』を読んだ。学位の敬称をつけて彼を呼ぶメディアは見たことがないが、彼は東京藝術大学の日本画科で初めての博士号取得者であり、学術的達成への敬意を示し、村上博士と呼ばせていただく。 『芸術闘争論』のなかでも、現代美術という業界がどのように動いていて、日本の美術界

      • ノーベル平和賞2024の選考が実に上手かった

        先日、日本原水爆被害者団体協議会に2024年のノーベル平和賞が贈られることが決まった。 私はノーベル平和賞は、ほかのノーベル賞とは少し違った捉え方をしている。受賞した人や団体の功績への評価というよりは、ノルウェー・ノーベル委員会による世界情勢に対する意見表明であると考えている。 言ってみればノルウェー・ノーベル委員会というのは、平和に関する事を年に一回表明することが許されているご意見番だ。 普遍的な平和メッセージの難しさ平和というのはややこしいテーマで、上手く選ばないと

        • 陰謀論は本来エンタメだったはず

          昔は陰謀論といえば、UFOやネッシー、ツチノコのような存在だった。笑って冗談にしながらも、もしかして本当だったら面白いかも、という程度のエンタメだった。しかし、最近では陰謀論の「冗談」と「本気」の境界が曖昧になり、社会的な影響を与える陰謀論も増えてきた。 この記事では、かつて陰謀論が持っていたエンタメ性と、近年の変化について考えてみる。 かつての陰謀論: エンタメと知的遊びかつての陰謀論は、都市伝説や未確認生物と同じレベルだった。UFOやエリア51のように、真偽がわからな

        NHKが基礎研究に対する誤解を解き、その本質と課題について紹介した素晴らしい動画を出していた https://www.youtube.com/watch?v=5Eoj5zD3aZ0 動画では、「面白ければよい」という基礎研究の本質に根ざした、サントリーによる研究助成金が紹介されている。

          思考は言語に依存するか

          哲学者ヴィトゲンシュタインは、思考や認識の枠は言語によって制限されると考えた。つまり言葉で表現することでしか、人は思考することができないということだ。はたしてそれは本当なのだろうか。 近年、わが国では「言語化」なる言葉が流行している。この言葉がもてはやされている背景には、言語にできない思考が先に存在していることを、暗に認めているようにも考えられる。 この記事では、私たちの思考は言語を超えたところで存在するのではないかという問いを投げかけてみる。 「言語化」がもてはやされ

          思考は言語に依存するか

          遊びとテクノロジーの逆説

          日々、めんどくさい作業がたくさんあって、テクノロジーが発達したら、こんなことは二度とやらなくて済むのに、と思うことは多い。 ところが印刷技術が発達したというのに、毛筆で書道を続けている人がいる。 写真技術があるのに、いまだに絵を描く人がいる。 クイズ番組では、検索すればわかることをわざわざ記憶して競っている。 車があるのに馬に乗る趣味が根強く残っている。 建物があるのに、キャンプに行ってテントを張り、薪で火を起こして調理をする。 これは一体どういうことだろう。 この記事

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          感情論をバカにするのは時代遅れ

          感情論をバカにする風潮「感情論で話す奴はバカだ」「もっと論理的に話せタコ」なんてフレーズを耳にすることは少なくない。こういった発言からは、自分は理性的に考えられる優れた人間で、感情に惑わされる人間は知能の低い人間だから、会話に値しない、というマウント取りの態度が感じられる。 でも、感情論を軽視することは本当に賢い態度なのか。むしろ感情を無視するほうが、非現実的な姿勢なのではないか。 この記事では、感情論をバカにする風潮に対して、合理性・論理性を感情に対立するものと便宜的

          感情論をバカにするのは時代遅れ

          シミュレーション仮説: 創造主はゲーマー? 科学と宗教の意外な和解

          最近はコンピュータの計算性能が上がってきて、Cities: SkylinesやSimCityといった都市シミュレーションゲームでは、市民一人ひとりに職業、家族、年齢、職場や住宅などが設定されている。まるで彼らに本当に人生があるかのようだ。 すると、ふと「もしかしたら私もこのゲームの中の市民の一人なのでは?」という疑問がよぎることがある。 この問いはシミュレーション仮説と呼ばれている。あの有名なThe Matrixなどの映画作品でも取り上げられているように、この仮説は「私た

          シミュレーション仮説: 創造主はゲーマー? 科学と宗教の意外な和解

          数学は人間と実世界をつなぐインターフェース

          数学を学ぶ意義として、「論理的思考力の養成」や「〇〇に役立つ」といった説明をよく見かけるが、それは数学の本質を捉えているのだろうか?という疑問が浮かんだ。 この説明には、自転車を移動手段ではなく、足腰を鍛えるための道具だと説明されているような違和感がある。 数学が何千年も使われ続け、発展してきた背景には、もっと深い意味がある。それが何なのか、若干語り尽くされた感があるトピックではあるが、改めて数学の本質について考えてみようと思う。 なお、ここでは数学という概念を極めるこ

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          基礎科学研究の価値は「面白いかどうか」で決まる

          新しい科学の研究結果が発表されたというニュースを見て、多くの人は「それは何の役に立つのだろう」という思うかもしれない。でも、それは本当に正しい質問だろうか? もしかしたら、科学研究の本質を見逃しているかもしれない。 この記事では、そもそも科学研究はみな「役に立つ」ことを目指しているのか、その本質についてそこそこ軽めに考えてみる。 1. 基礎研究と応用研究まず初めにおさえておきたいのは、科学研究には大まかに、基礎研究と応用研究という2つのジャンルがあるということだ。 基礎

          基礎科学研究の価値は「面白いかどうか」で決まる

          オートテリック活動: 役立たないことを極める人類

          オートテリック活動とは大抵の人間活動は、なんとか生き延びるために必要だったり、日々の生活をちょっぴり便利にする目的で始まる。食物を育てて、病気を治して、物を運び、生活を便利にする。いわゆる「実利的活動」だ。映画や音楽、スポーツといった娯楽も、楽しさや感動を提供するという点で、実利的な側面を持っている。これらの活動がなぜ存在するのか疑問に思う人はほとんどいないだろう。 ところが世の中には、一見して何の役にも立たないどころか、理解すら難しいことをやり続けている活動が思いのほか

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