シミュレーション仮説: 創造主はゲーマー? 科学と宗教の意外な和解
最近はコンピュータの計算性能が上がってきて、Cities: SkylinesやSimCityといった都市シミュレーションゲームでは、市民一人ひとりに職業、家族、年齢、職場や住宅などが設定されている。まるで彼らに本当に人生があるかのようだ。
すると、ふと「もしかしたら私もこのゲームの中の市民の一人なのでは?」という疑問がよぎることがある。
この問いはシミュレーション仮説と呼ばれている。あの有名なThe Matrixなどの映画作品でも取り上げられているように、この仮説は「私たちの世界が実は高度な存在によるコンピュータシミュレーションである可能性がある」という考え方で、SFの世界では頻繁に使われてきたネタだ。
理論科学とシミュレーション仮説は相性が良い
興味深いことに、理論科学とシミュレーション仮説は非常に相性が良いと言える。
理論科学は、私たちの「意識」も含め、世の中のあらゆる事象に数理モデルを当てはめ、辻褄が合う説明を探す学問だ。つまり、理論科学が「世の中の全ては数学で説明できるはずだ」という立場を取っている点で、一種のシミュレーション仮説に似た前提を持っているとも言える。
仮にシミュレーション仮説が本当だとしたら、シミュレーションの中で派生したヒトという種が、数学という概念を生み出してシミュレーションの仕組みを解明しようとしているというのは、とてもおもしろい。
もちろん、理論科学が全ての現象を数理モデルで説明できたとしても、それがシミュレーション仮説の決定的な証拠にはならない。それでも、数理モデルがこれほどまでに現実に適合しているという事実は、シミュレーション仮説を支持する一つの裏付けになるかもしれない。そして重要なのは、この仮説を否定することが現時点ではほぼ不可能であるということだ。
創造説とシミュレーション仮説
さらに興味深いのは、シミュレーション仮説が、伝統的な宗教の創造説と非常に似ているという点だ。
多くの宗教では、高度な存在(神)がこの世界を創造したという、寓話的な創造説を採用しているが、シミュレーション仮説も高度な存在がシミュレーションを作成したという点で共通している。つまり創造説を現代的に解釈すると、シミュレーション仮説に近いものとして理解できるわけだ。
もちろん、宗教は創造説だけにとどまらず、道徳的指針や社会的・政治的な役割を持つものなので、科学と宗教が全ての面で同意することは難しい。
しかし、創造説に限っては、「高度な存在による宇宙の創造」として広義に捉えれば、理論科学と宗教は、実は同じ内容を異なる言葉で語っていた可能性がある。
歴史的に科学と宗教は相性が悪かったが、ここへきて驚きの和解が成立する可能性も否定できないかもしれない。科学と宗教は対立するのではなく、むしろ補完し合う関係を築く可能性があるのではないか。
あっち側の世界の不可知性
ここで考えたいのは、「もしこの世界がシミュレーションだとしたら、シミュレーションを行っている『外側』や、その創造主を理解することは可能か?」ということだ。答えはおそらく「不可能」だ。なぜなら、シミュレーションの中に生きる我々は、あっち側の法則や性質にアクセスできないからだ。これは、海の中の生物が、水の外の世界を理解できないのと似ている。我々の数理モデルはこのシミュレーション内のものであり、あっち側の世界とは全く異なるかもしれないのだ。
このように、科学と宗教が社会に与える影響を考えることで、社会全体の理解が深まる可能性がある。そしてこうやって私たちがシミュレーション仮説について議論していること自体が、シミュレーションの中で行われており、高度な存在はそれを観察し、微笑んでいるかもしれない。