大花 町

たいか まち と言います。 歴史は暗記科目でなく、「判断のための基準」だと感じています。 盲目的に現在を受け入れたり、投げやりに現在を否定したりしないように過去の人々の経験・生活・思考・思想・信仰・思い、そういった「叡智」と、それらの解釈の方法をお届けします。 PMCV

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たいか まち と言います。 歴史は暗記科目でなく、「判断のための基準」だと感じています。 盲目的に現在を受け入れたり、投げやりに現在を否定したりしないように過去の人々の経験・生活・思考・思想・信仰・思い、そういった「叡智」と、それらの解釈の方法をお届けします。 PMCV

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「表」タケミナカタ神話「表」①

▼プロローグ タケミナカタ(建御名方命、諏訪大明神)の物語は古事記における出雲の国譲りの段に語られます。  この神様は謎の多い存在で古代から今に至るまで多くの考察を生んでいます。  今回はタケミナカタが何者であるかは考察しません。  物語としてのタケミナカタ神話のメッセージ性に触れていきたいと思います。 ▼導入神話とはなんでしょうか?様々な捉え方があると思います。 まずはいくつかの捉え方のケースを見ていきましょう。 1、「事実を伝えている」という捉え方  宗教を信じる方

    • 前見た夢② 世界には様々な領域があるが、そのそれぞれにヌシといえるようなものがいて、故に領域ごとのルールに敬意をもつ必要がある。 領域の壁は薄いシャボン玉のようで、突けば壊れてしまいそうだった。 それは人間のようだとも思った。

      • 善悪、勝ち負け、正誤、それら相反するものたちが一つにあること それを無としての一つ(悪平等)じゃなく、「在る」の一つとしてどう感覚的に簡潔に説明できるかを考えていたら、エレベーターが「我こそは」と語りかけてきたよ たしかに「昇る」と「降りる」の相反するものが一つに「在る」

        • 生きていく力について3.5:前回の記事の補足、思考機能の使い方「蛇足かも」

          はじめての試みですが、前回の記事の補足を行ってみようと思います。 というのも、前回の記事の冒頭。 そこで「言葉」が全てを説明しきれなくなり、「欲動」が人々に干渉するようになった経緯の概要をお伝えしました。 ただ、おそらくこの冒頭の時点で多くの人が先に読み進めることをやめてしまっているように思えます。 もちろん、私自身の力量不足もあるでしょうし、あまりにも普通や一般常識の感覚からはズレている内容であるので、それは仕方ないことだとも思います。 なので今回蛇足になるかもしれませんが

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        「表」タケミナカタ神話「表」①

        • 前見た夢② 世界には様々な領域があるが、そのそれぞれにヌシといえるようなものがいて、故に領域ごとのルールに敬意をもつ必要がある。 領域の壁は薄いシャボン玉のようで、突けば壊れてしまいそうだった。 それは人間のようだとも思った。

        • 善悪、勝ち負け、正誤、それら相反するものたちが一つにあること それを無としての一つ(悪平等)じゃなく、「在る」の一つとしてどう感覚的に簡潔に説明できるかを考えていたら、エレベーターが「我こそは」と語りかけてきたよ たしかに「昇る」と「降りる」の相反するものが一つに「在る」

        • 生きていく力について3.5:前回の記事の補足、思考機能の使い方「蛇足かも」

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          「国民一人一人の意識の変化が必要」という理屈は真っ当なように見えて一つ大きな問題があるのです。それは、「変化の意志とは魂(プシュケー)の作用であるが、1億人一人一人に魂が入っているのだろうか?」ということです。 プシュケーはそんなに沢山いるのだろうか、ということなのです。

          「国民一人一人の意識の変化が必要」という理屈は真っ当なように見えて一つ大きな問題があるのです。それは、「変化の意志とは魂(プシュケー)の作用であるが、1億人一人一人に魂が入っているのだろうか?」ということです。 プシュケーはそんなに沢山いるのだろうか、ということなのです。

          生きていく力について:3 「アベルを生きる」欲動や元型の顕現、個性化について「カインを生きる」

          〇小文字の他者(対象a)とは何か まずは前提となる御話をさせてください。 このことに関しては真実だとも嘘だとも言いません。 しかし、今後の御話を進めるにあたって、まずは「そういうものだ」、と受け止めていただけると幸いです。 遥か太古の昔、言葉はまだコミュニケーションのツールではなく、傷を癒したり、物を浮かせるためのものでした。 やがて言葉が意思伝達のために使われていきますが、その頃の言葉はあらゆる意味や概念を、漏れや差異なく完全に、適切に表しており、よって人々の間にすれ違

          生きていく力について:3 「アベルを生きる」欲動や元型の顕現、個性化について「カインを生きる」

          真の自由とは何か それは、「あらゆるものが私という「装置」を通してあらゆるものに「成れる」ことを感覚にまで落とし込めていること」 このとき、「装置」という機械的な枠組みに自身を当てはめていることすら、「自由」への表現に変換できている 真の自由とは、縛るものを破壊することではない

          真の自由とは何か それは、「あらゆるものが私という「装置」を通してあらゆるものに「成れる」ことを感覚にまで落とし込めていること」 このとき、「装置」という機械的な枠組みに自身を当てはめていることすら、「自由」への表現に変換できている 真の自由とは、縛るものを破壊することではない

          「聴け、耳を塞げ」アメツチイマダワカレズノカミ「目を閉じて視よ」

          この記事はアプラクサスという存在について、河合隼雄さんの著書から引用させていただきます。 ここに記す内容は、私のこれまでの記事と、これからの記事全体を通して表現したいことに密接に関わっています。非常に重要な内容なため、長くはなってしまいますが、割愛せず引用させていただきます。 以下より引用 上記の内容には重要な内容がいくつも含まれています。 「第三の道」、「東洋と西洋が接する町」、「いのち」、「偉大なる牧神、パン」、「卑小なるブリアーポス」、「原初の両性具有」、「未完

          「聴け、耳を塞げ」アメツチイマダワカレズノカミ「目を閉じて視よ」

          生きていく力について :2 精神力動論(力の動きで世界を観測する、ということ)

          〇はじめに(とある講演会で)以前とある方の講演会に参加したときのこと。広いホールに明らかに用意していた椅子が足りないほど盛況で、一部の方は床に座っているほどでした。講演の全体の内容はほとんど覚えていませんが、最近では珍しくもなくなったものの、当時はまだあまり話されていなかった、日本の未来を憂うような内容に話が流れてゆき、その口調は次第に静かながらも熱を帯びてゆきました。そして最期にはホールの人々に向かって叫んだのです。「私と一緒に輝かしい未来をつくってゆきませんか!」。会場は

          生きていく力について :2 精神力動論(力の動きで世界を観測する、ということ)

          前見た夢 イザナミ(グレートマザー)の制御方法 https://www.orientalmotor.co.jp/ja/products/ac-motors/electromagnetic-brake

          前見た夢 イザナミ(グレートマザー)の制御方法 https://www.orientalmotor.co.jp/ja/products/ac-motors/electromagnetic-brake

          雑記 先日見た夢①「異形のものたち」

          ○先日見た夢以下の記事の少年のように、私もアニマとの「鬼ごっこ」をよくします。 もちろん捕まれば「私(自我•意識•理性)」は殺されるので、「ごっこ」というよりは彼女は「鬼」そのものであるのですが、さすがに幾度か繰り返していると、私と彼女の間に「楽しさ」が芽生えているのを感じられるのです。 先日もこれまでと同じように彼女と「鬼ごっこ」をしていました。 鬼ごっこをしているうちに、その舞台が昔私が通っていたいくつかの学校を複雑に混じり合わせた場所であることに気がつきました

          雑記 先日見た夢①「異形のものたち」

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          「カチカチ山」とかいう和製サウスパーク、いつからヌルくなったのか

          カチカチ山の現代に至るまでの変遷 実はこの方がムカデ人間の話をしている時から好きだったのです🌙 •私の記事での関連 「諏訪信仰を伝えたい!」①八ヶ岳の伝承を人類の起源と併せて考えてみる https://note.com/kinuzuka/n/n3b61943883ab 生きていく力について :1 プシュケーと力動論と対啓蒙的学問「穏やかな正義」 https://note.com/kinuzuka/n/nb1d539af4c30

          「カチカチ山」とかいう和製サウスパーク、いつからヌルくなったのか

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          生きていく力について :1 プシュケーと対啓蒙的学問「穏やかな正義」

          〇はじめに「生き抜いていく力ってなんだ?」 生きていく力、 正確には「生き抜いていくための力」と聞いてあなたはどのようなものを思い浮かべるでしょうか? 私はそういったものだと思っています。 けれど、この世界にはシロとして生まれた者もいれば、クロとして生まれたものもいること、そして今現在が、「苦しみを抱えてでも生き抜いていくこと」よりも、「無に至る」ことの方が価値が重いように見なされる傾向に進んでいること。それらにより上記の内容を必ずしも共感していただけないことはわか

          生きていく力について :1 プシュケーと対啓蒙的学問「穏やかな正義」

          歴史、神話、精神構造、肉体、世界情勢、地理はコンステレーションしている。 なので肌を見ることで異界のものたちと繋がる座標に向かうことができる。案外学問の範囲でずっと前から言われているようなことでした。暗黙の了解として導入と結論の狭間にそれらを忍ばせるのがルールだったのです。

          歴史、神話、精神構造、肉体、世界情勢、地理はコンステレーションしている。 なので肌を見ることで異界のものたちと繋がる座標に向かうことができる。案外学問の範囲でずっと前から言われているようなことでした。暗黙の了解として導入と結論の狭間にそれらを忍ばせるのがルールだったのです。

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          民俗学とは何か 島村恭則 関西学院大学講義 現代民俗学A

          •人間を〈俗〉の視点で研究する学問  〈俗〉とは  ①支配的権力になじまないもの  ②啓蒙主義的な合理性には必ずしも割り切れないもの  ③「普遍」「主流」「中心」とされる立場にはなじまないもの  ④公式的な制度からは距離があるもの •注意  実際は支配的権力、啓蒙、合理性等との明確な境はなく「あちら」と「こちら」に分け切ることはできない。「こちら」にいるつもりが「あちら」になっていたり、「あちら」の中にこちらと通ずる考えがあったりする。故に相手の立場で考える必要がある。 •民俗学は何故あるか  支配的権力、啓蒙、合理性などが自分達都合で作り上げるルール、制度、学問体系に対して、それによって切り捨てられる「必要ないもの」の価値、意味を見出す。「あちら」が「必要ないもの」とするものの中に実際は知恵が多分にあることを見出し、その積み重ねの上に現在があることを知る。 私の記事での関連   •Dについて③「プラトン」啓蒙とは何か👁「洞窟の住民たちへ」 https://note.com/kinuzuka/n/n98ff06aef1ad    •「地母神」未来の歴史教育について予想してみた「AI」 https://note.com/kinuzuka/n/n8a3bdf526650  

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          全然まとまんないので、とっても見辛いですが多分記事にしないことも含めて全体像を上げておきます。

          全然まとまんないので、とっても見辛いですが多分記事にしないことも含めて全体像を上げておきます。