山崎与次兵衛

ソフトウェア技術者。三輪眞弘とマーラーの研究者。スケジューリング学会、日本OR学会、 国際マーラー協会各会員。日本マーラー協会元会員。 著書(共著)『配信芸術論』(アルテスパブリッシング)。『詩と音楽のための「洪水」』(洪水企画)、マーラー祝祭オーケストラプログラムなどに寄稿。

山崎与次兵衛

ソフトウェア技術者。三輪眞弘とマーラーの研究者。スケジューリング学会、日本OR学会、 国際マーラー協会各会員。日本マーラー協会元会員。 著書(共著)『配信芸術論』(アルテスパブリッシング)。『詩と音楽のための「洪水」』(洪水企画)、マーラー祝祭オーケストラプログラムなどに寄稿。

マガジン

  • 山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘

    これまでWebページ、Blog記事などの形で20年に亘って公開してきた三輪眞弘さんについての文章をアーカイブ。

  • 山崎与次兵衛アーカイブ:作曲家論集

    これまでWebページ、Blog記事として公開してきた、クラシック・現代音楽の作曲家の人と作品についての文章をアーカイブ。

  • 「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ

    『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』別冊。藤井貞和が<うた>の起源に指摘する「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識への変容プロセスとの構造的な連関を、宮古島狩俣の村落の構造と祭祀と神歌との関わりを手掛かりに検証。

  • 山崎与次兵衛アーカイブ:グスタフ・マーラー

    これまで30年に亘りWebページ、Blog記事、コンサートプログラムへの寄稿などの形で公開してきたグスタフ・マーラーについての文章をアーカイブ。

  • 日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』を読む

    『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』別冊。ジッド『狭き門』の読解。原題「日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ」, 2013.9.15 Web公開, 2014.6.28 blogで再公開。

最近の記事

  • 固定された記事

 かつてパウル・ツェランはブレーメン講演において、マンデリシュタムが「対話者について」で述べた「投壜通信」を引用して、 詩を、必ずしも希望に満ちてはいなくても、いつかどこか、心の岸辺に打ち寄せると信じ、流される投壜通信であるとした。 航海者が遭難の危機に臨み壜に封じて海原に投じた、己れ名と運命を記した手紙。誰も聞いてくれないのに 小声で語られる末期の言葉は、だが、彼が去ったのちに、どこかの砂浜に打ち上げられ、砂に埋もれた壜に偶然気づいた人に 拾い上げられて読まれることはないの

    • 「平成21年喜多流素謡・仕舞の会」(喜多六平太記念能楽堂・平成21年8月25日)

      仕舞「柏崎」道行 シテ・香川靖嗣 地謡・狩野了一・金子敬一郎・粟谷充雄・粟谷浩之 「柏崎」は能を一度拝見したけれど、全体としては話が整理されていない 感じで、やや印象が散漫な中、今回取り上げられた道行きの部分だけは その場所が自分にとって馴染みのあるという個人的な理由もあって鮮明に 記憶していたのだが、今回のお仕舞は風景と心象のリアリティにおいて それを更に超えた力を備えたものに感じられた。木島、浅野、井上といった 地名が詠み込まれた謡が進む中、香川さんの舞はお仕舞であるに

      • モノローグ・オペラ「新しい時代」の再演に接して(後半)

        (承前) 0.はじめに 以前私はこの作品を含む「新しい時代」の系列の作品群について「ミイラ取りがミイラになる」危険について記したことがある。この作品に先行し、かつ四人のキーボード奏者がフォルマント合成の原理によって「言葉の影」を浮かび上がらせるという側面を共有する「言葉の影 またはアレルヤ」ともども、少年Aの事件やオウム真理教の事件との関わりについてはしばしば言及されてきたのだが、「ノンフィクション作曲」であったり、架空の教団の典礼音楽という体裁を取ることは、そこに批判

        • 「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:まとめと結論

          まとめと結論A.<二分心>の位置づけ <二分心>における神の声は社会統制の機能を果たすものと想定される。だが、<二分心>抜きの説が多く存在する(というより多数派である)ことからも想像されるように、<二分心>概念は、構造的なギャップを埋める必然的なものとして位置づけられるというより、今日、多くは病理的な状態で現れるとされる幻聴が古代においてはごく普通の出来事であったということが文献から読み取れるという事実を出発点にして、逆にそこから、言葉を持ちながら意識を持たなかった段階

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        • 山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘
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        • 「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ
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        • 山崎与次兵衛アーカイブ:グスタフ・マーラー
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        • 山崎与次兵衛アーカイブ:山本家狂言鑑賞記録
          14本

        記事

          アルマの「回想と手紙」にある「大地の歌」の題名に関するコメント

          アルマの「回想と手紙」にある「大地の歌」の題名に関するコメント(アルマの「回想と手紙」原書1971年版pp.168--169, 白水社版邦訳pp.162--163) この文章はアルマの「回想」の1908年夏の章の始まってすぐに出てくるものであるが、ここでは最後の文章で「大地の歌」の題名についての言及がなされている 点が特に注目される。1971年版では脚注がついていて、このタイトルと第1楽章の最終的な曲名との関連に触れているが、この点は全曲の構想を考える上で、 示唆的であるよ

          アルマの「回想と手紙」にある「大地の歌」の題名に関するコメント

          日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ (26(了)・文献リスト)

          26. もう一度冒頭の問いに戻ろう。文体を放棄し、自己を放棄したアリサが古典的と形容される精緻な文体によって描き出されるのは、矛盾ではないのか? アリサの或る種の自己破壊衝動には注目せずにはいられない。それは書き手のジッド自身の衝動とは相反するものである筈だから。例えば以下のアリサの日記の一部に 記された衝動が、押しとどめられることなく、そのまま実行されたなら、そもそも「アリサの日記」はなかったことになる。だが、「アリサの日記」が無ければジェロームは この文章を書いただろ

          日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ (26(了)・文献リスト)

          ショスタコーヴィチを巡っての15の断章(8)

          8. 形式的には変奏曲、しかもパッサカリアのような厳格なものへの嗜好、フーガをはじめとする対位法的な技法への嗜好が窺える。 様式的な多様性と、語彙の豊富さと並行するかのように、ショスタコーヴィチの場合にはカノンではなくて、フーガが優位だ。 (多作で速筆なことも含め、かのグールドが持ち出したヒンデミットとヴェーベルンの対比なら、明らかに前者に近いことになるだろう。) 古い皮袋に新しい酒という譬はショスタコーヴィチの場合には当てはまらない。 注がれる酒の価値は新しさにあるので

          ショスタコーヴィチを巡っての15の断章(8)

          狂言「鱸包丁」:「第5回香川靖嗣の會」

          狂言「鱸包丁」 シテ・山本東次郎 アド・山本則重 演奏至難をもってきこえる大曲「朝長」の前に置かれた狂言の演目は、これまた語りを中核とし、アイロニーに富んだ難曲「鱸包丁」。まず選曲に見識の 高さを感じずにはいられない。だが拝見すれば改めてこうした曲は山本家の狂言の素晴らしさを堪能するにはうってつけの作品であることを認識するのだ。 アドである甥のたくらみは開曲して間もなく明らかにされるが、それを見透かした伯父の戦略が作品そのものの形式的な構造をかたちづくり、山本家の狂言の 様

          狂言「鱸包丁」:「第5回香川靖嗣の會」

          「国立能楽堂2009年9月定例公演」(国立能楽堂・平成21年9月2日)

          能「砧」 シテ・香川靖嗣 ツレ・狩野了一 ワキ・宝生閑 ワキツレ・大日方寛 アイ・野村万蔵 後見・内田安信・中村邦生 笛・一噌仙幸 小鼓・横山晴明 大鼓・柿原崇志 太鼓・助川治 地謡・塩津哲生・大村定・長島茂・友枝雄人・内田成信・佐々木多門・大島輝久・井上真也 この演能の感想を書くことは非常に難しい。というのもこのとき私は普通のコンディションでなかったからである。私事を細々書いても仕方ないので仔細は省略するが、 前夜にちょっとしたトラブルに巻き込まれた私は普段の心理状態では

          「国立能楽堂2009年9月定例公演」(国立能楽堂・平成21年9月2日)

          合邦庵室・奥

          2002年の地方公演は「摂州合邦辻」が出る。府中に観に行った。 「合邦」といえばNHKのテープで残っている若大夫さんの演奏がとにかく圧倒的で スケールの大きな感情のぶつかり合いの凄まじさが印象に残っている。 それもあって「合邦」は理屈を超えたとてつもない巨大な情念の奔流が特徴的な作品だと 思うのだが、実際、今回の上演でも特に奥でそうした状況が現出し、素晴らしい舞台となった ように思う。とりわけ咲大夫さん・富助さんの床があまりに素晴らしく、終演後しばらく 言葉が出なかった程だっ

          「新調性主義」を巡っての断想

          (…) 本当は「「時の逆流」および時間の「感受」のシミュレータとしての「音楽」に関するメモ」でその射程を示したコンピュータによる音楽作品のMIDIデータ分析と、そのそもそものきっかけとなった「新調性主義」との関連付け(但し両者が最初から本質的に関連していて、「新調性主義」の派性としてMIDIデータ分析が位置づけられるわけではなく、その結びつきには少なからず偶然が関与していて、寧ろそれ故に確認の必要に迫られていると言うべきなのかも知れませんが…)を改めて確認し、整理しようと思

          「新調性主義」を巡っての断想

          日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(25)

          25. だがそれでもなお、アリサに欠けていたものが何であったか、というのはジェロームとともにアリサを記憶するものにとってのみ相応しい問いだろう。 ベンヤミンの短いが重要な「狭き門」についての文章で、ベンヤミンはジッドの企てはそもそも最初の構想からして不可能事であったと 語っている。ところで、ベンヤミンは、紫水晶の十字架について、全くの勘違いをしている。それはベンヤミンの主張にとって実は致命的で、 「狭き門」の破綻を指摘するベンヤミンの主張が、今度はその一点から破綻することは

          日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(25)

          魔法の鏡・共感覚・盲者の記憶:モリヌークス問題からジッド『田園交響楽』を読む(40(了)・文献リスト)

          40. 人はどんな時に泣けなくなるのか?どんな時に祈れなくなるのか?そして泣くことができるようになるのは如何にしてか、祈ることができるようになるのは 如何にしてか?それを考える手がかりを作品の内部に探してみようと思ったとき、第一の手帖にこんな会話があったことを思い起こしてみるべきだろうか? そしてこれを、結末の言葉と突き合わせるのは不当なことだろうか?一体何が変わったのか?泣くことは第一の手帖では寧ろ否定的な状態、 幸福から疎外された状態と見做されていたのではなかったか。

          魔法の鏡・共感覚・盲者の記憶:モリヌークス問題からジッド『田園交響楽』を読む(40(了)・文献リスト)

          アルマの「回想と手紙」にある「大地の歌」作曲のきっかけに関するコメント

          アルマの「回想と手紙」にある「大地の歌」作曲のきっかけに関するコメント(アルマの「回想と手紙」原書1971年版pp.151--152, 白水社版邦訳p.144) 「大地の歌」の成立に関する混乱は、アルマの「回想と手紙」の上掲の記述に起因するようだ。これの真偽については諸説あるようだが、現時点では、ベトゥゲの詩集の最初の出版が1907年10月5日であるという記録から、マーラーが詩に出会ったのが1907年であったにしても、それはその年の夏の休暇の間のことではないし、1907年の

          アルマの「回想と手紙」にある「大地の歌」作曲のきっかけに関するコメント

          ショスタコーヴィチを巡っての15の断章(7)

          7. 未来というよりは過去を向いている点。 同時代に時代遅れと見なされがちであった点、ジャンルや様式の総合という点で、ショスタコーヴィチは、まさにバッハが占めていた位置をしめているということができるだろう。 普通に思われている以上に、ショスタコーヴィチとバッハの歴史的な位置付けは近いのではないか。 職人的な着実さで、手早く、次々と作品を仕上げ、後を顧みないこと(次に取り上げるときには、それは改作であり、最早別の作品だといって良い。)、ほとんどの作品を 具体的な演奏者や演奏す

          ショスタコーヴィチを巡っての15の断章(7)

          「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第5章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(3):祭祀と神歌における心の社会性

          1.狩俣の神歌の体系内に層を見出すことができるか? 既述のように、狩俣の神歌の中で最初に注目されたのは、男役の唄う「狩俣祖神のニーリ」であった。そしてこれの成立年代は、その内容の最も歴史的に新しい部分(与那覇原戦ないし平良の目黒盛の軍勢の狩俣襲撃とそれと戦った真屋のマブコイの武勇伝)から、仲宗根豊見親による宮古島の統一期を遡ることはないと考えられる。狩俣の神歌の採集を試みる研究者がまずアクセスするのは、その当時の部落会の会長を初めとする村落の指導者達であり、彼らはしばしば

          「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第5章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(3):祭祀と神歌における心の社会性