#小説
ハードボイルド書店員が読みたい「2025年本屋大賞・ノミネート作」
またこの季節が巡ってきました。
「本屋大賞」については、イチ非正規書店員として思うところがあります。ただ企画そのものを否定してはいません。小説を読むことの喜びを知ってほしい。本と本屋にいままで以上の関心を抱くきっかけになってくれたら。その気持ちは当然持っています。
さっそくノミネート10作品の概要を調べました。スイマセン、偉そうなことを書いておきながらどれも読んでいません。たまに「書店員はプル
ハードボイルド書店員日記【196】
<ヤナギダクニオ>
「すいません、ヤナギダクニオさんの本はありますか?」
物腰の柔らかい女性。同僚がレジを離れ、カウンターの脇へ移る。彼はかなりの読書家だ。慣れた手つきで「柳田国男」と端末のキーを打つ。
「いまこちらに置いているのは角川ソフィア文庫の『新版 遠野物語』だけですね。何かお探しのものはございますか?」
「タイトルはわからないのですが、脳死状態になったお子さんのことを書いた本で」
「脳
ハードボイルド書店員日記【191】
「スカスカだね」
土曜の午後。混雑するレジを抜け、担当エリアの棚整理をする。ポロシャツを着た白髪の紳士に声を掛けられた。ノンフィクションのコーナーを見ながら渋い表情を浮かべている。
「申し訳ございません」
「棚卸が近いの?」
「実は」
元・同業者かもしれない。
「会社からもっと返品しろって言われてるんでしょ? 箱数でノルマとか」
図星だ。ここの棚卸は、店に出ている本の価格と数を業者が閉店後から
ハードボイルド書店員日記【189】
「おお、いたいた!!!」
夏の前髪を視界に捉えた平日の午後。棚卸に供された返品の山を心ならずもダンボールへ詰め込み、カウンターに駆け込む。ハヤカワ文庫用のカバーが足りないと気づいた矢先に、海外文学を愛する常連さんが大股で近付いてきた。グレーのハンチングを被り、ジョン・レノンみたいなレンズの丸い眼鏡をかけた声の大きい老紳士である。
「いらっしゃいませ」
「アンタに訊けば間違いない。夏葉社ってある
ハードボイルド書店員日記【188】
「あれ?」
穏やかな平日の午後。レジにかつての上司が現れた。最初に勤めた大型書店でお世話になった方である。
「御無沙汰しています」
「いつから?」
「4年ぐらい前ですね」
「○○書店で働いているって聞いたけど」
「そこも閉店してしまいまして」
「ああ」
10年近く会っていない。頬が黒ずみ、頭には白いものが増えた。でも安心させてくれる笑顔は変わっていない。
「ぼくは契約社員として再雇用されて
ハードボイルド書店員日記【187】
人手不足の週末。電話が鳴った。
諸々の感情を押し殺して受話器を取る。
「森博嗣さんの『人形式モナリザ』はありますか?」
「Vシリーズの二作目ですね。少々お待ちくださいませ」
カウンターを離れ、講談社文庫の棚へ。ない。下のストッカーにも。PCで検索した。半年ほど前に売れ、ずっと補充が入っていない。担当に伝えるべきだろう。
「お待たせ致しました。申し訳ございません、ただいま売り切れていましてお
ハードボイルド書店員日記【186】
「五月病を吹き飛ばしてくれる本、集めました」
期間限定の小規模なフェアが始まった。場所は心理・哲学書コーナーの一列のみ。すべて棚に面陳して手書きのPOPを添えるゆえ、置けるのは五冊だけである。
店長が三冊、私が二冊を選んだ。
前者はいずれも「自己肯定感」や「マインドフルネス」に特化したベストセラー本だ。いわば和食における白いご飯。だから私は味の濃い小鉢を用意させていただいた。
「これ、どう
ハードボイルド書店員日記【184】
「すいません、抜けます」
GWの真っ只中。通常よりもやや大きいハヤカワ文庫のカバーを折っていられたのは開店から20分までだった。
「絵本を3か所に配送したい」という小柄な老婦人が来た。送料がどれだけかかっても構わない、孫に贈りたいとのこと。遅番が出勤する13時半までは3人しかいない。店長が伝票の作成や梱包のためにカウンターから離れ、残りはふたり。電話がずっと鳴り続けている。
そしていま、客注
私小説「ハードボイルド書店員の独り言」
雨上がりの朝七時。誰もいない路地を歩く。
タバコの残り香が鼻孔を掠める。湿ったアスファルトに自転車が踏みつぶした吸い殻。舌打ちはいつしか堪える方に過半数を譲った。
今日は昨日よりも混むだろう。
連日前年比を超えている。外国人観光客のおかげだ。彼ら彼女らが買うのは帆布を使った鞄。北斎や写楽や鹿苑寺のポストカード、そして文房具各種と期間限定で並べている動物のぬいぐるみだ。イングリッシュブック?
ハードボイルド書店員日記【183】
「求人情報誌は置いてますか?」
学習参考書を品出ししていた平日の午後。棚はすでにパンパンだ。下の収納スペースも氾濫寸前。売れる時期なのはわかる。だが取次が毎週補充してくれるのにここまでストックを持つ必要があるのか。返品が増えるばかりで環境にも悪い。嫌な世界だ。
小柄な女性に声を掛けられた。白いプルオーバーパーカーに黒縁メガネ。同年代かもしれない。
「昔はいくつかありましたが、現在はほぼフリー
ハードボイルド書店員日記【182】
「月末に○○書店がオープンするね」
週刊誌を買いに来た常連の老紳士がレジで呟く。
春休みが終わって落ち着いた平日。尤も数週間後にはゴールデンウィークがやってくる。「お客さんは、自分が休んでいる時に周りが動いていることを当然と考える」メンターが年明けの朝礼で話した言葉を噛み締めた。
「知りませんでした。教えていただいてありがとうございます。すぐ近くですか?」
「高速道路を挟んだ反対側だね。△△
ハードボイルド書店員日記【181】
「『あさいち』売れてますか?」
日曜の午前中。嵐の前の静けさを感じつつカバーを折る。3月下旬から4月上旬は書店が最も混む時期のひとつだ。
カウンター脇のPCで何やらチェックしている児童書担当に問い掛けた。彼女は昼過ぎまでのシフトで働くパートである。
「いや動いてないね。何でだろう? 私の置き方が悪いのかな」
「そんなことはないと思いますけど」
考え込んでいる。
「『あさいち』って福音館が復
ハードボイルド書店員日記【180】
「国に何かしてもらおうとは思わないよ」
書店以外にも苦しい業界はあるからねえ。メンターは同意を求めるように視線を合わせ、口元から金歯を覗かせた。
11坪の町の本屋。かつて指導してくれた人がひとりで支えている。いまでも店長としか呼べない。心の中では永遠にメンターだ。
「SNSの活用とカフェの併設、読書イベントっていうのが経済産業省の掲げる解決策として最初に来ることに疑問を感じませんか?」
「仕
ハードボイルド書店員日記【179】
「使えますか?」
平日も賑わう春休みの午後。鼻の奥と眼球がムズムズする。カウンターを出て文庫エリアの前を通り過ぎる際、中学生ぐらいの小柄な男性に声を掛けられた。赤いリュックを背負っている。自治体から配布されたであろう「図書カードNEXT ネットギフト」の大きな紙を差し出された。
「ご利用いただけます」
「この部分だけでも?」
四隅に印刷されたQRコードを指で差す。
「はい。ただレジの機械がなか