#63 「真面目」に生き過ぎて鬱が再発しました
(1070字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)
やたらと疲れを感じるようになってしまったこの頃。
寝付きが悪くなり、朝もなかなかスッキリと目が覚めず。
体力が下がり、以前なら楽々と最後まで歩けた通勤路も、途中で息が切れ座り込みそうになる始末。
仕事の手順を思い出せない。
集中力が途切れ途切れになり、作業の途中でふと頭が空っぽになり、さっきまで何をしていたのか、これから何をしようとしたのかが分からなくなる。
家事をする気力も湧かず、趣味も楽しめず。
そしてある日の朝、職場に到着するや否や原因不明の涙が溢れ、「もう限界だ」とようやく事態の厳重さを察した。
心療内科に向かう。
小一時間の受診結果、「軽度の鬱病、重度の強迫性障害です」と告げられた。
このまま放っておくとどんどん悪化してしまうのは火を見るより明らかだ。
だからすぐにでもストレス源から離れ、たっぷりと休まねばならなくなった。
心療内科の先生に言われた、「この社会では、断り上手である方が上手くいく」のだと。
「仕事を早く終わらせたって、大抵の場合は評価なんかされません。『お、この人ならもっと仕事ふっても余裕かも』なんて思われて、より多くのタスクを課されるだけです。
悪い言い方をすると、世の中のほとんどのお偉いさんは結局社員をこき使えるだけ使いたいのです。
だから断る力を身に付けましょう。仕事が増えるのが嫌なら、ちゃんと嫌だと言いましょう。ストレートに伝えるのが負担な場合は、作業速度を落とせるだけ落としましょう。
早めに出勤したり、残業したりする必要はありません。決められた時間内で仕事をしましょう」
そして「メンタルの調整、十分の休息を要す」のメモを渡され、診査は終わった。
帰り道で思った、「会社に尽くし過ぎても何も良いことなんか無い」と。
無理をしても働くこと、残業をしてまで仕事をすることを「美徳」とする風潮は結局、上の人達が思い通りに従業員を動かす為の一種の洗脳なのだと。
定時に帰り、家族と過ごす時間を増やすのを「不真面目」とするか。
休みを取って旅に出て、視野を広げることを「不真面目」とするか。
外部の音を一時遮断し、自分だけの世界を楽しむことを「不真面目」とするか。
つまるところ、これらは全て「仕事熱心こそが美徳」を基準にした定義に過ぎない。実に愚かで、視野が狭い考え方だ。
不真面目だと。
そういうレッテルを貼られた数々の活動こそ、私が大真面目に人生を謳歌している証拠だ。
そうぶつくさと不満を思い巡らせながら、病院の診査結果を上司に渡した。
休みは認めてもらえなかったが、在宅勤務の許可が下りた。
当分は静かな環境で、落ち着いて作業が出来そうだ。
📚社会の「不真面目」、人生の「大真面目」
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