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「副作用」
紅顔の哲学者を目指して#8
2025年1月8日(水)
一昨日勤務した時と同じように精神的に不調だったので、お薬をのんだ。
また副作用で体がしんどくなってしまった。
結果的に早退した。
今日はこの前副作用できつかった時に僕と一緒にいてくれた先輩はいない日だった。
だから、この辛さを共有できなかったゆえに乗り越えることができなかったので、辛さだけが蓄積されるだけで、本当に辛かった。座っていることしかできなかった。いや、座ってるのさえきつかった。働くことなんてできそうにない状態だった。しかも、外での肉体労働が仕事の大半を占めるため、こんな状態では使い物にならないも同然だった。
午後から普段は別の運動場にいる上司が来た。彼はこちらに仕事をしに来たというよりは、見た感じ僕の様子を見に来てくれたようだった。そして、別の部屋で2人きりで話をした。体調はどうかとかそんなことを聞いてくれた。病気の方は良くなってきたけれど、さっき飲んだ薬の副作用のせいで、今は不調であると伝えた。そして、僕は正直に今日はもう働けそうにないと言って、早退した。
15時ごろに帰宅した。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれどもしょうがなかった。
仕事はいつも通りだし書くこともない。(基本日記なんて書くことはない。)そうしたら今日は僕の病気について書こう。あまり書く気が起きないが、書くことがないし、いいだろう。何回かこの日記では書いてきたけれども改めて。そして、もっと真剣に向き合わないといけないことでもあるので。逃げることは許されないことだ。
このことについて書こうとすると、長くなってしまいそうだから、簡潔にいきたいが、僕のこの症状が初めて出てきたのは高校2年生の時だった。そこから今に至るまで、ずっと僕の精神を蝕み続けている。17歳の時から23歳の今に至るまでだ。6年間。6年間か、長いなあ。小学生が卒業してしまう年月だ。6年という風に年月で考えてしまうと、なんだか、そうだな、よく分からない感情になる。長かったのか短かったのかもわからないし、その期間僕は何をしていたのだろう、何を得たのだろうとか思うし、辛かったとかを通り越してその6年という歳月の中には何にもなかったように感じるし。でも、よくわからない感情になるとは言ったものの、そこには何もないかもしれない、要するに無だ。虚無。
ひょっとするとこういう時に、世界には何もないと哲学者は思うのだろうか。僕が見聞きした情報だとこういう時に思うのではない気がするが、まあ、でもどういう時に思うかは人それぞれ違うだろう。
もうとにかくよくわからない。とりあえず、そう言っておこう。逃げてるだけかもしれないが、よくわからないのだ。
そして話は逸れたが、僕が病気ということを受け入れて精神科に行くのが、21歳の時だった。この時まだ僕はあゆみBOOKSという本屋で働いていた。なので、お薬は2年間飲み続けている。2年経ったいま、良くなってはいるが、お薬をやめることができる兆しは見えない。飲むことをやめてしまえば、また去年の2月の時のように再発してしまうのが怖いからそれは絶対にできない。あの辛い経験をもう一度味わいたくはない。だから、お薬は治ったとしてもしばらくはずっと飲み続けないといけない。
どうしたらこの状況から抜け出せるだろうか。ずっとこの病気とは付き合っていかないといけないのはわかっている。でもどこかで蹴りをつけたい。そしてそれと同時にどういう状態をもって、蹴りをつけたと言えるかも重要になってくる。
明日も仕事で、どうせ書くことはないのだから、明日この続きを書こう。変なところで中断して申し訳ないが、一旦ここで終わる。
また明日。じゃあね。
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