野間宏 『青年の環』と 戦後文学 : 文学がまだ〈文学〉であった時代
書評:埴谷雄高編『『青年の環』論集』(河出書房新社)
過日、年来の課題だった、野間宏の『青年の環』(全5巻)を読むことができ、レビューをアップした。
なにしろ、各巻が500頁前後の分厚さだし、野間宏の文体というのは、粘り気のある執拗なものなので、その読みにくさといったらなかった。特に、最初の方がその最たるものだったから、量的にも内容的にも、かなりの難物だったのである。
で、読んでみてどうだったかというと、正直言って、とうてい理解できたとは言い難い。
別に難しいことが書いてあるわけではないのだが、作者が「何を描きたかったのか」が判然とぜず、とにかく執拗な主観描写と、延々と続く会話が、交互に出てくるような、現代の感覚から言えば、退屈を通り越して、苦痛極まりない、およそ、エンターティンメント性の「エ」の字もないような、「純文学の中の純文学」であったと言えるだろう。
私は、前期レビューの中で、同作を次のように評している。
そう、私は、この作品をお世辞にも「楽しめた」とは言えないが、しかし、ここに何か「滅多にないもの」があるというのには気づいた。
今の作家が、決して書こうとはしない非効率的な何か、野間宏がその執拗さを持って、20年の歳月のかけてでも追求した何かが、この作品には描かれているのだ。
それが、成功したかどうかは、よくわからないが、とにかく野間が何かを、今どきは、決してお目にかかれないであろう何かを、必死に描こうとしたことだけは感じ取れたのである。
だから、この「何か」を、ぼんやりとよくわからないままにして、『青年の環』を読了したことだけで満足するというのは、いかにも勿体ないことだし、そこで済ませては、どこか落ち着かないとも思った。
そこで、すでに購入してあった、埴谷雄高編の『『青年の環』論集』を読むことにした。少しは何かが得られるだろうと思ったのである。
ところが、この本もまた、なかなかの難物であった。
刊行されたの1974年(昭和49年)で、上下二段組340頁余の本であり、そこに、ほとんど改行のない当時の論文が、びっしり収録されているのだから、これも、それなりの覚悟がないと読めない本だ。
ちなみに、半世紀近く前の本なのに、定価が1500円とは、かなりのもので、今なら5000円を下らない本だろう。と言うか、出版不況で、純文学などさっぱり売れない現在なら、こんな本は出せなかったであろう。
この当時は、『青年の環』が20年をかけて完結したというのを、一般の新聞紙が記事にしたような時代であり、全5巻で完結した単行本は、かなり売れたというのだから、良い時代であったのだろう。
買った人の半分ほども読了できたかどうか、かなり疑わしいとは言え、当時の日本人は、「娯楽作品」ではない、「文学作品」に挑む気概は持っていたのである。
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さて、本論集を読んで教えられたのは、野間宏は本作『青年の環』をもって、日本で初めての「全体小説」を書こうとした、それに挑んだのだ、ということである。
「全体小説」と言っても、何のことだか、多くの人はわからないだろう。今時の文芸評論家にもわからないだろうし、私もわからなかった。
しごく大雑把に言えば、「全体小説」とは、日本のそれまでの純文学の主流だった「人生の一断面を切り出す」ような作品の対極にある、「世界」を丸ごと描こうとするような小説、だと言えるだろう。
もっとも、世界を丸ごと描くなどということは、物理的に不可能なのだから、あくまでも意図として「世界を丸ごと、映し出した作品」ということであり、そこに描かれるのは、それまでの日本の文学にもあった「心理・心境」といったことだけではなく、「肉体」とか「生理」といった身体性の問題、さらに「歴史」や「社会」や「文化」や「思想」といったことまでを広く含み込んだ「総合的な小説」ということになる。
そして、そうしたものは、西欧の大長編小説の傑作、ロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』とかトルストイ『アンナ・カレーニナ』といった作品でイメージされ、単に「心理・心境」とは違った小説、「物語性」の強い大きな小説として「ロマン」と呼ばれた。
日本には、そうした「ロマン」が書かれたことがなく、「文学」は小さくまとまる傾向があったのだが、文学が真に「世界」と向き合うためには、日本でも「ロマン」が書かれねばならず、その先に「文学」の未来がある、という風の考えられたようである。
しかし、「ロマン」と言っても、「全体小説」と言っても、定義があるわけではなく、それぞれの作家の「理想」や「目指すところの違い」によって、自ずとそれは、それぞれに「似て非なるもの」にならざるを得ない。
野間宏が『青年の環』で目指したのは、サルトルが『自由への道』で「全体小説」の達成に挑み、ついに挫折したものを乗り越える、「全体小説」であった。
野間宏が、サルトルの「全体小説論」として評価したのは、「神の視点を排除する」ということだった。
娯楽作品なら、それでも良いだろうが、「世界」をありのままに描こうとする場合、「神の視点」を持ち込むのは、どう考えても「ズル」でしかない。なぜなら、この世の中に「神の視点」に立ち得ている人間など一人もおらず、それぞれの視点から、せいぜい客観視しようと努力しているに過ぎないからだ。
だから、野間は、この点ではサルトルの考えを引き継いだ。しかし、サルトルの失敗にも、相応の原因があったと考えた。
それは、サルトルの影響を受けたヌーベルバーグの作家たちの作品がそうであるように、特権的な視点を失った途端に、それはバラバラに並立する視点の寄せ集めとなり、なんとも捉えどころのない世界を描くものとなったしまったのだ。
無論、それはそれで「表現」としては面白いのだが、やはり「この世界」の一部としての「人間のリアル」からは遊離して、作家的な美意識の産物に堕していると、野間には、そう感じられたのではないか。
したがって、ただ「神の視点」を拒否するだけでは、不十分であり、人間は人間の視点において、「他者」を見、「世界」を見て、その関係性の網目の中で「他者」であり「世界」をそれなりに構築しているのだから、文学が「世界」を描くことを目指すのであれば、そうした方法を探らなければならないと考えて、その試行錯誤を『青年の環』において行った、と大筋、このようなことだったのであろう。
野間の次の言葉は、そうしたことを語っているのだと、私は解した。
こうした、いかにも野間らしい「それかこれか」では済まさないという個性に由来する方法論を、小田実は、野間の魅力を語って、実に的確に指摘している。
そして、石川淳は、野間宏とは真逆に、無駄を削ぎ落とした言葉で、てきぱきと野間の個性を語る。
事ここに至って、私がなぜ野間宏を楽しめなかったのは明らかだろう。要は、私が「小説」に求めていたものとは真逆のものを、野間は手探りで探求していたのである。
自分で言うのもなんだが、私は「娯楽作品ではない文学=純文学」というものの「意義」や、その「面白さ」をそれなりに理解して、最後までしんどい作品にも、それだけの価値を有する作品の在ることを認めている人間なのだが、しかし、私自身が「娯楽の時代」に生まれた人間であるという事実は否定しえず、「耐えて読む」ということが、決して「当たり前」ではない時代状況の中で、頑張って、読んできた人間なのだ。だから、おのずとその「限界もあった」ということなのであろう。
そしてまた何よりも、私個人の個性として、野間宏的な、その粘着質で世界を絡め取るというようなやり方ではなく、石川がいうところの『簡潔にてきぱき』とやるのが「好み」だったのである。
わかりやすく言えば、論理的にスパッスパッと切っていき、分解して説明するような「明晰さ」が好きであり、だからこそ前掲の『青年の環』のレビューで、私は、
と書いていたのだ。
つまり、私の好みとは、「神のごとき名探偵」的な「明晰で決定的な洞察」が描かれた作品であり、ぬかるんだ塹壕の中を必死で這い回る兵隊のような「執念」ではなかった、ということなのだ。
そして、そうした意味で私自身もまた、安易に「神の視点」という「虚構」に甘やかされていた、「消費社会の毒におかされた人間」の一人だったのである。
小田実が言うように、野間宏が『青年の環』において目指した「全体小説」とは『世界をまるごと、一枚の紙でおおうようにしてとらえるよりほかにはない。といっても、野間宏自身も世界のなかにいるので、それをとりもなおさず、内と外から世界をおおうという奇妙でまったく困難なこと』であり、論理的に言えば、明らかに「不可能な企て」だったと言えるだろう。
だが、それを「冷笑」して見せるしかないのが、現代の「娯楽小説」読者であってみれば、私は、野間宏をはじめとする、高みに手を伸ばそうとしていた「純文学」作家たちの側につきたいと思う。
結果や成果が問題ではないのだ。何を望み、何を目指し、どのようにして書いたのかが、真の問題なのである。
なぜならば、それこそが「書き手の生」であり、それが「私という作品」だからである。
(2022年6月31日)
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