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本能寺の変1582 目次大 光秀という男 92~123 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史、信長公記、斎藤道三、足利義昭、武田信玄、上杉謙信。『光秀記』

目次大 光秀という男 92~123 

*左=目次中 右=目次小

光秀という男        92~123    92~123

 1『日本史』           92~96        92~96
 2「立入左京亮入道隆佐記」    97~100      97~100
 3土岐氏            101~108      101~108
 4教訓             109*       109*
 5 1400年代        110~116    110~116
 6 1500年代        117~118    117~118
 7美濃の争乱          119~123    119~123

目次  1~317
目次大 1~317

目次大 光秀という男 92~123 
目次中 光秀という男 92~123
目次小 光秀という男 92~123


信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。

          ⇒ 次回へつづく 

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