記事一覧
母の孤独を分析していったら、案外な事になった
うちの娘は油断をしている。
母はいつもそこにいて、
少し甘くて、
鈍くて
グズグズしていて
自分の手中にあるものだと思っている。
娘は結婚し
社会人としてもしっかりとやり、
精神的にも経済面でも完全に独立した。
よく言えばうまく育て過ぎて、
ある意味、失敗している。
母はいい感じの部屋を借り、一人暮らしを始めた。
ひとりになると、
これが
めちゃくちゃ寂しい。予想以上に。
まず、
お鍋
🟢岐阜に至る② 足跡を辿る旅 〜国分寺、見なくなった光景。
祖父が亡くなったのは確か昭和54年の
5月と記憶する。
それは明け方で静かな最後だった。
肝臓がん末期の痛みは酷く、壮絶だと聞いていたのに、その顔は微笑み、どこかホッとしたのを覚えている。
数年前に母方の祖父を亡くしていたので
身内の死は初めてではなかったはずなのに、
わたしはひどく打ちひしがれた。
まだ幼く、たまにしか会わない母方の祖父は
美しい思い出しかなく、
彼の人らしい生臭さを知らぬま
🟢岐阜に至る ①新宿の病院で。
昭和30年の武蔵国分寺の一坪はいかほどだったのか?
祖父は思い立って100坪ほどの土地を購入し、
こざっぱりとした平屋を建てた。
駅からはゆうに20分はかかり
まだ都内に勤めていた祖父は
片道1時間の通勤で
この終の住処を得た。
当時家のまわりは見渡す限り草地。
原野が広がり、遠くに駅の光、
西には北府中の東芝があるのみだった。
まさに田舎の一軒家。
安いとはいえ、家人にとっては
いささか迷惑