とらやのこと。
3ヶ月に一度のその日は、なるべく遅くまで起きていることにしていた。
父が黒いとらやの手提げ袋を提げ帰ってくるのは夜の11時。
当時、小学生のわたしが待ち望んでいるのは、
とらやの羊羹ではなく、
それを下さった相手先の事だった。
3ヶ月に一度連載のお原稿を頂きに上がり、
女史と小一時間程雑談をして帰る。
毎回は先生は
「奥様に」と父にとらやの羊羹をくださる。
教科書でそのお名前を見るたび、
幼い頃の深夜に聞いた女史のお話が実に面白く、
凛とした着物姿のお写真を拝見する度に、
ああした品格のあるおばあさんになりたいものだと思ったものだ。
当時すでに高齢であったため、その連載から数年後鬼籍に入られたが、
とらやの手提げ袋を街で見る度に
先生のことを思い出す。
50年近く経ったある日、
ふととらやの前で足が止まる。
暖簾をくぐり抜け、
店に入り、
羊羹と最中を買う。
虎屋の店先を人生で何万回と通っているはずなのに、足が止まったのは初めてだった。
煎茶を入れ、羊羹を頂く。しっとりとした漆黒の艶があり、奥深い甘みがある
やはり唯一無二のお菓子と言わざるをえない。
煎茶とよく合うバランスのとれた味わいに、
忘れていた記憶が蘇った。
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