下北沢と芝居といろいろな迷いのなかにいた時のこと
最近、下北沢へよく行く。
大好きなビオラルや
タイ料理屋さんがあるからだが、
その昔、
いちばん最初に一人暮らしをした街が
世田谷代田だったからだ。
親友が
下北沢に家があったので
互いに徒歩圏内の我々は
終電を気にせず
遅くまで下北沢を徘徊した。
酒は強いほうではないので
好きな料理を前に
よもやま話。
驚くことに
今も同じなのがなんともいえないが、
まったく、彼女とは長い付き合いだ。
単独で芝居もよく観に行った。
有名どころも、
友人がやっている小劇団ものも
よく行った。
20代の情緒不安定な時期、
本が好きで
少しものを書き、
編集の仕事をしていた。
知人から劇団に誘われたが、
なんとなく、
なんとなく、
行かなかった。
縁がなかった。
当時はバブルで
世の中は浮き足立ち、
未来はキラキラ輝いているかのようで、
その瞬時の煌めきで
人々は先を正確に読めなかった時代、
やれば何とかなるような
「幻覚」めいたものがあった。
わたしはへそ曲がりで、
集団行動が苦手で、
厳格な家を説得するほどの勇気もなかった。
芝居を見ながら、
知人の話を聞き、
猛烈に当時感じたのは、
明らかに
自分は知識不足だ
という事だった。
結局
臆病者のわたしは
劇団の面接にも行けず、
その数年、仕事をしながら、
古典や古い日本文学と
評論を読み漁る日々だった。
その本の中に、
わたしが当時求めていたものが
あったかは、
つくづく疑問である。
周りは楽しく青春を謳歌し、
徐々に
芝居の誘いも、
脚本の誘いも遠のき、
家族を持った時期から
友人たちとは
違う道を歩むようになった。
その後、
芝居の道にいった者、
映像世界で仕事をした者も多くいたが
漏れ聞こえる友人たちの生活は
なかなか過酷なものがあった。
わたしは踏み出せてない分、
いつもどこかグズグズと
昔のままの言い訳の沼にいて、
グズグズと初老の日々を送っている。
限界のそのまた向こう側にきたわたしだが、
文章を書くことは
今になってみるとなんのしがらみもなく、
自由で
楽しく、
何にも変えることの出来ない作業になった。
幼い頃から何時間でも大学ノートに向かって
文章を書いていることができた。
楽しくて我を忘れて
いろんな事を書いた。
今の自分の気持ちを
丁寧に書き綴り、
不安定な自分の立ち位置を
書いて紙に残す事で
自分の主軸を確認していたのだろうと思う。
あの日、あの時、
どんな気持ちだったか?
どんな風が吹き、
どんな匂いがした?
ひとつの感情だけでなく、
取り留めのない気持ちのヒダを丁寧に書けば
誰かに話さなくても、
明日の己の道が自然と開かれた。
下北沢は
その頃の汗くさい葛藤の日々を
思い出させてくれる貴重な街なのである。
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