手かせ、足かせ、風まかせ
祖父の半生や
我が家のルーツを辿り、
岐阜への旅を
ついこの前はじめたばかりのわたしだったが、
その後、
母からの老人特有の暴力的な電話や
LINEの攻撃で
すっかり萎えてしまっている。
と書いたのは
かなりの言い訳で
仕事や雑用に追われ、
この夏の異常な暑さ、
己の体調不良を隠れ蓑に
大いにサボっているのが真実だ。
祖父の壮年期最後の分岐点が
角筈にある事を確かめ、
当時の職場と住まいを繋がる糸が
都電角筈線であるあたりまでは
トントンと
事が進んでいた。
新宿にあった大きなガスタンクのことや、
淀橋浄水場のことなどなど、
残っている資料や動画も多く、
昭和の20年代の新宿はまだ舗装されずに
土埃の立つそんな街だった頃を懐かしく感じたりして楽しく過ごしていた。
残っている資料から
角筈線跡を辿る旅に出ようと
情報を集めながら、
さて、
あの母の怒りは突然発症した認知症なのかと
一抹の不安を感じていた。
検査を遠慮がちに勧めてはみたものの、
案の定、
文字通り「火に油を注ぐ」ような逆効果で、
ただいまお手上げ状態数ヶ月なのである。
知り合いの医者に話すと、
「馬や牛ではないのだから、行きたくない人間を紐で縛って無理には連れてはいけない」
と言われ、
まったくその通りなので返す言葉もない。
住まいが近ければ、
何か口実を設けて実家に足を運び、
何気ない話から
病院へと導くチャンスも見いだせよう。
しかし片道半日の道のりは遠い。
片道半日の帰路よりも、
問題は長年時間をかけてクラッシュされた親子関係にあると思う。
わたしはこの深き溝なような
親との暗黒の出来事を
いちいち話すつもりはない。
だいぶ前にその整理はされ、わたしはよりよく生き直す道を見い出し、
同時にこの10年は不可能と思われる修復も
わたしなりに試みた。
終焉を前にしても、
1ミリも譲歩の兆しすらない親という存在は
人生における大きなお荷物以外の何ものでもないと思っている。
どこの家でも納戸を開ければ
何年も処理もできない「困ったアレ」があるように、
誰にでも見れる位置に
我が家の隠したい事があるだけだ。
人の親でもあるから言えるのは、
誰でも大なり小なり毒親なのである。
わたしも娘にとっては負担であり、
彼女がため息をつく嫌な存在なのである。
寿命が長くなる分、年寄りは元気でいろいろ問題も起こす。
若い人間は30年前とは比べものにならないくらい生きづらい社会で毎日心をすり減らし、
中身も外側もハイスペックでい続けなくてはならない強迫観念の中で喘いでいる。
正直、とても大変なことだと思っている。
なので誰の足しにもならない岐阜へ至る道を
静かに穴埋めして、
なるべく娘の足枷にならぬように
淡々と生きて、
それなりに楽しくしていければと
思うわけである。
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