松波 慧(マツナミケイ)

エッセイと小説を書く人。 ゆるゆるとnoteを堪能しています。

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手かせ、足かせ、風まかせ

祖父の半生や 我が家のルーツを辿り、 岐阜への旅を ついこの前はじめたばかりのわたしだったが、 その後、 母からの老人特有の暴力的な電話や LINEの攻撃で すっかり萎えてしまっている。 と書いたのは かなりの言い訳で 仕事や雑用に追われ、 この夏の異常な暑さ、 己の体調不良を隠れ蓑に 大いにサボっているのが真実だ。 祖父の壮年期最後の分岐点が 角筈にある事を確かめ、 当時の職場と住まいを繋がる糸が 都電角筈線であるあたりまでは トントンと 事が進んでいた。 新宿にあっ

    • 下北沢と芝居といろいろな迷いのなかにいた時のこと

      最近、下北沢へよく行く。 大好きなビオラルや タイ料理屋さんがあるからだが、 その昔、 いちばん最初に一人暮らしをした街が 世田谷代田だったからだ。 親友が 下北沢に家があったので 互いに徒歩圏内の我々は 終電を気にせず 遅くまで下北沢を徘徊した。 酒は強いほうではないので 好きな料理を前に よもやま話。 驚くことに 今も同じなのがなんともいえないが、 まったく、彼女とは長い付き合いだ。 単独で芝居もよく観に行った。 有名どころも、 友人がやっている小劇団ものも

      • 母の孤独を分析していったら、案外な事になった

        うちの娘は油断をしている。 母はいつもそこにいて、 少し甘くて、 鈍くて グズグズしていて 自分の手中にあるものだと思っている。 娘は結婚し 社会人としてもしっかりとやり、 精神的にも経済面でも完全に独立した。 よく言えばうまく育て過ぎて、 ある意味、失敗している。 母はいい感じの部屋を借り、一人暮らしを始めた。 ひとりになると、 これが めちゃくちゃ寂しい。予想以上に。 まず、 お鍋を出して煮物を作らないし、 さあさあと 盛大に飯の支度もしない。 2人とひとり

        • とらやのこと。

          3ヶ月に一度のその日は、なるべく遅くまで起きていることにしていた。 父が黒いとらやの手提げ袋を提げ帰ってくるのは夜の11時。 当時、小学生のわたしが待ち望んでいるのは、 とらやの羊羹ではなく、 それを下さった相手先の事だった。 3ヶ月に一度連載のお原稿を頂きに上がり、 女史と小一時間程雑談をして帰る。 毎回は先生は 「奥様に」と父にとらやの羊羹をくださる。 教科書でそのお名前を見るたび、 幼い頃の深夜に聞いた女史のお話が実に面白く、 凛とした着物姿のお写真を拝見する度に

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        手かせ、足かせ、風まかせ

          年をとったら、無計画に生きるほうが、楽しいこともある

          今まで割と計画的に生きてきた。 というのも元来とても臆病者。 とにかく一度シュミレーションしないと、 心配だから、 しっかりと計画を立てるタイプだった。 この年になると、 そもそも 計画そのものがとても面倒になってくる。 大方は1人行動だから、 誰に迷惑かけるでもなし、 無計画であっても 特に問題はないのだと 最近、ちょっと気付いてしまった。 今日はここでランチ、 そのあとは移動してココと ココの店で何を買うと決めて 出かけるのだが、 案外、これが楽しくない。 本当に

          年をとったら、無計画に生きるほうが、楽しいこともある

          チーズケーキを食べていたら、初老というものが、ぼんやりわかってきた

          吉祥寺にある多奈加亭のチーズケーキが好きだ。 重くもなく軽くもなくしっとりと程よく甘く、 レモンの効いた味わいで、 どこにでもあるようで なぜか懐かしく、 やはり厳密に言うと ほかにはないチーズケーキなのである。 夏の終わりの涼しい晩に、 リビングの灯りを落として 台所の電灯はそのままで、 食べるケーキは 甘酸っぱく、しっとりと甘い。 昼間、あれほどまでに暑かった事は嘘のように、 カーテンを揺らす風が心地よい。 遠くでシンシンと鳴く秋虫が、 しんみりとした秋の晩を演

          チーズケーキを食べていたら、初老というものが、ぼんやりわかってきた

          ジンワリと親子

          割と前向きなわたしだが、 最近かなり僻みっぽい。 娘は結婚し独立し いい意味でも悪い意味でも こちらの事を忘れている(ようだ)。 長年母の蹂躙に苦しめられた私にとって 娘がのびのびやってるのは 子育ての成功と喜ばなくてはならないが、 そこは聖母でも賢者でもなく、 普通に複雑な心持ちがする事に多少の ぐちゃぐちゃした思いがある。 先日、久しぶりにぎっくり腰をやり、 夜泣き泣き娘に連絡すると、 仕事が佳境らしく そっけない。 神経をすり減らす仕事だから わかっているものの

          宮城カレー

          いちばんの好物はと聞かれたら、 小豆ともうひとつあげるならカレーである。 小豆の話はさておき、 夏においしいのはカレー。 作るのも、外食するのも好きだが、 最近はもっぱらレトルト。 宮城にあるとあるメーカーの カレーを食し、 レトルトとは思えないクオリティに すっかり魅力されてしまった。 一人前500円前後のレトルトカレーは 私にとってはかなり贅沢品である。 だが、カレーのバリエーションの多さや、 季節ごとに出される限定品、 そして何よりインドまで出向いてカレーの真価

          鰻屋の今昔(いまむかし)

          木挽町のビルの狭間にその鰻屋は今でもある。 私が知っている限り店主は三回変わり、 初代と今の店主が縁戚関係にあるのか、 徒弟関係にあるかは知らぬ。 銀座の外れにあるこの店は、 そこそこの値段で鰻重を出す。 鰻重を頼むと奥で職人が炭で焼いてくれる。 椅子に深く腰掛け、濃いめの茶をすする。 見渡すと、年配の夫婦、 仕事先の取り引き相手か数人の紳士たちのテーブル、若い女性を連れてきた初老の男のテーブルなどがある。 おばさんのひとり客は珍しいのか、店主の妻は時折物陰からちらりと見て

          鰻屋の今昔(いまむかし)

          🟢岐阜に至る② 足跡を辿る旅 〜国分寺、見なくなった光景。

          祖父が亡くなったのは確か昭和54年の 5月と記憶する。 それは明け方で静かな最後だった。 肝臓がん末期の痛みは酷く、壮絶だと聞いていたのに、その顔は微笑み、どこかホッとしたのを覚えている。 数年前に母方の祖父を亡くしていたので 身内の死は初めてではなかったはずなのに、 わたしはひどく打ちひしがれた。 まだ幼く、たまにしか会わない母方の祖父は 美しい思い出しかなく、 彼の人らしい生臭さを知らぬまま別れた時と違い、喧嘩もし、本気で怒られ、 いい意味でも悪い意味でも 肉親の奥に

          🟢岐阜に至る② 足跡を辿る旅 〜国分寺、見なくなった光景。

          🟢岐阜に至る ①新宿の病院で。

          昭和30年の武蔵国分寺の一坪はいかほどだったのか? 祖父は思い立って100坪ほどの土地を購入し、 こざっぱりとした平屋を建てた。 駅からはゆうに20分はかかり まだ都内に勤めていた祖父は 片道1時間の通勤で この終の住処を得た。 当時家のまわりは見渡す限り草地。 原野が広がり、遠くに駅の光、 西には北府中の東芝があるのみだった。 まさに田舎の一軒家。 安いとはいえ、家人にとっては いささか迷惑な引越しだったに違いない。 当時、祖父は父の実母とは違うひとと暮らし、やがてそ

          🟢岐阜に至る ①新宿の病院で。

          調味料入り紙袋

          昔、料理の本を作っていた。 編集プロや出版社でアシスタントをして、 撮影もすれば皿のコーディネートもし、 記事も書けば、取材にも行った。 まだフードコーディネイターなどおらず、 編集が大方のことをしていた。 撮影は1日に大量なカットを撮る。 駆け出しの仕事は 前日にレンタルスタジオから借りてきた皿を 数枚料理ごとに並べ、先生の判断を仰ぎ、 順番に準備すること。 そこで担当ベテラン編集者から 痛烈なダメ出し食い、 憔悴しながら 次の憔悴を生まないように 必死で料理ごとのス

          鶏の境界線。

          母は5人兄妹の2番目。 男3人、女ふたりの長女である。 9歳離れた妹である叔母は、 天然ボケの母とは真逆の性格で、 とにかく堅実、努力家、なかなかのチャレンジャーでもあった。 人生で何回か仕事を変え、その度に資格を取り地道にコツコツとやる叔母は子供の頃から ちょっと歳の離れた憧れの姉のような存在だった。 戦後すぐの生まれで食糧状況が悪い中、 取り立てて好き嫌いはないようだが、 唯一叔母が苦手なのは鶏である。 どんなに小さく切ってあっても 鶏を見つけ出して上手に避けて食

          反則、場外乱闘な父

          父とはよく性格が似ている。 似てる奴ってのは、 たいがい、ちょっと苦手なもの。 仕事も同じ系統、考え方や性格も同じだけど、 なぜだかお互い認めてるようで認めてないようで、深いところでは認めているような、不思議な関係。 ま、そんなんだから、会えば四六時中もめる。 どんなことでもテキトーな母がいなければ うちは大変な事になっていた。 ただ、娘に対する愛情は有り余るくらいあるようで、それが悲しいくらい空回りして 口をついて出てくる言葉はいつも辛辣。 おいおい!って思うことも

          プレゼント。

          ある日のこと。その日は誕生日。 無意識に仕事も入れて、いつものように通勤路を行く。 狭い小道の向こうから、気づけばいつもの大型犬の彼女と、隣で紐を持ついつものおじちゃん。 「おはよう。今日も元気そうでなにより」と心の中で思い、すれ違おうと思った瞬間、 あ! ワンちゃんのほうからゆっくりとわたしに近づき、 「撫でていいよ」の急接近。 「え!いいの?」 そのまま恐る恐る彼女の頭に手を伸ばし、その毛並みにはじめて触れる。 撫でることしばしのモフモフタイム。 おお、なんと

          お休み、るるる。

          noteを数ヶ月休んでしまった。 本業がたいへん過ぎたのも原因だが、 心理的にのんびり何か書こうと思わなかったこともある。 ここ数ヶ月、自分なりに働き方というものを考えバランスを取りつつ 休みの取り方も考えつつ、今日に至る。 ここ数ヶ月忙しい中わたしを支えたのは 配信のドラマ、サブスクの音楽。 海外ドラマ、アジア系映画、BSなどなど。 そこにはたくさんの人生や 生き方や考え方があり、 いくつもの人生を擬似体験し 登場人物に思いを馳せることがてきる 特殊な環境下が広がって