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[書籍紹介]にほんのうた⸺音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史/みの

音楽評論家/音楽系YouTuber・みの氏(みのミュージック)による新著『にほんのうた⸺音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』が、2024年03月04日に発売になりました。帯には「縄文楽器から初音ミクまで」と書いてあるとおり、日本の音楽史を概観した内容になります。

当noteではこれまで、クラシック音楽史と各ポピュラー音楽史を接続した西洋音楽史を記述してきましたが、その延長で日本の音楽史についても勉強を進めているところでした。そのため、問題意識・興味関心・先行文献などがぴったり共通している今回の新刊を、まるで同じ講義を受講している別の生徒のノートを読ませてもらうかのような感覚で楽しみにしていました。

ただ、みの氏の音楽史に関する著作はこれが二冊目で、洋楽史を扱った前作に関しては、その野心的な導入にかかわらず、本編の内容はただの従来のロック史観をなぞっただけの偏った残念な内容だったため、今回もそのような落胆が起こらないか不安半分でもありました。

しかし、洋楽史に関してはみの氏はかなりロック寄りのバイアスがありましたが、邦楽史に関しては「伝統邦楽から令和現在までの包括的な概史が無い」という強い問題意識を持たれていたようなので、一冊目よりも網羅性は期待大、と思いながら頁を開きました。


結論としては、満足です!!!


まさに自分が長年欲していた切り口の資料になっていました。

もしかしたら、僕が音楽史に関することをnoteにメモして発信する理由も無くなったかもしれないです。これまで、当noteで西洋音楽史を読んでいただき、日本音楽史編についての記事もお待ちいただいている方には、一旦「この本を読め」で解決するようになったかもしれません。笑

僕が当noteで常に抱えていた問題意識。そして、みの氏が今回発刊に至った理由としての問題意識。それらはなにも「考古学的に新事実を発掘したり、統計調査から独自に何かを論証したい」などというものでは決してありません。

既に「点」としては各分野それぞれに優れた資料が存在しているにもかかわらず、それらはバラバラに存在していて、それらを過不足なく網羅して1冊で簡潔に概観を見通せるような書籍が存在していない、ということなのです。


新著の「前書き」から特に共感した部分を引用します。

近年の邦楽史に関する研究は目を見張るものがある。とりわけ令和二2020年に出版の『近代日本の音楽百年』(細川周平著、岩波書店)は、江戸末期から終戦までの邦楽史を網羅した偉大な書籍だ。そのほかでは、「戦後」「昭和」「平成」など特定の年代に特化したものや、特定のミュージシャン論、特定のジャンル論など、ピンポイントで詳述する書籍は十分すぎるほどに揃っている。

しかし、私が求めているのは、「通史」なのだ。つまり、平成そして令和へ連綿と発展してきたストーリーが知りたい。


・明治期の日本人は鹿鳴館で、見よう見まねの舞踏で西欧諸国の文化を掴もうとした。
・第二次世界大戦後の日本では、美空ひばりが瑞々しい歌声で焼け跡世代を勇気づけた。
・昭和後期、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)がテクノ・ポップ旋風を巻き起こした。
・限られた容量でも、壮大なオーケストラまで奏でるゲーム音楽。
・一五歳でデビューした宇多田ヒカルは、瞬く間に平成の歌姫へと上り詰めた。


このように、時代ごとに著名なエピソードは数多くある。だが、それらを一本軸でまとめあげたナラティブが存在しないということだ。

日本人はどのように西洋音楽を受容したのか?そのときに葛藤はあったのか?民謡や長唄、浪花節のような在来の音楽とは共存できたのか?どのようにして現代のJ-POPまで続いてきたか?これらの疑問が、私のなかで一つにつながらず大いに悩んでしまっているのだ。

たとえば、漫画の歴史観を見てみよう。平安末期(鎌倉初期)の『鳥獣戯画』、江戸期の葛飾北斎、歌川広重の浮世絵があり、明治期は月岡芳年による錦絵や、文芸作品の挿絵が盛り上がる。大正期には少年雑誌、少年・少女漫画が登場。昭和になると、戦前は『のらくろ』の田川水泡、戦後はのちに“漫画の神様”と称される手塚治虫によって一つの到達点を迎えた。そして漫画の可能性は大きく広がり、『うる星やつら』『ドラゴンボール』『ワンピース』『鬼滅の刃』と現代まで受け継がれている。――と、このように駆け足ではあるが、漫画の歴史ならば比較的容易に想像がつくし、理解もできるだろう。

だが日本の音楽には、一気通貫した歴史観がない。この状態が原因で、日本の音楽は諸芸術のなかでもとりわけ「うまく解説できない」という異常性を際立たせてしまっている。

その点で英語圏のポップスは、成立から発展、現在に至るまでのストーリーを比較的容易に調べることができる。

英語圏のポップスや、ミュージシャン同士の接続がはっきりと打ち出せる理由は、「通史」としての資料が豊富にあるためだ。一連の知識があれば、最新の音楽を聴いたときも、「このミュージシャンは、誰々の影響を受けている」と、評論する上で役立つ。また、そのミュージシャンもかつては別のミュージシャンから影響を受けていたなど、時代を遡ることで、異なる音楽を体験できる可能性もある。そう、一つの曲が起点となり、数倍、数十倍の楽しみ方を導き出せることが音楽史の醍醐味なのだ。

みの『にほんのうた⸺音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』より


もちろん、みの氏個人の史観で書いてしまっている部分に異なる意見を持つ人は必ず居るはずですが、そこが出発点であり、そこから議論を通してさらなる肉付けが生まれていくのが良い、と、本人も仰っていますし、ここからさらにポジティブな議論や集合知によって、バラバラではない、まとまった日本の音楽史観が確立して広まっていくことが期待されるでしょう。

そのための「叩き台」として、一冊にまとまった概史がまとめあげられたという点だけで、日本の音楽シーンにとって大変な偉業であり、これを実現させたこと自体を素直に称賛するべきだと強く感じます。


しかし、この新刊の発売が発表された2023年12月の地点で、ネガティブな炎上も起こっていました。

まだ中身も読めない状態であったにも関わらず、概要が発表されただけで、

「YouTuber(笑)」が「通史」を「単著」で記述!?www

ということで、「危険だ」「お金儲けだ」「先人の研究に対して烏滸おこがましい」「単著で通史なんて不可能であり情報量不足に決まっている」「類書は無いと言うが、先行資料は豊富にあるし、これは単なる孫引きだ」などと、どうやらアカデミアに通じた「学のある」方々(笑)や一部の音楽マニア層から心無いバッシングが起きていたのです。

僕は、みの氏に比べても影響力も乏しいただの音楽好きですが、みの氏の仰る問題意識に共感しており、同じような目標があったからこそ、このバッシングに対して非常に悲しくなりました。

既に学術や音楽史に大変お詳しいとお見受けされる貴方がたは、いったいどれほどの人に対して何を提示できるのでしょうか?どれほど音楽シーンに貢献していらっしゃるのですか?僕やみの氏が抱える問題意識は理解できないのでしょうか?単なる知識マウントでしかないのでは?

一つは、どうやら「通史」という用語が学術的にセンシティブな用語だったようです。そのため、「YouTuberゴトキが"通史"なんかを書く資格がない」と、アカデミアから叩かれやすい結果になったのかもしれません。

しかし、何度も書いている通り、日本音楽史の先行文献は、言及対象が本当に「伝統邦楽の立場のみ」「クラシックの立場のみ」「歌謡曲の立場のみ」「Jpopのみ」というような感じで詳述されて分離しており、それらを統合し並べて概観できるものが欲しい………というニュアンスで、「通史」って言いたくなるでしょうよ。

昔から今現在までをざっと概観できる地図のようなものが手の届きやすい場所に全く無い、という状況に憤りを感じ、それを自らの手でまとめあげた。それを「通史」と言わずして何と言うのか。言葉狩りも甚だしい。

それに、西洋史・邦楽史問わず各分野において不十分・不完全な書籍は既に山ほど出まくっているではないですか。なのにそれについてはそこまで叩かれず、「通史」という言葉を"YouTuber" が使ったから、ここぞとばかりに「学のある(笑)」人たちが突っかかっているのは、「音楽好き(笑)」のみなさんはさぞ教養がおありなことで。

日本の音楽シーン・音楽評論にとって必要な前進であることに間違いがないはずの発信に対し、「音楽マニア」や「学者」たちはどうしてこうも足を引っ張ろうとするのでしょうか。これは知識人階層がその権威を以て市井の言論を弾圧する、という構図の、前時代的な職業差別ともいえる事態だと言えるのではないでしょうか。

この件だけではありません。たとえば、以前、革新的なオンラインライブなど、音楽表現のあり方を更新しようとしたり、ラジオなどで啓蒙的な発信をし、音楽文化に貢献しようとしていた日本のロックバンド・サカナクションの山口一郎氏の取り組みを、ロックメディアや音楽評論はあまり取り上げず、懐疑的な態度だった印象があります。むしろ、音楽に関係のない普通のニュースメディアや、ファッションなどの他業種の企業のほうがきちんと取り上げていたイメージすらあります。

現在の音楽状況に問題意識を持つ人は多く居ると思いますが、実際に善くしていこうとせっかくアクションを起こした人に対して、単に叩いて潰したがるだけの害悪な「音楽マニア」が非常に多いように感じます。しかもそれをもっともらしく「危惧」や「批評」などと言ってみせてますけど、音楽に対して貴方方こそがマイナス要素・足手まといになっているのではないですか?

それに、学者風情は誤った主観的なものが広まるのを危惧して声高に「危険」などと言う割には、きちんと資料に基いたことを紹介すればそれはそれで「孫引きでしかない」「新奇性が無い」「情報が足りない」「先人への敬意がない冒涜」だの。

学者風情や音楽マニアたちは、マウントを取りたいばかりで、普通の一般人が音楽についての見かた・聴き方が少しでも広がるきっかけが増えればいいな、という発想が一切無い。音楽愛が感じられない。悲しく、憤りを感じることです。

知識人というのは、何かに常にケチをつけてさえいればそれで良いのでしょうか?学者というのは誹謗中傷するのが仕事なのですか?本来の「批評」はそうではないでしょう。知識人達は、何か状況を前向きに好転させていこう、というマインドが欠如していると言わざるをえません。

これは別に、異論を全く認めないということでは決してないです。そうではなく、みの氏が歓迎しているのは一方的な全否定ではない建設的な意見交換による補完・肉付けなのではないでしょうか。

YUKI、Superfly、ゆず、木村カエラ、KAT-TUN、関ジャニ∞、JUJU、絢香、Official髭男dism、米津玄師など、数多くの歌手へ楽曲提供・プロデュース・アレンジを行っている、日本を代表する音楽プロデューサー・蔦谷好位置氏も、以下のように仰られています。

この書籍を皮切りに、ネガティブな否定ではない、前向きで建設的な議論を進め、日本の音楽史の評論の水準をみんなで高めていけることを期待したいです。


追記:
音楽評論系のYouTubeチャンネル、『てけしゅん音楽情報』にて、書籍のレビュー動画が公開されました。書籍の発売発表時の炎上から一転して、刊行後はあまり話題になっていないように見受けられる状況であるため、このような情報発信は貴重だと感じます。

肯定意見だけでなく、批判点・問題点も指摘されているので、是非参考にしてみてください。

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