- 運営しているクリエイター
記事一覧
元彼の運転する車で、小雨の中のお墓参り
関東・甲信で梅雨入り。
梅雨になると思い出すエピソードがある。
あの時、季節は梅雨を迎えていた。
その年の春に、両親と妹を一度に亡くした私は、
その頃、母方の祖父母と伯父伯母家族の暮らす家に身を寄せていた。
一人、相続やら死後の様々な手続きに追われていたからだ。
日本にいるのに、異邦人の気分だった。
というのも、当時、夫の仕事の関係で私たちは数年間南米で暮らしていたからである。
葬儀後しば
義母が夢みるコーヒーゼリー。
今年の冬は例年以上に水分を摂っているな、と改めて実感する。
飲料水。そして ほうじ茶、お茶、紅茶、コーヒー。
乾燥のせいもあるが、やはり例年以上に 寒くてつい暖かい飲み物に手が伸びる。
一方、ある時から 日々 水分を含めてさまざまな物の摂取量を制限されているのが、我が夫の母である 義母だ。
義母は 御年90歳。
義兄夫妻と、私たちとは離れて
慣れ親しんだ西の地域で未だに独りで暮らしている。
オットさんに捧げる、25年分の長い感謝の手紙と音楽。
私事(わたくしごと)ながら/ですが、
...って書こうとしたんですが。
よくよく考えたら noteで書いてることだって全て 十分すぎるほど私事じゃない?って改めて思ったのです。
なので、この前置きはさておき。
(私事は比較若い人たちがよくSNSで使ってますよね)
私たち夫婦、無事に結婚25周年記念日を迎えました。
25周年。銀婚式。
いやー、ほんっと信じられないです。
一周年の紙婚式
インターネットの世界で、宝物と出会えた私はラッキー。
2000年代始め頃、私は個人のホームページを持っていたことがある。
ホームページ、と言ってもゼロから手打ちして作ったわけではなく。
当時、よく使用されていた レンタルサーバーでの 無料ホームページ作成を用いて、少しHTMLで手を加えた程度のものだ。
当時は今よりもインターネット利用人口がはるかに少ないとはいえ、
セキュリティや、ホームページ訪問者内の誹謗中傷や揉め事がないように
管理人として
たった二日間、夫が帰省しただけなのに。
つい数週間前のこと。
夫が二日間、関西の実家に帰省した。
コロナ禍で延期していた 義父の回忌法要のためと、義母の様子を見に行くためだ。
もともと法要を延期した時から、高齢の義母のワクチン接種が終わり、
夫、そして義兄夫妻の目処が立ったら、ということになっていた。
私の場合、最終的には かかりつけ医での接種予約が再開されたタイミングも遅かったから、
ということもあり、夫と同伴することは遠慮さ
日系の子どもたちから教わった大切なこと
かつて私は、夫の仕事の関係で 日本から遠く離れた、地球の裏側の国で暮らしていたことがある。
ある時、長年 日本語教育に尽力された方との出会いがあった。
それがきっかけとなり、
私は 日系人の子どもたちに日本語を教える日本語教師のボランティアをさせていただいた。
駐在員の妻として、そしてボランティアとはいえ、子どもたちの先生として、忙しくも充実した日々だった。
私が通っていた学校は廃校の校舎
外国人にとって暮らしやすく、声を掛け合えるまち
私たち夫婦が 今の住まいに越してきて、この秋で14年になる。
結婚してすぐ、夫の転勤先の海外に移り住んだ後、帰国後は 埼玉県、そして千葉県内では二つの市で暮らした。
結婚前は東京下町の実家で育ち、大学在学中には イギリス留学を経験した。
結婚するまでの 20数年と、結婚してからの約25年を合わせると、国内外、実に様々なところで暮らしてきたと改めて実感する。
長期間でなくとも、合宿やひとり旅
父に念願の息子ができた。
はじめに同じ日に連続投稿失礼します。
これから書く話は、私の父、そして私の夫の
短くも思い出深い過去の物語です。
私は夫の海外転勤に伴い、結婚と同時に海外で生活した。
一年後、日本に一時帰国した際には 挙式、そして簡単なお茶菓子を用意して参列者の方々のための歓談の場を設けました。
(招待状やあらゆる準備は国際電話とfaxを通じて母に全てお願いしました。)
再びまた赴任先へ戻ってしばらく後、私は夫
お久しぶりの更新。(雑記と今後の予定など)
こんばんは、ほしまるです。
(この書き出し、かなり久しぶりで新鮮です。)
お久しぶりです。
感染拡大地域もかなり広がり、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の対象地域も増え、まだまだ落ち着かない日が続きますね。
皆さんお変わりございませんか。
慌ただしくなっていたこともあり。
また、少し前からnoteに関して個人的に思うことがあり。
noteの世界から少し離れていました。
いきなり更新
数週間ぶりに街に出た感想・雑感
久しぶりの投稿になります。
定期的に通院している隣市のかかりつけ医へ行くため、数週間ぶりに街に出ました。
結果、予想以上の人の多さなどもあってか、私は想像以上に疲労困憊。心身共にヘトヘトに疲れました。
数週間前とは全く変わった光景一都三県の緊急事態宣言が解除されてから間もない、春の陽気に包まれた午後。
帰りのことを考えて薄い上着を持っていきましたが、
家を出た頃はまだ暖かく、駅にも電車にも
遥か遠い国で作ったお寿司
今から遡ること20数年前。
同じ職場で付き合っていた恋人に海外転勤の辞令があった。
程なくして彼からプロポーズを受け、2ヶ月後には彼は赴任先へ着任。
会社の規定で私は、遅れること3ヶ月、翌年の晩冬に、日本から遥か遠い国に向かった。
英語も通じない、何もかも戸惑うことだらけの世界で新婚生活、駐在員の妻としての生活がスタートした。
料理、しっかり習っておけばよかった情けないことに、私は結婚を機に実家
大切にしたい、古き良き洋食、喫茶。
ひとり外食は楽しい昔から、ひとりで外食をすることが好きだ。
もともと、生まれ育った都内の実家に居た頃はもちろん家族と外食することも、友人達、恋人と外食することも楽しかったし、結婚してからも、夫と一緒に外食する時間はとても楽しい。
だが、用事や仕事の目的で赴いた街で、お気に入りのお店や、なんとなく気になり入ったお店で、ひとりで黙々と美味しい食事、お茶やデザートをいただく時間は、私にとって貴重なひ
私はnote初心者、時々ピエロ。
小さい頃から漠然とした夢があった。
人から「おもろい」「面白い」って言われることが憧れ。そう言われる人になれたらいいなと思っていた。
☆
私はずっと、自信がなかった。
皆の注目を集めたり、皆から好かれる子達は、なんてことはない些細な一言で人を笑わせたり、人気を集めてしまう。
一方で、私が話すことは、人から見ればきっとつまらないんだろうと思っていた。
いつからか、私は人と話すことさえ怖くなって
最期の出町柳駅:義父が私にくれた思い出
はじめにこんにちは、ほしまるです。
先月投稿した、義母についての記事。
ここのところまた目を留めてくださることにちょっと驚いていると共に、スキをくださることに感謝しております。
この場をお借りして、改めてありがとうございます。
今日は、亡き義父とのエピソードについて書きたいと思います。長いですが、最後までお読みいただける方がお一人でもいらしたら嬉しいです。
☆
義父との初対面1996年秋