最期の出町柳駅:義父が私にくれた思い出
はじめに
こんにちは、ほしまるです。
先月投稿した、義母についての記事。
ここのところまた目を留めてくださることにちょっと驚いていると共に、スキをくださることに感謝しております。
この場をお借りして、改めてありがとうございます。
今日は、亡き義父とのエピソードについて書きたいと思います。長いですが、最後までお読みいただける方がお一人でもいらしたら嬉しいです。
☆
義父との初対面
1996年秋。
結婚が決まった。
当事お付き合いしていた彼に いつか海外転勤が決まることは覚悟していた。同じ会社に勤めていたからだ。
転勤が決まり、結婚が決まった。
そこから彼が赴任先へ向かうまでの2ヶ月はまさに怒涛の日々だった。
その2ヶ月の間に、公私ともに済ませねばならないことは山ほどあった。夫にも、私にも。
結婚式、披露宴などする暇も、準備期間もある訳がなかった。
といっても元々夫も私も披露宴に関してはするつもりがなかったから
いつか、式だけ挙げられれば、と思っていた。
夫が着任する前の、結婚の行事として両家の結納の日を決めて。
その前に夫と私は双方の両親、親戚に挨拶回りをした。
☆
夫の出身関西へは私自身初めてではないけれど
やはり夫の両親と初めて顔を合わすことは初めてで
しかも夫の実家となるととても緊急した。
初めて訪れた夫の実家。
初めてお会いしたご両親。
その時はあまりにも緊急していてよく覚えていない。
何を話したのかも。
ただ、しっかりと覚えている記憶は
義母は夫と顔つきがどことなく似ているな、と思ったこと
そして、優しい雰囲気の義父なのだが
失礼ながらも、さながら年末恒例のテレビ番組
「笑ってはいけない」のごとく、私も笑いを必死に堪えながら話していた、ということだ。
義父は御髪が薄かった。
禿げておられたのだ。
もともと父方、母方の親戚含め、御髪の薄い方に慣れていない、免疫のない私は、笑ってしまうのをひたすら耐えるしかなかったのだ。
(ごめんなさいごめんなさい!)
☆
「...聞いてないよ」
ホテルに戻ってきてから、笑いを耐えきれず夫に言った。
「えっ、何が?」
「お義父さんの頭...」
「ああ...というか言う必要ある?」
「あるよ。心構えってものがある!」
夫はふーんと笑いながら、また明日ね、と実家へ帰った。
私はホテルで泊まって翌日、また夫と、夫の親戚を訪ねる予定だった。
どうしよう、またお会いしても絶対私は笑ってしまう。
それだけじゃない...
そう思いながらいつの間にか寝ていた。
もともと疲れを残した日々の中での、夫の両親との初対面で相当緊張から疲れていたのだと思う。
☆
結納前日
結納を明日に控えた前日の早朝。
私は夫と東京駅近くのとあるビジネスホテルに向かっていた。
そこには、義父母が宿泊していた。
その日は、夫と相談して義父母と四人で日帰りのはとバスツアーに参加することにしていた。
その前に、義父母からとある提案があった。
義父母が私のために服を作ってくれるというので
採寸や生地選びをしたいということだった。
☆
義父母は二人で洋服の仕立てをしていた。
お客様はまさに世界に一着しかないオーダーメイドを身につけて、オートクチュールの気分を味わえる。
そんなお仕事を二人三脚でコツコツ続けてこられていた。
そんな両親を見てきた夫は
やはり、服選びにこだわっているポイントがある。
私が着る服を選ぶ時でも、アドバイスをくれる時もある。
素材と縫製。
ハイブランドでなくても、プチプライス、お手頃価格でも、生地や縫製にこだわって選べば長く使えるし、愛着もわく。
お気に入りの服を着る度に、選ぶ際に参考にした夫のアドバイスを通して、夫が見てきた義父母の仕事を垣間見る時が多々ある。
☆
ビジネスホテルの部屋で再会した義父母は、とてもよく眠れた、と喜んでいた。
さて、と、義父が大きな鞄を開ける。
荷物とは別に私の服を仕立てるためだけに持ってきた生地のサンプルの数々。
わぁ!
私は思わず声をあげた。
沢山の生地が入っていた。
触ってもいいですか?と許可を得て、それぞれ触らせてもらった。
「これはな、舶来もので、なかなか手に入りにくいんや。」とか
「これはな、ズボンとかスカートにしたらええと思うで。」とか
私が触れた生地を一つ一つ、嬉しそうに説明する義父が印象的だった。
そんな義父を見守る義母も。
義母「◯◯さん(私のこと)、若いからこんな柄がええんちゃうん?」
義父「いやぁ、それ、おばはんぽいで。こっちの方がハイカラで粋や。」
義母「ほな、色はこの辺りかな」
義父「そうやな、肌の色が白いしお人形さんみたいやから似合うと思うわ。」
そんな風に繰り広げられる会話を微笑ましく見ていた。
きっとこのご両親はこうして何十年も、夫婦で会話しながら仕事してきたんだろう。
「あんたが選ばんでどうするの~」
気づくとご両親は笑っていた。
私も一緒に笑ってしまった。
☆
はとバスコースは
主に、巣鴨、柴又、矢切の渡しを巡るツアーだった。
後からわかったことだが、当時のはとバス東京ツアーにおいて一番ハードなツアーだった。
沢山、歩かせてしまった義父母には申し訳なかったが、
楽しんでもらえた姿を見れたことはとても嬉しかった。
結納
11月。
数週間後には夫が、そして会社の規定で翌年2月には私が、夫の赴任先へ行くまでに
両家で顔を合わせたのは結納だけだった。
なので、当時の私達にとっては、結納が実質、結婚式のようなものだった。
☆
結納は夫と相談して、中華街の聘珍楼の和室をお借りした。
まだ小学生だった夫の兄夫妻の三兄弟(甥っ子三兄弟)も一緒となると、やはりその後の会食で中華料理の方がいいだろうと思ったからだ。
結納の儀を交わしたあと、
食事をしながら和やかに話した。
ガチガチに緊張していた父には前もって
「場が静かになっても、変に冗談とか言って場を和ませようとしないでね。彼のご家族は義理のお姉さん以外関西の人たちだから。関東人が冗談言ったって、すべるから。」
そのアドバイスを緊張のあまり父は忘れていた。
和ませようと、したものの思いっきりすべった。
(このバカ親父...)
私は内心恥ずかしい気持ちでいたが、さらに恥ずかしかったのは
父にはすべったことがわからず、何度も何度も繰り返していてただのイタイ中年オヤジになっていたことだった。
けれど、母と妹は笑っていた。
おお、父の代わりに場を和ませている...
この連携はさすがだと思った。
しかし母と妹が父のために笑っていたのではないことにすぐ気づいた。
母と妹は、ずっと笑いを堪えていた義父の頭を改めて見ることで、この場を笑って和めているように見せかけていたのだった...。
(御髪の少ない方には不愉快な表現になっていることお詫びしますm(_ _)m
免疫がないゆえに笑いを堪えていたということをご理解いただけると幸いですm(_ _)m)
☆
一人で義父母の元へ
翌年の年明け。
夫が赴任先に着任して1ヶ月と少し経っていた。
年末で退職し、本腰を入れてそれまで以上にあらゆる渡航前準備に追われる中で
私は一人で義父母の元を訪ねていた。
私も1ヶ月後には赴任先へ赴く。
私なりに、数日でも義母から料理を教わったり
義父母にささやかでも親孝行できればと思っていた。
一緒に吉本新喜劇を観たり、義母から料理を教わったり。
緊張感はありつつも、義父、義母と少しずつでも会話する度にお二人の人柄を更に知っていくことができた。
この義父母へのプチ親孝行を終えたあと、
私は、久しぶりに再会する親友の元を訪れる予定でいた。
英国短期留学時代の親友、私の二才上の京都在住カヤちゃん(仮名)。
留学を終えたあとも、カヤちゃんに会いに関西へ行ったことは何度もあった。
そのことは、夫の実家を訪れる前に義父にも知らせており、私の実家家族も、夫も知っていた。
夫の実家で過ごす最後の晩、電話をお借りしてカヤちゃんに電話した。
カヤ「お疲れやったね。明日、出町柳駅まで行けばええの?」
私 「ありがとー!うん、出町柳駅でもいいし、カヤちゃん家まで直接でもいいよ。」
カヤ 「でも荷物それなりにあるやろ。ちゃんと出町柳駅まで行くから。」
私 「ありがとー、そうしてくれると助かる。カヤちゃんとスギスギ(仮名)にもお土産あるし。」
カヤ 「そんなん気遣わんでええのにぃ。でも楽しみにしとるわ。スギスギも楽しみにしとる。あ!」
私 「なに?」
カヤ 「明日、京阪乗る前に一応また電話くれる?もしかしたら、状況によってはスギスギがバイクか車で行くかもしれんから。」
私 「オッケー!京阪乗る前に電話するね」
スギスギ(仮名)とはカヤちゃんが長らく付き合っている彼氏で、私も幾度も会ったことのある人だった。
電話を切ったあとに、ふと後ろを見ると
義母と義父が部屋に戻った。
もしかしたら、カヤちゃんと私の会話を聞いていたかもしれない。
その瞬間、改めてカヤちゃんとの会話を振り返った。
私からはとくにスギスギ、というワードを発しただけで、スギスギが男性だとわかる発言はしていなかった。
とはいえ、義父、義母がよからぬ想像をしていないか不安がよぎった。
「あの嫁、夫がいない間に浮気でもするんじゃないか」
そんなこと思われていたらどうしよう。
そんなことを考えながら、眠りについた。
義父との京阪電車
翌朝。
「お世話になりました。また日本を発つ前にお電話しますね」
そう言ってバス停へ向かおうとすると
背広に着替えた義父が荷物を一つ持って私の前を歩いていった。
「ちょっとそこまで送るいうてたわ。」
そう言う義母に会釈して義父を追った。
バス停まで送ってくれるなんて、ありがたいな。
バスを待つ間に、義父に何度もお礼を述べた。
「そんなん、気にせんでええて。」
そう言う義父の横顔を見ているとバスが来た。
じゃあ、と言おうとすると、義父はそのままバスに乗った。
もしかしたら、用事があるのかも。
そう思いつつ義父の横でバスに揺られた。
☆
そうこうしているうちに、京阪電車の某駅へ着いた。
じゃあ、とまた言おうとすると
「切符、買うてくるわ」
そう言って祖父は早足で切符売り場へ向かった。
義父が二枚切符を持ちつつもどってきた。
迎えに来る友達に電話しますと伝え、すぐそばの公衆電話からカヤちゃんに電話した。
もしかしたら、義父も出町柳駅まで来るかもしれない。
マジで?わかった、了解!と笑うカヤちゃんにそう伝えて、電話を切り、義父のところへ走った。
義父と出町柳駅へ向かう京阪電車へ乗った。
無言。
沈黙。
なんとなく、その沈黙をわざわざ破るのも憚られた。
義父はどんな気持ちで、どんな思いで、今ここにいるのだろう。
少しすると車窓を指差し義父がこう話した。
「あれがひらパーや。」
ひらパー、すなわちひらかたパーク。
関西の方ならずとも、他の地域の方でもご存知の方は多いだろう。
私はその時初めて車窓から、ひらパーを見た。
「◯◯さん(夫のこと)も、来たことありますか」
「そりゃ、来たことはあるわ。」
義父は笑顔でそう言った。
そのあと、出町柳駅まではまた再び無言だったけれど。
ひらパーをわざわざ私に教えてくれた義父がなんとなく温かくて。
そんな義父ともしばらく会えなくなると思うとちょっと切なくなった。
☆
出町柳駅での義父
出町柳駅に到着した。
着く直前からあることに私はドキドキしていた。
もし、出町柳駅にスギスギしか来ていなかったらどうしよう。
ただの友達の彼氏で、私とも友達なスギスギを見ることで義父を怒らせたくないし、がっかりさせたくない。
どうかカヤちゃん、もしくはカヤちゃんとスギスギで来てくれていますように。
願うしかなかった。
☆
改札を出ると、カヤちゃんとスギスギの姿が見えた。
義父が居ることを忘れて、カヤちゃんとスギスギのもとに走った。
「久しぶりー!」
「元気やった?」
はっ、と気付き後ろを見るとゆっくり、義父がやって来た。
「あの人やんな?ほしまるちゃんのお義父さん。」
カヤちゃんとスギスギは緊張の面持ちだった。
義父に歩みより、私はカヤちゃんとスギスギを紹介した。
カヤちゃんもスギスギも会釈しながら
自己紹介していた。
義父は、深々と頭を下げた。
そのあとカヤちゃんとスギスギにこう伝えた。
「嫁が大変お世話になっております。
嫁が今日からお世話になるそうで。
どうかこれからも嫁の友人として、嫁のこと、よろしくお願いいたします。」
そう言いながら深々とお辞儀する義父を見て
泣きそうになった。
全くの他人の、嫁の私。
だけど、そんな私のために義父は私の友人に頭を下げた。
カヤちゃんもスギスギも口々にこう言った。
「お世話になっているのはこちらの方なんです。
どうかお義父さん、ご安心ください。
ここまでほしまるちゃんをお送り下さり、ありがとうございます。」
義父はそんなカヤちゃんとスギスギを見て安心したような笑顔を見せた。
「体に気をつけて過ごすんやで。」
そう言いながら、義父は再び京阪電車に乗った。
☆
「ほしまるちゃん、幸せやな」
スギスギがこう切り出した。
「こんな風に送ってきてくれるなんてなかなかないで。」
「せやな。大切にされてる証拠やで。」
スギスギとカヤちゃんはこう話した。
そうなのかな、だとしたら嬉しいけど。
「お腹空いたやろ。なんか食べいこか。」
そんなスギスギが荷物を持ってくれて、私達はご飯を食べに行った。
☆
知らなかった事実
そのエピソードはその後まもなく夫に伝えた。
その後、義父が亡くなってからこれまで、ことあるごとに夫に話してきた。
その度に、夫はこう言う。
「あの時親父が出町柳駅行ったの、あれ最期だと思うよ。」
私は信じられなかった。
関東人の私にとって、関東、特に首都圏の行き来はそう珍しいことではない。
そんな感覚で、関西圏 例えば大阪から京都とか
京都から神戸とか
そんなことは普通の感覚だと思っていた。
けれど、この前改めて夫と話していた時に
義兄夫妻も首都圏にいるが
義兄、夫が就職を機に首都圏に来て
それ以降、義父母が首都圏に来たこともごく数回なことを改めて知った。
もともと高齢だったことなども理由だが
結婚の際の結納や結納前日のはとバスツアーは本当に貴重な機会だったと改めて実感した。
もしかしたら、あの時、義父と二人で京阪電車に乗って出町柳駅へ行ったことも
もしかしたら本当に最期の京都行きだったのかもしれない。
お茶でも、というカヤちゃん、スギスギ、私の誘いを振り切り、そのまま京阪電車に乗った義父を
どこかへ連れて行ってあげたかった。
たとえそれが、物珍しくないお店だとしても。
☆
最後に:かっこよかった義父
私の両親、妹の葬儀で初めて義父と対面した、母方の祖父が生前よく言っていたことがある。
「お義父さんは昔もとてもかっこよかったんだろうな」
えー?と私が言うと祖父は必ずこう言った。
「世代的に近いからわかるんだよ。お義父さん、かなり粋なお方だったとわかるよ。やっぱり年をとっても品がおありだ。」
海外から帰国して、夫と一緒に夫の実家を訪れたときに
昔の義父の写真を見せてもらったことがあった。
その写真には、想像できないくらい、粋な姿の義父が居た。
リーゼントのような髪、すっとした顔立ち、そしておしゃれな服。
かっこいい、粋だな。そう思った。
☆
夫と義父。
夫自身、気づいていないかもしれないが
似ているなと思うところは沢山ある。
顔立ちとか、そういうことではなくて
そばにいて無言でいても安心させてくれること。
嬉しい時に、心から嬉しそうに笑う笑顔。
私に似合う、と言って薦めてくれるものが私自身好むものであること。
他にも挙げたらきりはない。
私が知る義父の一面は夫に比べたら少ないけれど。
義父が私にしてくれたことの数々は
これからも大切な思い出だ。
☆
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