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喫茶店と、読書と、マンガと、うつ病と、風呂と。

2月22日 木曜日


今日は病院の日だった。🏥

「与作」を歌いながらチャリを走らせていると、
子供の頃、祖父母と一服したり、こんなさぶい冬には、お餅が入ったお味噌汁をずるずると食べていたことを思い出し、途端にだばだばと涙が出てきた。


ああ。。。。

おじいちゃんとおばあちゃんに会いたいなあ。。。。。


雨が降っていてよかった。
拭わずとも洗い流せた。

病院では、健康手帳をみながら、いつもなら半日で抜けるうつの状態が、今回はちょっと深く、やる気がいつもより落ちていることを話す。


今、風邪のウィルスで、メンタルを消沈させる症状が流行っていると先生から聞いた。
若く元気な人で数日で風邪症状が治っても、精神的に落ち込み、滅入る症状が長引く症状の人が目立っているらしい。

私も先週末風邪を引いたのでそれだろうか❓

読まれている方は、どうぞ流行風邪にはお気をつけください🍵✨

エスプレッソ風味だった。。。。


イタリアントマトによって、ホットチョコレートを飲んだ。

女学生と検索して出てきた画像をラフ画。


ラフスケッチのあと、

宮本輝の「泥の河」読了。

内容は主人公の少年が、舟上生活者である姉弟と、廓舟だパンパンだと揶揄され体をひさいでいる母親との交流を描いた、哀しいお話でもあるのだが。。。。


何故か心が浄化した。


失われた30年代の大阪の風景を、それはそれは誠実に描写している「奥ゆかしさ」を感じたからだった。

けして美しくはない、埃だった街。
汗や体臭がむんむんと匂ってくる労働者たち。
戦争の跡を所々に背負った活気はあれども貧しく荒々しい土地なのに、作者が描き出す一つ一つの文章は美しく、何処か慈しみがこめられていた。


本作で登場する、少年が油を注いで線香花火のように焼いて遊ぶ蟹は、弄ばれる運命のメタファーであろうか。

ガルシア=マルケスの短編、「大きな翼を持った老人」でもたくさんの蟹を捨てるシーンがある。
蟹というのは、何処か叙情的で残酷に翻弄されるものの運命の隠喩のように思えてならない。

(個人的に表題作より「大きな翼を持った老人」の方が寓話的で好きだ)

帰宅後、マンガ制作のトーンや仕上げ作業で使用するクリスタをEXに契約する。
月額980円するけれど、頑張ります。。。頑張りますよ。。。

冬の雨に濡れ、うつで二日間お風呂に入れていなかったので風呂を沸かす。


5年前、鬱がもっともひどい時は1週間、10日お風呂に入れないのは普通だった。

信じられぬ異常さだが、本当に日常生活が送れないのである。。。


服を脱ぐ→シャワーを浴びる→身体洗う→湯船に浸かる→シャンプートリートメント→シャワー→湯船→バスタオルで拭く→保湿クリームを体に塗る→パジャマに着替える→スキンケア→ドライヤー。。。。

という、途方もない工程は、巌のように身体が動かない身にとっては、旅行に匹敵するのと同じくらいの重労働であった。

なので、100均で売られているメンズ用身体拭きシートで体を拭いて、いっそ頭皮までゴシゴシ拭いて、保育園の送り迎えに行っていた。
当時はスーパーさえも利用せず、家まで食物を運んでくれる生協を活用していた。


5年前何故こうもひどいうつになったかというと、この記事にあるように、人にマンガが読まれなかったからである。

5歳の時からなりたいと思っていた手綱を離した方がいいのかも。。。と思った時。。。

死んだ方がいい、もう死にたい。

と毎日思い、その現実にまみえると泣きたくなるくらいヘンになりそうなので、四六時中寝ていた。

作品への考え方は人それぞれで、その想いに甲乙をつける気はないが、
読まれない作品ほど哀しいことはないと、作家の作品にかける膨大な渾身と労力を慮ると私は思う。


マンガほど、作者一人の魂をすべてを注いで創造する表現物は他にないと思っている。


絵とセリフ、キャラクター、カメラワーク、背景、心情描写、演出、資料の下調べ、取材、全てを、たった一人で作り上げる。


お話だけ作れてもいけない。


今度は一コマ一コマ、全て己の手をつかって絵を紡いで現実化してゆく。


その絵もデッサンや構図、センス。。。といったあらゆる鍛錬や天賦のものが加味される。

ここまでの多動力を要する表現物はないと思う。


小さい頃から憧れていたこれらの作業を、全て一人でできるようになったことを心から誇りに思っている。


私にはもともとマンガの才能など全くなかった。
すべて努力して培ってきた。


一つ作品が作れるごとに深い満足感を得る。


そして、未だ未熟なところは、培ってきたもの以上にまだまだ膨大にある。

膨大なエネルギーと時間がかかるゆえに、作者の作品にかける愛情や思い入れは強く深い。

漫画家は皆そうではないだろうか。。。。


元来マンガの肝である絵心がなく、下の下でコンプレックスだったので、
現在まで「成長」出来たことは、学ぶことや、努力は裏切らないんだな、ずっと続けていれば、いつの間にか得れることもあるんだな、と思えたことでもあった。
模写だけは好きだったので、子供の頃からやっていたのも技術が磨かれたひとつだと思う。
(模写はいわゆる、対象への分析と憑依行動であるから)



5年前は生きる道が全て否定された想いがあって、とても日常生活を送れるものではなかった。
仕事がなくなったら、本来なら子供は親が見なければならないが、
お医者と保育園に全て話して子供の登園が続行出来た。




けれど、当時の屍状態が、今のうのうと蘇っていられるのは、noteやX、投稿サイト等のおかげだなあとつくづく思う。

表現の幅が広がり、応援してくださる人もいる。

お金は入らずとも、昔の何倍もの読んでくださる人がいる。

そう思うと、マンガという自由でフレキシブルな世界は今後いっそう加速するのだと思う。



そして私は、マンガと同じくらい「書くこと」も好きだ。
物語を作る。。。というよりは、日記や記録、書き写しをすることを好む。
マンガが描けない時は、noteでこういうふうに日記を綴るのが1番の楽しみだ。

なんせ10代から続けてきた日記だから、年季くらいは入っている。
noteのおかげで自分の想いをシェアできるのを本当に心からありがたく思っている。


午後、森鴎外の「カズイスチカ」を読む。

北千住で医師をしていた父親を手伝っていた鷗外を彷彿させる短編である。

熊沢蕃山の書いたものを読んでいると、志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳けずったりするのも道を行うのであるという意味の事が書いてあった。
花房はそれを見て、父の平生を考えて見ると、自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。
宿場の医者たるに安んじている父の rsignation(レジニアション )の態度が、有道者の面目に近いということが、朧気ながら見えて来た。
そしてその時から遽に父を尊敬する念を生じた。

カズイスチカより

まだ若い鷗外が、千住という田舎の宿場医師として日常をのほほんと過ごしている父親をみて、祖父臭いと思っていたのを、熊沢蕃山の言葉を読んで、何も大平国家のために立身出世するだけが道ではなく、己の置かれた場所で、日常を淡々と過ごしてゆくこともまた道であるということを知り、父を尊敬する下りは好きだ。

また、昔の蘭学の知識で留まり、読み馴れた書でない洋書を読むことを面倒がって、とうとう数も少なく訳もよくない翻訳書ばかり見るようになった父を見て、医師としての限界を冷徹に見極めつつも、一方では患者の死期をピタリと言い当てることだけは、父には敵わなかった、という述懐も、親愛を感じた。

この鷗外の父の病院は、2年前まで私が通っていた胃腸内科のすぐそばだった。


何より、

庭の向うに、横に長方形に立ててある藁葺の家が、建具を悉くはずして、開け放ってある。
東京近在の百姓家の常で、向って右に台所や土間が取ってあって左の可なり広い処を畳敷にしてあるのが、只一目に見渡される。

という文章で、足立区の農家の間取りが一発で分かったことは、戦時中の千住のマンガを作りたいと思っている自分にとって、かなり有難い情報であった。

(戦時中は今とは異なり、北千住は街だったが、足立区のほとんどは田園広がる農家であった。)

読書ができるほどには元気が出てきた。


お気に入りの入浴剤で一番風呂に入り、

2日ぶりにつかった湯船は、とろけるように優しかった。


本当は西新井のスーパー銭湯に行きたいのだが、今私の足のすね毛は原始人レベルでモサモサである。
皮膚が弱くかなり酷い剃刀負けをするので剃れないのだ。


。。。いや、四十路の原始人のすね毛など誰も見ないだろう。
みたって、ああ、男性ホルモンが発達してんだな、くらいにしか思わないだろう。
近いうちに平日に浸かりに行きたい。