芸術、ある種の不幸性が味方しなければ生み出せないモノ。綺羅びやかなモノって既に成熟という一番美しい過程を過ぎ去っているんだ。綺羅びやかさの弊害を壊していくのが真の芸術であって、それには自らの不幸を乗り越え愛を打ち立てようとする、女神を味方につけた者たちの「今」の戦いが大事だと思う
Ars longa, vita brevis.「芸術は長く、人生は短し」 芸術を、彼の音楽活動とだけ捉えるのはあまりにも視野が狭すぎる。 反原発・明治神宮樹木伐採反対など、社会的な問題にもメッセージを送ってきたところも彼のart活動だったのではと思った。反骨精神を見習わないと。
kと返報性と罪悪感の話をしていて、岡本太郎と芸術の話で私が暴走し、「そうなんだ。とりあえずおっぱい見せろよ笑」と意味不明なスイッチを押してくる。私がベラベラと講釈たれると、かなりの確率でkが獣化する。やかましくて、生意気らしい。ピカソは美しい。だけど、決してきれいではない。
『クリムト展』のポスターは素敵だな~と思うし、それがきっかけで私も行くことが出来たのですが、それとは別に『ポスターでおっぱいが出ること』ってどうなんだろうって思ったりするんですよね。良いとか悪いとかじゃなくて(写真は駄目だけど)絵なら、芸術なら良いのかと。肉感的なだけに余計にね。
亡き師匠が、「戦争があると、悲しいかな、芸術が高まる」と話していた。第一次世界大戦、第二次世界大戦。そういうことが起こることで、よりよい芸術が生まれてしまう。皮肉なことで、悲しむべきことではあるが、引き裂かれる想いを感じてしまう。これが人間の性なのだと。
夜中に目覚めて、Twitterでソーシャルディスタンスを確保したオーケストラ演奏の動画を見てたら目が覚めた。こういう時でないと出てこない音色がある。音楽がある。普段よりみんな『弾いている』。