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芸術とは何か ・・・その由来を簡潔に

 芸術とは? と問えば絵画や彫刻、音楽にダンス、演劇などがすぐに思い浮かび、具体的な作品名をあげることができるかもしれません。詩や俳句、小説を含めても良い。作り手である芸術家、アーティストや美術館、劇場、ホールなどの場所をイメージする人もいるでしょう。しかし定義づけとなるとその範囲の広さから悩んでしまいます。
 歴史的観点では、古代ギリシャに由来する概念であり、西洋で輪郭が定められてきた、と言えます。日本には明治以降、輸入された経緯もあり、学ぶべき文化としてどことなくありがたいものであり、日常からかけ離れ、ときには難しい印象を与えます。
 美との関係も重要な論点です。美とは何か。これは美学の問であり、芸術と関係していますが、哲学的な問いでもあります。芸術に絞れば芸術学というジャンルもあります。美しくない芸術もあり得るということです。
さらに最近、よく使われる「アート」という用語もあります。
これらの全体像を俯瞰的に整理するため、以下、多少、雑駁な議論になるがいくつかのテーマで外堀を埋めてみます。
1日本には「芸術」がなかったのか
2芸術はどこから来たのか
3美と芸術、そして崇高

1日本には「芸術」がなかったのか
 まずは素朴な疑問です。
 日本は今や世界中から旅先として行ってみたい、と選ばれる国です。為替に由来するお得感はともかく、独自の料理文化と食事のおいしさ、自然の美しさ、観光施設での接客の丁寧さ、利便性、アニメやゲームなどのサブカルチャー、あるいはエンタテインメントが多数の旅行者を魅惑しています。その根底に歴史的に形成された美意識があります。仏教彫刻、襖や屏風の障壁画、掛け軸、書、陶磁器などの美術品はもちろん、能や歌舞伎、落語といった芸能、茶道、華道、宮中行事、雅楽、各地の祭、季節に応じた儀式、和歌、俳句など多様な場面でそれらを感じることができます。こうした事例を眺めればわかる通り、日本で受け継がれてきた美の伝統は目的や用途のある工芸、芸能、あるいは神事、娯楽です。さらにこれらを統括する美意識についてのいわば美学的な規範は『枕草子』『有職故事』のような書物、定家や西行の歌論、世阿弥の花鏡に代表される能楽その他、芸道の諸流派の伝承などで繰り広げられ、江戸時代になると本居宣長、賀茂真渕らによって「あはれ」「をかし」などの概念としてまとめられてきました。つまり日本には今であれば「芸術」と呼ぶべき美の実践とその継承は多数存在していましたがそれらを統括する「芸術」という概念は存在していなかった。
 なぜでしょうか?
 むしろこの問いは逆に問うべきなのです。
 なぜならなぜなら日本以外の文化、例えば中国やインド、あるいはイスラム、さらにはアフリカや南北アメリカにも芸術は存在しなかった。いや、それどころかヨーロッパでもローマ帝国やゲルマン民族、ケルトやバイキングらの文化にも「芸術」という考え方はなかったのです。ではどこから、いつ、どのように「芸術」は生まれ、世界を席巻したのか。

アンドレ・ベッツ《コモ湖畔》

2芸術はどこから来たのか
 日本語の「芸術」という言葉は、明治時代の訳語でartを芸術、fineartを美術としたといわれます。英語のアートの語源はラテン語のアルス(ars)に由来し、技芸全般、何かを作る技術といった広い意味から発しています。ローマ帝国の公用語であったラテン語からこれをさらに紀元前へと遡ると古代ギリシャ のテクネー(τέχνη )に至ります。
 西洋の文化文明の源泉は大きく分けて、ギリシャに由来するヘレニズムとユダヤ・イスラエルに由来するヘブライズムです。このうち「芸術」という概念は古代ギリシャで発生しています。ギリシャはエーゲ海に臨む半島や多数の島からなる風土であり、海運業を盛とし、東西交通の要衝でもあります。紀元前七百年から三百年頃、古代ギリシャではポリスと呼ばれる都市国家が各地で形成され、栄枯盛衰を繰り返していました。奴隷制を前提としたものですが、議会や選挙に相当する制度が整備されここには民主主義の萌芽がありました。現代科学にもつながる自然学や、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった哲人が登場、さらにアイキュロス、ソフォクレス、エウリピデスらの悲劇が円形劇場で上演されます。すべてがギリシャ人のオリジナルであったとは言えません。先行した古代エジプト文明やライバルであったペルシアなど周辺諸国の影響についての指摘もありますが、少なくとも事物の普遍的な本質を究明する学問の形態はこの時期にギリシャで形成されたものと思われます。
 特にプラトンのイデア説はよく知られています。例えば現実の三角形は大小さまざま、様態も多様ですが、おおもとに正真正銘、純粋な三角形のイデアがある、といった考え方で、美についてもこうした普遍性、透徹性、純粋性が要求されます。美のイデアはそのものとして単なる美しさではなく至高の価値として真理や善とも一致しなければなりません。古代ギリシャでも装飾的な工芸は盛んでしたが、その延長線上で真、善、美を一致して表す芸術の考え方が登場しました。プラトンを受け継いだアリストテレスは芸術の本質は模倣(ミメーシス)にあるとし、ある種の理想体であるイデアの似姿が求められます。ことに神々を現す彫像においてこれが追及され優れた作品群を遺しました。
 ところがその後、ローマ帝国のラテン文化に受け継がれ、次第にキリスト教の影響が強まると、芸術は宗教的な価値観に凌駕され、神の国の栄光を現す装飾や聖書の物語の図解といった布教のための手段へと傾斜していきます。
 19世紀初頭、フランス革命の顛末を見届けたヘーゲルは、こうした経緯を瞥見し「芸術は終わった」と述べます。ただしそれは神=真理を表現するための芸術のことであり、むしろ人間のための芸術はここから勃興してきます。
 この際の「人間」とは近代的な自我のことで古代人はあずかり知らぬものです。神が去った後、主体としての人間は自由となり、なりふり構わず創造に励みます。そのため、真理や善と切り離された美について考え直す必要が出てきます。これが美学です。美と芸術を問う美学の祖と言われるバウムガルデンの著書が出たのは1735年のことです。
こうした経緯からわかる通り、わたしたちがイメージする「芸術」は古代ギリシャに祖をもちながらも、極めて近代的かつ西洋文明に特殊な考え方なのです。

3美と芸術、そして崇高
 ではその美とはなんなのか。
 『判断力批判』で美学の基礎を築いたカントによればそれは感覚的かつ趣味的なものであり、イデアのような絶対的根拠を定めることはできません。ただしそれは人間に先天的に備わった感性の形式との調和であり、その調和が奥深いところで善とつながっていることも示唆されます。古代ギリシャ以来の真、善、美の三者の連結が再度、試みられたわけです。
ニーチェはこうしたカントの考え方は、鑑賞者の側に偏っており、作り手側の感情、パッションを無視していると批判しました。このとき注目すべきなのはカントが『判断力批判』で美の付録的考察として扱った「崇高」です。美が調和であり快感をもたらすのに対して崇高は不快な場合もあります。例としては山塊、滝、嵐、あるいはピラミッドなど量や質において圧倒的で人を不安に陥れることもある存在です。想像を越えた力であり、可能性と不可能性の境界に位置しています。アメリカの抽象画家、バネット・ニューマンはヨーロッパの芸術は常にこの「美」と「崇高」の間を揺れ動いてきた、と看過しました。その理由はあくまでもアリストテレス以来の「模倣」、すなわち「再現」にこだわり続けたためであり、たとえば神の表現に人体造形を使用することにみられるように、いくら理想像を思い描いても現実の経験から十分に離れられかったためだとします。アメリカではこうした歴史的な束縛から解放され自由な創造ができる、と考えました。そして「崇高」を念頭に置きながら、芸術作品の要件は「鑑賞者が自分の固有の尺度を知る」ことであるとする。見るたびに意味が変わってしまい、何度でもそこに戻り、衝撃を受ける、そうした経験をもたらすことなのです。
 こうして唯一かつ至高の美を追求する「芸術」は、二十世紀後半になると多様な表現手段、価値観がせめぎ合う現代アートへと変化してきました。
 以上、まとめると、
 「芸術」とは古代ギリシャに由来し、西洋で育まれて来た文化であり「理想的な美を模倣し再現(描写・造形)する」ことを原型としています。真理や道徳的善と言った別の価値観や宗教的表現とも深く関係し、時代によって様式や目指すところも変化してきました。また、美のとらえ方の相違から日本には「芸術」という概念はありませんでした。
 今はこうした美に関する伝統的な軛から解放され、アートへと変容しています。
 芸術とは何か、簡単には論を尽くせません。この程度で定義づけが可能であるとはとても言えませんがせめて芸術とは何かを考えるよすがになれば、と思います。
※アートについては「現代アートとは?」をご覧ください
https://note.com/deep_crane4150/n/nd4bc5a00013c 


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